案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2023年12月3日日曜日

空鉄の写真展

昨日は新宿のニコンプラザ東京で明日まで開催中(日曜休館)の吉永陽一さんの2023「空撮鉄路日誌」を見てきました。今回とても驚いたのは新宿、品川あたりを飛行する旅客機の上から撮影した空撮。

新宿駅上空を低空飛行する旅客機の上にセスナ機を飛ばして狙ったり、
新幹線と旅客機の撮影タイミングをセスナ機から狙う。
単なる旅客機の撮影とは違って空撮鉄路であり必ず鉄道が入る。
その旅客機と新幹線のタイミングはパイロットとの緻密な打合せによるそうで、
もちろん事前の飛行申請の手続きがある。
次回は是非トークショウを聴いてみたい。



左:工事中の渋谷駅. 右:新宿駅サザンテラスの上空.

2023年11月25日土曜日

盛岡駅待合室での仮眠

1966年東北周遊券の旅3日目、仙台で乗車した超満員の青森行夜行列車が盛岡駅に到着したのは深夜2時02分だった。花輪線の一番列車5時25発まで駅の待合室(一晩中開放)で3時間ほど仮眠をとった。
私が眠っている間にこの写真「深夜の夜行列車」を撮ったのが同行者の田辺さんだった。この3時間の仮眠のお陰で私達は花輪線一番列車で向かった先でこの日思い出深い撮影ができた。

 撮影日:1966.3.2
深夜の盛岡駅にやって来た夜行列車C61+C60.



東八幡平駅.
バスか車を利用して駅まで下って来た雲上都市の住民.


雄大な岩手山と松尾鉱業鉄道.



松尾鉱業鉄道が出ていた花輪線大更駅.
ホームには松尾鉱山の鉱山町「雲上の都市」から下りて来た住民が多い.


花輪線ハチロクの名所竜ヶ森.

2023年11月6日月曜日

第4回 鉄道アートサロン写真展

池袋のギャラリー路草で開催中の写真展も、いよいよ明日11月7日が最終日となりました。


11月3日の会場風景


今年はこんな奥山線を出展しました。
「奥山線最後の日」
小さな駅に駅長がいて、小さな電車に車掌がいた。
人に優しい鉄道が終わり、明日からバスになる。
遠州鉄道奥山線 幸町 1964年10月31日

2023年10月31日火曜日

第4回 鉄道アートサロン写真展

 いよいよ11月2日から7日まで 池袋のギャラリー路草で写真展が開催されます。



2023年10月7日土曜日

古典蒸機の模型展

 明後日10月9日(月)まで開催中の古典蒸機模型展。池袋ギャラリー道草 草
NゲージからNナローまで美しい古典蒸機ばかり、全自作でよくぞこれだけの台数を製作したものです。



1/150 Nナロー

1/150 Nナロー

1/150スケール古典蒸機で埋め尽くされたガラスケースが3ケース。


2023年10月1日日曜日

第19回 軽便鉄道模型祭

 行って来ました軽便まつり。
3Dプリンターで作る小物部品、本体が年々盛んになり今や全盛の時代か?
鉄道模型は別世界になってきた。


タイトルは「B級建築設計事務所」 
今年はメンバーが1人増え5人の力作(Oナロー)。メンバーは超モデラーばかり。


3Dプリンターで作られたレイアウト小物。墓石から祭壇まで神社の部品何でもあり。


新作の神社。


会場の様子。


毎年、林鉄と鉱山トロッコの出展が盛ん。


今回、南軽出版から出版された2冊。
蒸機軽便はよくこれだけ纏めたものです。

2023年9月27日水曜日

雄勝線


撮影:1964.8.6
 田園風景。 羽後山田ー貝沢 



雄物川鉄橋。 湯沢ー羽後山田


2023年9月7日木曜日

山形交通三山線 リニューアル


奥羽本線のC57客列車と並ぶ仙山線の素晴らしきED17。
ここ山形で国鉄左沢線に乗換えて羽前高松へ向かかった。
撮影:1966.3.6

三山線を初めて訪問したのは1966年の残雪がある3月初めだった。
東北私鉄めぐりの全てを終え、秋田で奥羽本線の夜行列車 急行「第2津軽」で上野に向かったものの、郡山で朝を迎えるとまた欲が出てきた。奥羽本線を北へ引き返し高畠線が出ている糠ノ目で下車した。郡山からBOX席で一緒だった若い乗客と糠ノ目までどんな会話だったかが思い出せない。

高畠線を撮り終えるとC57の列車に乗って冬景色の中を更に北上、山形で国鉄左沢線に乗換え羽前高松に到着した頃は心細い夕刻であった。国鉄ローカル線から更に奥へ入る三山線は一体どんな路線なのか、しかしこの時は羽前高松近辺の撮影で体力の限界、この先にどんな沿線があるのかは次回の訪問とした。山形駅に引き返しまた夜行列車の急行「出羽」に乗って上野まで爆睡、東北の旅は終わりとなった。帰還して数日が過ぎると東京では地下鉄東西線が中野まで開通したそんな時代であった。

左沢線羽前高松駅のホームの片隅に「三山電車のりば」の看板を掲げて電車が待っていた。けっこう乗換客がいて電車(モハ110形)に向かっていた。 羽前高松


三山線羽前高松のハイライトとなる駅舎。同好ファンが撮影したこの駅舎の改札側と入口側と内部の写真には驚いた。私が撮った羽前高松の駅舎はこの1点のみ。

では、その感動的な駅舎を撮影したUsuiさんに写真使用許可を戴きましたので、素晴らしい情景写真2点を紹介します。   撮影:1974年7月
三山線の改札口側は何とこんなデザインの駅舎で透明ガラスの窓口が見えます。その先に「三山電車のりば」があり、その先の留置線に電車が休んでいる。

三山線の改札口の向こうにあるのが国鉄左沢線の駅舎。なぜわざわざ三山線の駅舎まで必要なのか? と思ったが三山線駅舎の横に掲げた表示を読むと、
"電車にお乗りかえの方で乗車券をお持ちでない方は出札口でお求めの上ご乗車下さい"
なるほど、ホームに面したガラス窓口は左沢線からの乗換え客がここで三山線の乗車券を買い求める出札口だった。
 
果樹園を見て左にカーブすると羽前高松←に到着する。そこへやって来たモハ106


小さな電車モハ106が次の左沢線列車を待つ。


羽前高松を発車すると電車は工場の脇を進み右へカーブして方向を変え間沢へ向かった。
中央の線路は留置線で、左に分かれる線路は左沢線に接続する。



2023年8月15日火曜日

湯野町行の電車


伊達駅前を出た電車は聖光学院前でクルッと向きを変え、東北本線を越えて湯野町へ向かうと明神町まで沿線に人家はなく果樹園と田畑のみ。一直線の道路脇をコトン・コトンかなりのスピードで走る。明神町で道路と分かれて専用軌道に入ると小さな鉄橋を渡り、蔵の横をカーブし温泉町の家並みに入った。湯野町駅に到着した電車は運転手と車掌が入替わり乗客を乗せるとすぐに発車し、雪景色の家並みの中に消えて行った。
福島交通軌道線 1966年12月


明神町~湯野町 1966年12月

1966年の大晦日に訪問した記録や写真によると明神町から湯野町まではカーブがある変化にとんだ専用軌道だった。しかし廃線後の航空写真では軌道跡らしき小径は一直線となっていてツジツマが合わない。この区間の撮影場所で唯一確定できたのは小川を渡るこの一枚↓であった。湯野町を発車した長岡行が小川を渡りその先の直線区間を走って左にカーブすると明神町に到着する筈だ。

夏の湯野町~明神間 1964年7月 撮影:田辺多知夫氏

2023年8月10日木曜日

那須おろしの冷たい風 東野鉄道

 黒羽から代行バスで大田原へ戻る途中、車窓に見えた那須連山を望む運休区間が素晴らしい風景であった。この日検査を終えた元津軽鉄道のDC機関車が試運転でここを走ると聞き暫く待機していたがDC機関車はやって来なかった。
台風で破壊された蛇尾川の橋梁は大田原駅のすぐ近くにあり懸命な復旧工事が真っ盛り。大田原で客数人を乗せた区間運転のキハ501を撮りながら西那須野に戻ると日がすっかり落ちていた。44年後の2010年12月に黒羽近くの廃線跡を訪ねると、那須連山から吹く冷たい風と風景はあの時のままであった。

撮影:1966.12.30
検査上がりで出てきた元津軽鉄道のDC202。黒羽 


運休区間にあった中田原駅。

西那須野~大田原間を一日6往復するキハ501。

影が長くなって日が暮れ始めた頃。西那須野近く


茶臼岳から連なる那須の山並みを背景に大田原へ向かう廃線跡。白旗城址前停留場はこの辺り。2010.12.8

黒羽へ向かう廃線跡。  
廃線跡(道路)の先を右へカーブすると元黒羽駅に到着する。黒羽の町には那珂川が流れ、対岸に那珂川沿いに八溝山へ連なる山並みが続く。2010.12.8

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以上はTMS933号に掲載した「地方私鉄 失われた情景」第4回の後編で現在発刊の準備中です。前編はこんな↓でした。

1966(昭41)年の12月、東北本線西那須野から出ていた東野鉄道を訪問すると、台風で破壊された蛇尾川鉄橋の復旧工事中で大田原から終点黒羽まで運転休止中であった。代行バスに乗って黒羽駅に到着すると駅はひと気がなく静まり返っていた。
那須の山並みから吹いてくる12月の冷たい風、青空の白い雲、日が傾き始めた午後の日差しがさす構内には元2軸ガソリンカーの客車、津軽鉄道からやってきた奇妙なDC機関車、元国鉄気動車などが点在し、けだるい眠くなるような黒羽駅であった。正月明けには復旧して元の黒羽駅に戻ったようだ。



2023年7月17日月曜日

夏の清里

清里と言えばあれから50年。あの頃華やかだったアンノン族も今や70代へ、あの女性たちのお孫さん世代が闊歩する今の清里。先日、清里の駅から奥に入った清里フォトアートミュージアムを訪れてみた。


この夏の清里駅。



ディスカバージャパンで賑わった清里駅 1971.8.15

清里フォトアートミュージアムで開催中の写真&ジオラマ展。




初めて見た鯉江さんのアメリカン(1930年代)Oナローの全貌。6つのセクションを結合させたレイアウトで運搬が大変だったと思います。背後の写真はO.ウインストン・リンク氏の1950年代の夜のアメリカン蒸機で、写真展とジオラマが一体となった展示であった。



E200形ハイブリッド式(シリーズ方式)気動車。野辺山
昔のDF50流に言うと電気式ディーゼルカー。