案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年6月11日月曜日

大雄山の木造電車1

子供の頃に見た小田原駅の片隅に居た湘南色した木造電車は一体何だったのか。
カメラを手に入れ、撮り始めて間もない昭和38年に伊豆箱根鉄道大雄山線を訪問してみました。

この時は西武色(ラズベリーレッドとベージュ)に塗られた木造車が活躍し、終点大雄山の構内で湘南色した深屋根の木造車が休んでいた。その2年後 昭和40年に発行された鉄道ピクトリアル「私鉄車両めぐり」第6分冊の吉川文夫氏の伊豆箱根鉄道記事で初めてこれら木造車のことを知る事ができた。

木造車はモハ20形とモハ30形があり、どちらも明治44年新橋工製の元国鉄で明治生まれの国鉄創生期のボギー車の一員だそうである。大雄山線で唯一湘南色に塗られていた深屋根のモハ34+クハ36は原形をよく保ち他のシングルルーフ化した木造車よりずっと風格があった。


金時山を望む大雄山の駅  1963.2.22


この日活躍していた西武色のモハ20形(モハ21+クハ22)   大雄山


湘南色(橙と緑)に塗られたモハ30形(モハ34+クハ36).  大雄山 1963.2.22
車体は国鉄原形通りの窓配置,正面の窓はやや高さが大きいという国電スタイルを保ち,屋根はダブルルーフの上をシングルルーフで覆っている。昭和39年3月廃車 (吉川文夫氏の記事より)



モハ34と組んだクハ36


モハ34の台車

最も原形を残すモハ31の廃車体.  昭和31年7月廃車

0 件のコメント: