昭和40(1965)年、夏休みの淡路行は旅の相棒さんと淡路まで一緒でその後のコースは別行動にする二人の折衷案でやっと決定した。淡路まで東海道線ではなくわざわざ信越本線に乗って北陸本線直江津から夜行で大阪へ向かうコースは、とりわけ信越本線長野以遠の蒸機列車を楽しむ大きな目的があった。
初日8月1日は上野発6:24の長岡行鈍行列車に乗って信越本線の旅がスタートした。高崎からは登山やキャンプや避暑に行く若者たちで超満員、デッキに立つのが精一杯であった。
良き時代の上田丸子電鉄。
左の列車が長野に到着した長岡行鈍行のようだ。隣は飯山線のC56
車窓の風景
長野から蒸機鈍行列車と車窓を楽しむ。
柏原(現黒姫)に14:20分頃到着、そこへやってきた上野行急行「白山」。D51重連の急行列車が素晴らしい。田口(現妙高高原)や柏原(現黒姫)からこの「白山」で上野に戻る避暑客が多いのだろう(上野着19:53)。
直江津で北陸本線の大阪行鈍行に乗換え、糸魚川の東洋活性白土の2フィーターを車窓に見て親不知を過ぎる頃から日本海に沈ん行く夕陽を眺める。富山では夜行で大阪方面へ向かう登山客がどっと乗り込んできて車内の客は入れ替わってしまった。
それにしても若者たちが楽しむ夏休みと違って、我々鉄ファンの夏休みはどうしてこんな仕事のような旅をせねばならないのか、ほんとにこれで良いのか悩まされたものだった。
それにしても若者たちが楽しむ夏休みと違って、我々鉄ファンの夏休みはどうしてこんな仕事のような旅をせねばならないのか、ほんとにこれで良いのか悩まされたものだった。