案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年1月6日月曜日

常総筑波鉄道筑波線の7号機

関東鉄道の昔が常総筑波鉄道で常総線と筑波線(後の筑波鉄道)があった。
常総線には汽車製造製で国内向け最大の社形機関車と言われた1-C-1タンク8号9号機が居たが、隣の筑波線にも汽車製造製1-C-1タンク7号機が居た。常総線のタンク機47.5tほどではないが筑波線のタンク機44.7tも私鉄Cタンク機としてはかなり大きかった。
常総線、筑波線の昔はつくば山や日光連山を望む関東平野をこんな堂々たるCタンク機が走っていた訳だ。

常総筑波鉄道筑波線の真鍋機関庫の中に巨大な7号機が鎮座していた. 1962年3月
1924年汽車製造製のつくば形1C1形タンク

 
キャブとサイドの水タンクの形がアメリカン風であった

筑波鉄道7号機  交友社「機関車の系譜図」3 臼井茂信 著

2 件のコメント:

ひもブレーキ さんのコメント...

日本製の多くの1C1タンク機関車はアメリカから輸入したものを参考にしているそうなので、自然と似てしまうのでしょうね。

katsu さんのコメント...

ひもブレーキさん
汽車製造での1C1タンク機の国産化設計では米国ボールドウィンやブルックスの影響を受けたようでその一つが筑波7号機のようです。
筑波7号機は汽車製造の1C1で最もオリジナリティを発揮したそうですが外観はアメリカンのイメージが残り、常総8、9号とはかなりイメージが異なりますね。