案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2023年11月21日火曜日

志摩線 半島をゆく。

オリンパスペンSの小さなハーフ判ネガでは不鮮明とよく言われます。
でもよく写ります。ある夏の三重電気鉄道志摩線 

 撮影日:1964.7.6  


鵜方駅風景.この2点のハーフ判ネガが鮮明です.
旧型の車体更新車 モ5210形  中間部がクロスシートになっている. 

志摩神明-賢島.



カーブと起伏が多い沿線を行くセミクロスシート車のモ5401。外観が平凡だが垂直カルダン駆動の珍しい電車.志摩神明-賢島.

鳥羽駅を発車した電車はすぐ急カーブを曲がり風光明媚な志摩半島を賢島へ向かっていた。
リアス式海岸で名高い志摩半島には数々の観光名所があるが、半島内陸部の山間を行く志摩線からは海が見えるようなところが殆どなくカーブの連続とひと気のない山間ばかり。こんな路線を走る電車はどれも魅力的な小型電車で三重交通時代からのツートンカラーがよく似合っていた。この翌年に近鉄志摩線となり更に改軌され志摩線の風景は激変した。

2021年6月18日金曜日

志摩線 半島を行く

6月20日発売のTMS 7月号、失われた情景 第25回は「志摩線 半島をゆく」で近鉄に飲み込まれる直前の三重電気鉄道志摩線(1964年夏)です。

志摩半島と言えばリアス式海岸で名高い観光名所。志摩線はそんな名所とは縁がない半島内陸部の山間をクネクネ曲がるカーブだらけの路線で、鳥羽から終点賢島まで海岸沿いを走ることはほぼなかった。
観光バスが発達していて、こんな地の果てのような小私鉄を使う観光客は少なかったと思われるが、近鉄志摩線になって改軌して一気に近鉄観光路線となった。関西・中京地区から賢島まで直通特急が走っている今、昔の三重電鉄志摩線の面影は何もないだろう。
よく紹介されている廃線跡は三重電鉄ではなく近鉄志摩線のルート変更による旧線跡ではないだろうか。

TMS 2021年7月号

遠くに見える電車は志摩神明駅に到着する。

志摩神明-賢島
志摩神明-賢島間の丘陵とカーブの連続。


ここが上の写真の丘陵の下だったとはこれまで気づかなかった。志摩神明-賢島

まもなく賢島に到着する。 志摩神明-賢島

2016年5月26日木曜日

賢島行き電車

今日は伊勢志摩サミット開幕の日。
50年前の長閑な三重電気鉄道志摩線を思い出してみました(再掲写真含む)
国鉄参宮線の終点鳥羽で志摩線に乗り換え長閑な沿線風景を賢島まで電車が走っていた。
近鉄が賢島まで直行する現在の立派な路線からは想像もつかないローカル志摩線の風情があった。

参宮線鳥羽で志摩線の電車に乗り換える. 1964.07.06

鵜方駅の下校風景

何もない自然あふれる賢島近く行く荷物室付電車

国民宿舎「賢島ロッジ」の下を行く夕暮れ時の電車.

終着駅賢島はこんな風景で、貨物線が右へ真珠港に延びる.

英虞湾

2015年1月31日土曜日

国鉄DF50のこと

志摩線賢島のハーフサイズフィルムの片隅にこんな風景が写っていました。
賢島のあと那智観光して一泊、その翌日南紀小私鉄に向かう途中の紀勢本線です。

まずカメラを向けることがなかった国鉄DF50は今となると貴重な1枚です。
中央本線の夜行準急「穂高」や山陰本線他、全国いたるところでこの列車に乗った筈なのに、どんな牽引機なのかまず見ることはなかったDF50でした。

紀勢本線 DF50旅客列車.ここは紀勢東線と紀勢西線の接点となる新宮でしょう.1964.07.09
紀勢本線で夜行列車を利用したこともあった.

紀勢本線の車窓 串本

磐梯山を背にした磐越西線DF50   川桁  1963.01.03

2015年1月29日木曜日

志摩線 荷物室付電車

三重電気鉄道志摩線。
1964年2月、三重交通から鉄道部門 北勢・三重・松坂・志摩の4線が独立し三重電気鉄道㈱として発足した。国鉄参宮線鳥羽から賢島まで3'6''ゲージで走っていたが、その後近鉄志摩線となり、1970年4月に改軌され近鉄と直通された。

1964年の夏の夕方、勤めを終え鳥羽方面から帰ってくる乗客で荷物室まで超満員。風光明媚な賢島の夕暮れ時を、素晴らしい電車が行く。 モニ554 + モニ562 この電車は同じ三重電鉄の軽便松坂線のモニ202とそっくりで、軽便をそのまま大きくした感じ。


モニ553  賢島 鵜方ー志摩神明 1964.7.6

2015年1月28日水曜日

志摩線の賢島へ向かう 5

2010年5月にアップしたことがある「志摩線 伊勢志摩を行く荷物室付電車」を、数枚の写真を再利用してリニューアルします。

鳥羽からモニ554 + モニ562に乗って賢島に到着したのは夕暮れ。その日の宿は駅近くにある国民宿舎「賢島ロッジ」でここが大学鉄研夏の合宿集合地であった。賢島ロッジに1泊し英虞湾観光、更に1泊し那智観光という鉄研日程であったが、賢島では一人はずれて志摩線沿線を撮り歩き身勝手な行動をしてしまったようだ。
那智観光の翌日は南紀~和歌山界隈の小私鉄を撮り歩いたが、小私鉄では戦後まで生き延びた車両が次々消えて行った時代で、この時の数年の差が余りにも大きい。

モニ554 + モニ562  賢島 1964.7.6
1964年の夏の夕方、勤めを終え鳥羽方面へ帰って行く乗客で荷物室まで超満員。風光明媚な賢島の夕暮れ時を素晴らしい電車が行く。モニ554 + モニ562 この電車は同じ三重電鉄の軽便松坂線のモニ202とそっくりで、軽便をそのまま大きくした感じであった。

モニ554 + モニ562 賢島はこんな風景であった.

国民宿舎「賢島ロッジ」から英虞湾を見渡す
パンタの位置から賢島(手前側)に渡るところと思われる.

賢島駅のモニ561形(561、562)は、551形(553、554)と仕様が異っていた.
こんな単線の駅がその後堂々たる5線の賢島駅になった.

モニ561形561には楕円窓がついていた.船津 鵜方  1964.7.7

 賢島駅の先に真珠港まで延びていた貨物線.

賢島駅の下の港から出ていた英虞湾めぐり船
湾内の真珠養殖
ここはどこなんでしょうか? 手前に見える食堂「東洋一」は今も大王埼の燈台近くにありますが、写真の海岸線と岬が大王埼と一致しません?

昔写真を撮ったのは灯台のところではなく大王埼のこの辺りでした。
Google画像は消去しました。

2015年1月24日土曜日

志摩線の賢島へ向かう 4

鳥羽から賢島まで3'6''ゲージで走っていた三重交通志摩線は、1964年2月に三重交通から鉄道部門 北勢・三重・松坂・志摩の4線が独立会社となり三重電気鉄道㈱として新発足した。訪問したのはその直後であり翌年には近鉄志摩線となり、更に1970年4月には改軌され近鉄鳥羽線から賢島まで直通運転され、結局志摩線は近鉄標準軌に飲み込まれてしまった。

こうして目まぐるしく変貌して行った三重電鉄志摩線を常夜燈さんのローカル私鉄の今昔で拝見すると、三重交ツートンカラーが近鉄マルーン一色になった小型電車はいかめしい近鉄電車風に見え、更に改軌で何もかもが消滅してしまったようだ。

鳥羽から賢島まで素晴らしいツートンカラー(クリーム/グリーン)に塗られた小型電車が走っていた時代の光景は今では想像もつかないことでしょう。

下校時間の鵜方駅風景   1964.07.07


旧型の車体更新車 モ5210形  中間部がクロスシートになっている. 鵜方

貨物ホームに貨車が止まり混合列車も走っていた. 鵜方

ク600形+モ5400形 珍しい垂直カルダン駆動部は地元神鋼電機製 志摩神明ー賢島

ク600形+モ5400形 志摩神明ー賢島
非舗装の道路と埃まみれの草木がどこでも当たり前の時代であった。

ク600形+モニ551形 志摩神明ー賢島

モニ551形+モ5210形 船津  志摩神明ー賢島
沿線車窓風景は至って平凡で期待外れであったが荷物室付電車モニ4両の存在が魅力的であった.

2015年1月22日木曜日

志摩線の賢島へ向かう 3

鳥羽駅 右手へ海に向かって線路が終わる.1964.07.06

到着した参宮線鳥羽駅は、現在の近鉄志摩線に占領された鳥羽駅と違って目前に静かな海が拡がる情緒ある終着駅であった。こんな風景も今では海が埋め立てられ道路や観光ホテルが立ち並ぶ。現在のJR参宮線の線路は駅の片隅に追いやられてしまったようだ。

ターンテーブルで向きを変え発車を待つC57

海と島を背景にした蒸機列車
鳥羽駅全景.反対の鳥居の脇から志摩線の電車が発車する.
国鉄鳥羽駅の端っこで鳥居の脇から出ていた三重電気鉄道志摩線.
ここから賢島まで1時間掛かる
鳥羽を発車したモ5210形+モニ551形 鳥羽

2015年1月20日火曜日

志摩線の賢島へ向かう 2

関西本線の亀山から南紀を回り和歌山市までが紀勢本線となるが、この本線は極端に本数が少なかった。それに比べると亀山から紀勢本線を経由し多気で分かれ鳥羽へ向かう参宮線の方はずっと本数が多かった。
亀山でキハ35単行に乗って鳥羽へ向かうと、これが紀勢本線かと驚くばかりのローカルムード溢れる路線に一変。この先にある津、松坂、伊勢市などでは参宮線に頼らず名古屋から宇治山田へ向かう近鉄が生活の足であったのだろう。
近鉄を横目に走る国鉄参宮線は裏街道の感じであったが、伊勢市の先に二見浦、鳥羽、賢島など国鉄でないと行けない伊勢志摩の名所があり、参宮線はここに存在価値があったのだろう。

鳥羽行キハ35単行は紀勢本線「多気」で分かれ参宮線に入る.

C57が牽く混合列車が停車する多気駅.周辺はのどかな風景が展開する.1964.07.06

二見浦で降りたが海岸沿いはまだ先であった.

亀山-鳥羽間の参宮線には蒸機客列車が何本も走っていた。二見浦

鳥羽の手前で穏やかな海岸線が開ける

波静かな入江を行く準急気動車 鳥羽

各停キハ35の単行 鳥羽
こんな海辺の風景の現在は、参宮線、近鉄鳥羽線、伊勢二見鳥羽有料道路が走り、ハイテク工場が立つ風景に一変したようだ。