案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2015年9月7日月曜日

烏山線のバッテリ式電車"アキュム"

昨日は大学鉄研OB会で烏山線の"アキュム"を乗りに行ってきました。
このバッテリ式電車はよく知られている通り、東北線電化区間を架線からの電力で走り、非電化区間の烏山線をバッテリ電源で走り、両端駅で補充電するバッテリ式電車です。
烏山線の自然豊かな素晴らしい沿線風景を最新の電車が走るのを是非撮ってみたいものです。
そして静かな電車の快適性は当然でした。

烏山線ダイヤから走行時間と両端駅停止時間を時間軸にして、電池の充電量と放電量と残量の関係がどうなっているかが興味深い。この日の休日ダイヤでは烏山駅で1~1.5h、宇都宮駅停車+架線走行で1h程度の充電時間となる。一日の稼働パターンに対して電池容量の選定など、当然ながら烏山線の稼働パターン(充放電サイクル)に的を絞って開発されているのでしょう。

宇都宮10:03発の人気者"アキュム"  2015.09.06
"アキュム"はこの時間から稼働スタートし電池は前夜に満充電されているのでしょう。

 宇都宮から宝積寺まで架線からの電力で走行している車内表示

15分ほど走行し10:17宝積寺に到着、パンタを下げてここから非電化区間を走る

非電化区間をバッテリ電源で走行している車内表示

宝積寺から35分走行して烏山10:57着 パンタ挙げて補充電開始する
次の宇都宮行12:29まで約1時間半の補充電

烏山駅で充電のための電源設備

架線がないバッテリ式電車 烏山駅

床下のリチウムイオン電池は3+2個のようだ。

"アキュム"の後 旅は烏山の奥にある別次元の世界へ続く
防爆仕様の蓄電池式機関車

2013年12月4日水曜日

昭和の青梅線 昭和幻燈館

朝日新聞(11月28日)に紹介された青梅・昭和幻灯館の「郷愁の鉄道コレクションワールド」を見てきました。
昭和幻灯館は造形作家 山本高樹氏の大型ジオラマ作品(縮尺25分の1)をメインに展示されていたのですが、NHKドラマ「梅ちゃん先生」で山本高樹ジオラマ作品が一躍人気となり館内にあった多くの作品は今全国の展示会を回っているそうです。
そのジオラマ作品に代わって展示されたのが今回の鉄道コレクションで、館内は僅かに残された山本高樹作品「青梅キネマ慕情」等以外は鉄道コレクションで占められていました。懐かしい青梅線・中央線の駅看板、青梅駅ジオラマなど、私が住んだ2年間の青梅昭和40年頃の時代が思い起されました。


昭和幻灯館  2013年12月

昭和40年代の青梅駅周辺を再現したNゲージ・ジオラマ


中央線、青梅線を主とした鉄道コレクションの数々.
先日の下河原線の時刻表がありました.

造形作家 山本高樹氏の作品 縮尺25分の1
「青梅キネマ慕情」夕焼け小焼け明日天気にな~れ.
昭和29年頃の青梅キネマ通り界隈を再現した情景ジオラマ
青梅宿幻想「猫町通り」

青梅キネマ慕情によく似合う青梅線の旧型国電 1965.12.26
昭和40年から2年間お世話になった電車にカメラを向けたのはこの時のみ.惜しい事をしてしまった。

昭和40年の青梅駅  1965.12.26

奥多摩の山並みを望む今の青梅駅 2013年12月

2013年1月1日火曜日

小山機関区



明けましておめでとうございます。
今年も「地方私鉄 1960年代の回想」をよろしくお願い致します。



元小山機関区所属 C50123  小山市駅東公園
 
年末30日にお掃除会のみなさんにより奇麗になった保存機.  2012.12.30

年末に小山のC50に会い、そして42年前の懐かしい小山機関区の扇形機関庫跡を訪ねてみました。
昔ここに小山の扇形機関庫があった. 2012.12.30

あれから42年、小山駅と水戸線の今.
小山駅はすっかり変わり、C50が活躍していた貨物ヤードも廃墟になっていた.

42年前の水戸線列車と入替用C50108. 1970.05.24
背後の小山駅はまだ新幹線開業前ですっきりしていた.

小山の扇形機関庫 1963.03.25 撮影 moro9さん

2012年9月18日火曜日

西国立にあった立川機関区とED16

南武線の西国立駅の脇にあった立川機関区。1963(昭38)年に立川機関区を訪問した目的は0番模型でお馴染みだったED16を撮影することであった。

ED16は、1931(昭和6)年から18両製造され中央線や上越線で活躍し、一部は関西の阪和線にも配属されたが1970年頃までに全機が立川機関区に集結したそうで、青梅線・南武線で活躍していた姿をよく見掛けたものだった。
奥多摩で採掘された石灰石を浜川崎(第一セメント、日本鋼管)や高麗川(第一セメント)まで運ぶ 日本の基幹産業(セメント・鉄)を支える重要な輸送ルートが青梅線・南武線そして八高線であった。
この石灰石輸送列車の牽引を担ったのがED16で、1970年の青梅線奥多摩~南武線浜川崎間では
1日10本も運転されていた。(運転本数はRMライブラリー 鶴見貨物線回顧より)

ED16引退のお別れ列車. 東青梅-河辺 1983.03.20  ED16は3月27日で廃止となった

昭和38年の夏休み明け9月の日曜日、休日の川崎工場地帯の専用線めぐりを国鉄電機撮影に急遽変更し渋谷から西国立へ向かった。事務所におことわりすると簡単に許可が下り、この日のED16とED27の運用を詳しく説明して頂いた。それにしてもこの立川機関区の人達は皆親切で実にありがたかった。

南武線西国立駅の脇にあった立川機関区.  1963.09.08
現在この辺りには巨大なマンションが立ち並んでいる.
南武線西国立駅の脇にあった立川機関区

ED1616

庫内に休むED16群



2時間ほど待ってやっと帰って来たED2714.南武鉄道向けに4両製造された日立製電機




ED2714とED167



親切にして戴いた機関区の皆さん

2012年8月4日土曜日

日本の国づくりを支えてきた石灰石輸送列車

八高線を走るD51が牽く石灰石輸送列車を見たあの1960年代後半は一体どんな時代であったのか、
財団法人セメント協会の日本のセメントの需要の推移 を見ると、ちょうど「いざなぎ景気」「列島改造ブーム」でセメントの国内需要・生産が急激に伸びている時代であった。

日本セメント(旧浅野セメント)埼玉工場が日高市に新設されたのが昭和30年。私が見たあの頃の八高線の石灰石輸送列車は、セメント生産増大の真っただ中にあって国づくりの一翼を懸命に担っていた光景であったということに。セメント国内需要はさらに1990年まで、生産は1996年まで伸び続けた。

その後、1999年に石灰石輸送がトラック輸送に切替わるまで鉄道輸送の時代が続き、高麗川から日本セメント(現太平洋セメント)埼玉工場までの専用線が石灰石搬入と製品出荷に使われていた。
この時の専用線の廃線跡が今でも見ることができる。

川越線に乗って高麗川駅を大宮方面へ発車すると
左に八高線、右に川越線、そして中央に工場専用線跡が見える. 2012.07.31 

高麗川から日本セメント(現太平洋セメント)までの専用線については
H.kumaさんの「太平洋セメント埼玉工場専用線」に素晴らしいレポートがあります。
H.kumaさんの地図によれば高麗川駅からセメント工場までの専用線は下記青線のルートであった。

セメント工場専用線

日本センメントの巨大な煙突に向かって延びる専用線.  クリック拡大

この専用線でよく見掛けた96の貨物列車.  1966.08.05

高麗川 1967.02.03

八高線 東飯能-高麗川 1967.02.03
八高線 東飯能-高麗川 1967.02.03

八高線金子坂を下り高麗川へ向かう石灰石輸送列車.  東飯能-金子 1967.02.13
背後に飯能の街を見て復路の金子坂を登る. 東飯能-金子 1967.02.13

青梅鉄道、南武鉄道の時代にさかのぼると、昭和6年に青梅鉄道から南武鉄道の浜川崎までが繋がり、青梅の採掘場から川崎工業地帯の日本鋼管、浅野セメントまで石灰石の一貫輸送が可能になっている。
1970年の頃はED16が牽く石灰石列車は浜川崎まで10本/日、拝島からD51に換えて高麗川まで8本/日あったという。製鉄とセメントに必要な石灰石を運ぶために集結したED16については別の機会にアップしてみたい。