案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2025年8月17日日曜日

多摩湖線 一橋学園

 


夕暮れ時の一橋学園駅.2010年1月

今日はこの画像を探すのに大変に時間が掛かった。2010年はブログを始めた頃で多摩湖線ブログのタイトル画にしたことがある。コンデジではなくマイクロフォーサーズで撮っていた時代で、あれから早や15年が過ぎた。
50年60年前のフィルムカメラ画像は路線名と年代で瞬時に出てくるのに、デジカメ画像は路線ごとに纏めていないので、日付だけが頼りとなる。
今回も日付が分らなかった。

ホッとする駅。
夕暮れが迫ると、静かな駅にふたたび人の流れが戻ってくる。
電車を降り、構内の踏切を渡って改札を出ると、すぐそこに商店街の灯りが待っている。
一日の仕事を終え、家路へと向かう安らぎの時間がある駅。
西武多摩湖線 一橋学園駅 2010年1月




2025年8月16日土曜日

夏の淡路 宇山

淡路交通 宇山駅 1965.8.2

電車は洲本駅を発つと、ガタガタと民家の裏手をかすめるように走り、洲本川を渡り左へカーブするとほどなく宇山駅に到着した。
 
駅長にお断りして構内へ足を踏み入れる。真夏の陽射しに照らされて線路上には垂直カルダン車など様々な異色車両が休んでいた。

駅の待合室の壁には、島まつり案内や、淡路交通労働組合の「ご利用のみなさんへ」迫りくる廃線に関する紙面が貼られていた。

ちょうどこの日は洲本の島まつりで花火大会や盆踊りがある。洲本行のホームでは子ども連れの家族が電車を待っている。きっと洲本の島まつりへ向かうのだろう。笑い声と東京にはいない喧しいセミの鳴き声が混ざり合い、空気は夏一色に染まっている。

ホームのひび割れた壁の向こうは車両工場だ。開け放たれた窓の奥では、さまざまな車両が改造や整備を受け、部品が並んだ風景はまるで模型を組み立てているかのようであった。

作業の合間、工場の人によく冷えた麦茶を飲ませてもらった。ひと口、喉を通ると、全身に涼しさが広がる。短いお礼の言葉を告げ、駅を後にした。真上では入道雲が、海から吹き上げる風にゆっくりと形を変えていた。


RMライブラリー267巻 淡路交通(上)に、この掲示「御利用のみなさんへ」が掲載されている。

洲本行の電車.

塗り壁が剥がれた宇山駅ホームと駅名表示.ホーム一つにも、かつては当たり前のように漂っていた情緒があった.


ホームの壁の向こうは車両工場.


2025年8月15日金曜日

ある夏の日 伊勢八王子

天白川沿いに走っていた廃止区間.西日野-室山  1965.8.5

近鉄八王子線は、西日野から伊勢八王子までは天白川に沿って走っていた。1974年の集中豪雨で天白川が氾濫し、その後、西日野〜伊勢八王子間は廃止となった。廃止前に一度、終点の伊勢八王子まで乗ったはずだ。

けれど、伊勢八王子駅そのものの記憶は残っていない。あるのは、たった2枚の写真だけだった。1枚は、客車の付け替え作業を写したもの。もう1枚は、駅舎の外観。この写真が伊勢八王子駅のものだと気づいたのは、つい最近のことだった。

記憶になく、写真だけが残っている。
それでも、なぜか忘れがたい消えてしまった終着駅 伊勢八王子。


伊勢八王子駅.
白い雲が浮かぶ真夏の空の下.駅の待合室ベンチに横になった二人の人影があり、昼下がりの静かな時間が流れているよう.

写真をよく見れば交換駅風景ではなく、終着駅で客車を付替えしている伊勢八王子駅であった。


天白川沿いを走っていた廃線区間.西日野-室山



2025年8月13日水曜日

ある夏の日の記憶 東和歌山駅前

 



朝の東和歌山駅前 1964.7.10

ある夏の日のこと。
和歌山の小鉄道を訪ねて東和歌山駅前で一泊した。駅前旅館は薄汚く、窓を開けても風が入らない部屋だったが、どこか旅館らしい趣があった。

荷物を預けて外に出た。夕食は、雑多な街角で見つけた「かやくうどん」。店構えは食堂というより、飲み屋に近い。いや駅前一帯がどこか飲み屋然とした雰囲気。

フロに入り疲れた身体をせんべい布団に休みウトウトすると、ひどい蚊に悩まされ、蚊取り線香を出してもらってようやく眠れた。

東和歌山駅前、そこはどこか雑然としていて、でも人の暮らしの匂いが濃かった。