鉱山用ゴンドラが見える観音下~倉谷口 1970.11.03
昭和37年の尾小屋鉄道.1962.08.01
遡ること8年、昭和37年は日本鉱業が尾小屋鉱山閉山と同時に傘下の尾小屋鉄道から撤退している。この夏はまだ車両に日本鉱業の社紋◎をつけていて、なるほど鉱山鉄道かと思ったが、それらしきイメージの施設は鉄道用ではなくトラック輸送用に使われていて、それらしき貨車もこの時点で皆無であった。
以下は1962(昭和37)年時点の新小松駅の鉱山関係の設備だが当時鉄道用に使われていた様子はなく、トラック輸送の積み替えホームだった。 昭和30年頃に鉱山輸送の全てが鉄道からトラック輸送に切り替わっていたのであった。よく言われる鉱山鉄道の尾小屋は見たことのない昭和30年頃に終わっていたことになる。
以下は1962(昭和37)年時点の新小松駅の鉱山関係の設備だが当時鉄道用に使われていた様子はなく、トラック輸送の積み替えホームだった。 昭和30年頃に鉱山輸送の全てが鉄道からトラック輸送に切り替わっていたのであった。よく言われる鉱山鉄道の尾小屋は見たことのない昭和30年頃に終わっていたことになる。
左手の鉱山積み替えホームと右手に鉱山事務所.
鉱山積み替えホームに延びてきていた国鉄貨物線(手前側)