案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2024年6月3日月曜日

みすぼらしくて美しいもの

 つげ義春はひなびた所を好む傾向があり「みすぼらしくて美しいもの」に惹きつけられる性分らしい。「東京人」2024⑥ "つげ義春と東京"より

1960年代の日本には「みすぼらしくて美しいもの」が各所にあった。つげ義春はそういう土地を求めて旅をしたのだろう。

つげ義春31歳の時に小倉と熊本の女性に会いに九州へ蒸発の旅をしたのは1968(昭和43)年で、その時の熊本駅前はこんな風景であった。

私がこの時代の街並みを「みすぼらしくて美しいもの」に感じたのは撮影後40年程過ぎてからであった。


長いこと藤崎宮前とばかり思っていたが、この街並みは熊本駅前であった。寿司店、みやげ店.大衆食堂、駅前旅館等がならぶ1967年の熊本駅前通り.1967.3.6

晴れの日の熊本駅前 1967.3.6
熊本駅構内から立ち上る蒸機の煙.



雨の熊本駅前   1967.3.4


雨の熊本駅前.


こちらは堂々として美しい熊本駅の列車.

6 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

「東京人」私も読みました。つげ氏の作品も昔から好きでした。「ねじ式」とかもいいですが、地方都市や温泉を旅する作品の街並みや人物描写はまさしく「みすぼらしくて美し」くて、ずっと惹きつけられていました。

モハメイドペーパー さんのコメント...

私は翌年に九州を回ったので、ほぼこれと同じ景色を見ています。当時は駅前が中心街ではないという地方都市の実情がわからず、にぎやかではあるけど、なんとなくちぐはぐな印象を受けました。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
東京人を読んでつげ義春のことをいろいろ知りました。
私は彼の作品の背景が少しだけわかった気がします。
1960年代の地方私鉄にはこの美学と共通するところがあると思います。

katsu さんのコメント...

モハメイドペーパー さん
当時の熊本駅前は中心部の街並みにくらべて随分みすぼらしかったのですね。
今回の投稿でトップに掲載した1枚は、まさかこれが熊本駅前とはこれまで
気が付かなかったのです。
今、写真で見る街並みはまさに「みすぼらしくて美しいもの」に見えます。

Cedar さんのコメント...

ご覧になってるかも知れませんが、こんなブログ記事を書いてました。
まさしく「みすぼらしく美しい」人々と都電。
https://cedarben.blog.ss-blog.jp/2010-06-03

katsu さんのコメント...

Cedarさん
ありがとうございます。
2010年6月のCedarさんのブログ記事ですね。
遠い昔に読んだような気がしますが
その時私はつげ義春の世界を知らなかったので忘れてしまったのかも知れません。
今、こんな都電の写真を見るととても魅力を感じます。
東京人に掲載された「つげ義春が撮った東京」の写真はどれもインパクトが凄い。
1969-1973年の下町風景が魅力的です。