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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年3月28日土曜日

遠州鉄道二俣線 真っ赤な気動車(続1)

遠鉄二俣線のキハ801と803の写真は既にブログで紹介済みで、キハ802の写真を探してみたのですが見つかりませんでした。
そこで気動車が活躍していた当時の西ヶ崎車庫その他の画像、そして青蛙さんが撮った真っ赤な気動車の貴重なカラー写真を拝借しアップしてみました。


遠鉄二俣線キハ803 西鹿島 1964.03.25  撮影:青蛙さん
左手向こうに見えるホームが国鉄二俣線でしょう.

 モハ2とキハ801 西ヶ崎車庫 1964.03.25


モハ2

まだ珍しかった女性車掌 西ヶ崎駅

 モハ32

 モワ201
モワ202

遠州鉄道の二俣線と奥山線が接近する遠鉄浜松駅

遠鉄奥山線 遠鉄浜松

6 件のコメント:

宵闇 さんのコメント...

最後の写真のクハ86は先日引退したクハ89の姉妹車ですね。鉄コレにもなったクルマですし。そんな車両と奥山線車両の並びはすごく貴重ですね。

それにしても遠州モハ1形、とてもスマートですね。この写真を見ているとアールクラフトのキットを組み立てたくなります。

katsu さんのコメント...

宵闇さん
そうでしたか。当時の車両が生き延びていたのですか。
あの頃も大私鉄のお下がり車両の入線はなく全て自社発注で、しっかりした会社と思っていました。
ファンにとって遠州鉄道の鉄道線は昔からあまり目立たない路線ですね。
ナロー奥山線の方がはるかに人気があったりして。

南星 さんのコメント...

赤い気動車の遍歴などと合わせて、今回も懐かしい写真の数々を楽しく拝見しました。

遠鉄は今も個性的な赤い電車を新製し続けているようで頼もしい限りです。

katsu さんのコメント...

赤星さん
ありがとうございます。
赤い気動車が遠鉄二俣線転出後の画像を追加し続編をやろうかと考えています。
遠鉄の赤い電車は今でも新製を続けているのですか。
今や地方私鉄はどこも大手のお下がりばかりで個性が失われ画一化しているのに、
遠鉄は特異な存在ですね。

ねこあたま さんのコメント...

奥山線も三六化していたら、奥浜名への交通が便利になったかと思うと・・・

katsu さんのコメント...

ねこあたまさん
その通りですね。
ナローのままでも四日市や桑名のように近代化を図っていれば生き残る手もあったのでは?
会社が奥山線を全廃してバス代替えで済むと判断したのは昭和39年でした。
不要な奥山線が今では恵まれた遺産になるとは思いもよらなかったでしょう。