案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2021年3月19日金曜日

消えた上町(かんまち)線

 3月20日発売の鉄道模型趣味(TMS) 4月号の"失われた情景"第22回は鹿児島市電です。
かっては市役所前から清水町まで2.2kmの上町線(1985年廃止)が走っていた。

撮影:1967.03.01






志布志から海潟に出て桜島の袴腰を後に連絡船で鹿児島港へ向かう。


桜島の噴煙を望む大学病院前。
左手前が当時の鹿児島大学医学部附属病院で右手に鶴丸城址の堀が見える。


鹿児島大学医学部附属病院がある大学病院前。


薩摩義士碑の前のカーブを行く清水町行の300形。
ここから専用軌道となり、勾配を登り鹿児島本線をオーバークロスする。

左手に西郷隆盛終焉の地がある「岩崎谷」電停。すぐ下を鹿児島本線が走る。


鹿児島本線を超えると鹿児島の城下町「上町地区」が前方に開ける。

2021年3月16日火曜日

頸城鉄道のホジ3

ホジ3の客扱い扉のご質問がありましたので。掲載します。 


浦川原で発車待ちのホジ3。1968年夏 


乗車ホームの反対側にも客扱い扉があります。1962年夏


ホジ3の車内で、客扱い扉の取手が両側に見えます。


くびき野レールパークの保存車 撮影 Yamazakiさん  2010.10.30




扉の脇にあった車掌用の小箱。1970.11.2

2021年3月15日月曜日

御坊臨港鉄道 リニューアル

以前紹介済みの御坊臨港鉄道ですが、曇天のせいか現像のせいか薄くて最悪のネガでした。

そこで再々度設定を変えてスキャンしてみました。画像は全て長辺2048pixです。

撮影:1964.7.9 
終点日高川の殺伐とした風景。


日高地方の家並みを行く気動車。


下校時間になると紀伊御坊にいた荷台付キハを増結して40801+308で御坊へ向かう。高校生が荷台まで溢れている。1964.07.09

御坊臨港鉄道キハ40801が発車を待っている紀伊本線御坊駅。1964.07.09


2021年3月7日日曜日

西大寺鉄道 広谷駅


 


1962年7月29日 この日の訪問記を調べてみると、西大寺鉄道と並走する全通間近い赤穂線の新しい軌道のことが書いてあった。これまで気付かなかったが赤穂線は広谷あたりで最も接近している。そこで写真を改めてみると洗濯物の向こうに新しい軌道が見える。


1962年9月1日赤穂線全通の数日後、9月6日に西大寺鉄道は廃止となった。

左手遠方に広谷を発車した気動車キハ6が見え、右手に西大寺の草ボウボウ線路の向こうに並走する赤穂線の新軌道がはっきりと分かる。この時の記録によれば新軌道でD51の重連が何か作業をやっていることが書かれていた。新軌道の試運転かバラスト硬めなどをやっていたのだろう。
58年前の遠い昔のことをネットで調べると、ほぼ同一日にここでD51を撮っていた鉄道ファンがいたのには驚いた。


左手部分拡大で広谷を発車したキハ6が見える。


広谷を発車し西大寺市へ向かうキハ6。