案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2021年10月9日土曜日

日光駅前

快晴の先日、東武スペーシアに乗って日光に行ってきました。 
撮影は全てiPhone12です。

美しい青空と山並みを背後に東武日光駅(左奥)とJR日光駅前(手前)  2021.10.4


JR日光駅改札口


駅舎2階の向こうに見える古河機械金属の倉庫。
その先に東武日光線。


かって古河電工精銅所からやってきた貨物列車が積替え行っていた場所で、手前の空地には昔大きな建屋があった。その先の建屋がJR駅舎2階から見えた古河機械金属の倉庫。
右手は東武日光線。

国鉄日光駅構内の脇にあった古河鉱業(1989年に古河機械金属に社名変更)
 日光倉庫 1963.07.14 撮影:青蛙氏

JR日光駅の脇から延びていた小路を進むと東武日光駅に出た。写真は東武日光駅側からJR日光駅を見る。日光軌道線のループ線に間違いないでしょう。

国鉄日光駅前を発車しループ線を
東武日光駅前に向かっていた日光軌道線。撮影:田辺氏


元日光軌道線電車が展示されている東武日光駅前。


大通りを走っていたかっての軌道線を彷彿させてくれる。

日光金谷ホテルギャラリーの外に朝の陽がさす。
ここに日光軌道線のジオラマが展示されている。


日光金谷ホテルギャラリー。


TMS第30回レイアウトコンペ努力賞 Nゲージ日光軌道線。
TMS今年6月号(No.953号)に製作記事が紹介されています。



2015年7月18日土曜日

東武日光軌道線 ED602の今

元国鉄ED4010に復元された東武日光軌道線ED602の今を大宮鉄道博物館で改めて眺め、ノーマル電機E611の貨物列車が走っていた風景をこのバケモノ電機ED602に置き換えて当時の日光街中の光景を想像してみました。

元国鉄アプト式に復元され展示中のED4010. 大宮鉄道博物館 2015年7月

日光軌道線の降坂では運転室のない第1端側を前面にして降りてきた. 

銘板下の小さなステップに案内人が乗った.
日光軌道線では登坂時に運転室がある第2端を前に推進押上げ、降坂時に運転室のない第1端側を前に牽引という運行であった。

廃線間近の頃、ED611が牽く貨物列車が日光駅へ下る風景. 1967.12.21 撮影:田辺氏

屋内展示のせいでよけい巨大に見えるこんなバケモノ電機ED602が観光都市日光のど真ん中こんな風景を昭和30年頃まで走っていたことになる。もしこれが今走ったら大変な生きた文化遺産、観光資源になることでしょう。

日光軌道線では運転室がある第2端を前にして推進押上げていた.

外されていたラック台車が元のかたちに戻された美しい下回り.

昭和30年頃まで活躍したED602.ロッド駆動のサイドビューが魅力的. 清滝電車区 撮影:青蛙氏

参考: RM LIBRARY 第148巻 国鉄アプト式電気機関車 小林正義 著 ネコ・パブリッシング発行

2015年7月3日金曜日

日光軌道線 登りつめたところが馬返駅(続)

前回の「登りつめたところが馬返駅」の続編を。

今、クルマでふらっと日光へ遊びに行ったところでお決まりのお立ち台でお決まりの景色を眺め、お決まりの人だらけの休憩所で昼を食べ、疲れるだけで何も感動はないでしょう(目的あって下調べして行く旅は別として)。
東京から東武ロマンスカーに乗り日光駅前で路面電車に乗換え、途中下車して徒歩で観光しながら終点馬返でケーブルカーに乗り換え中禅寺湖へ向かう。もしもこんな昔の日光の旅ができたら交通手段そのものも楽しみにになることでしょう。そうなれば、朝思い立ってカメラ一つ持って新宿へ行き東武ロマンスカーにふらっと乗って日光へ向う、私はこんな日光の旅がしてみたい。
コメント欄に皆さんから昔の日光の思い出をいろいろありがとうございました。



 撮影:田辺多知夫氏 1967.12.21 

 日光駅前から高低差305mを登って馬返駅に到着しケーブルカーに乗り換える.
乗客の姿が見えず、この頃すでにバス輸送の時代だったのでしょうか.

中禅寺湖へ向かう乗客はここでケーブルカーに乗換え明智平に登り更にバスに乗換えていた。この後の第二いろは坂の完成(昭和40年)とマイカーブーム到来で、日光軌道線とケーブルカーの連携輸送は役目を終え、馬返-明智平ケーブルカーは軌道線廃止2年後の1970(昭45)年に廃止された。


 坂を登りつめるとまもなく終点馬返に到着する.

未舗装路の片隅を走る
この辺りは花巻電鉄軌道線のイメージがする泥軌道.
山岳路面電車の沿線には様々な表情があった.

2015年6月28日日曜日

日光軌道線 トロリーフレイト

先日、日光軌道線は一旦終了のつもりでしたが、その後青蛙さんから貴重な画像の追加提供があり、貨物輸送で活躍した車両の紹介(画像)をしてみます。鉄道ピクトリアル「私鉄車両めぐり第3分冊」に日光軌道線のトロリーフレイトや貨物輸送の詳細が書かれています。



小林茂氏が書かれたこの記事によると、本格電機+国鉄貨車の直通車扱いに対し、貨物積換え中継の貨物輸送をやったL形電動貨車+付随貨車のことをトロリーフレイトと言っている。
日光軌道線の貨物は清滝の日光精銅所の貨物輸送であり、昭和19年の国鉄貨車直通乗入まではトロリーフレイトが主力であった。
L型単端式の電動貨車は大正8年製テト30形30~39と昭和18年増備のテト40形40~48があり、いずれもL形電動貨車+付随貨車の組合わせで、これがカーブ緩和工事前の軌道線急カーブを走っていたのでしょう。

戦後は国鉄日光駅構内にある古河の倉庫、貯炭場、油槽と工場間の小輸送に仕業し、日光駅ではループで、清滝では三角線で方向転換している。最近は自動車輸送に切り替えて、貨物輸送は直通扱貨物だけに限られ、積換中継のトロリーフレイトは残念ながら廃止され、テト40の1組を残して全車廃止となってしまった。
という記載があり、記事が書かれたのが昭和37年、この少し前昭和30年頃まではトロリーフレイトも走っていたと想像される。

小さなL形電動貨車+付随貨車(ボギー)1両が日光駅前ループ線や神橋の急カーブを走っている光景を想像すると実に楽しくなってくる。

 撮影:全て青蛙さん 1963.07.14 

トロリーフレイトの主力だったテト40形L形電動貨車.  清滝電車区
テト40 1両だけが事業用に残されていた.

古河電工精銅所には工場内搬送用に2両のL電がいたのでその2両でしょう。1963.07.14
よく見るとこの場所は国鉄日光駅。 役目を終えたこの2両はそれまでここで作業していたのか?
古河鉱業(1989年に古河機械金属に社名変更)、古河電気工業(1920年に古河鉱業を母体に設立)

貨車を電装化しただけの感じ.背後の築堤は東武本線


以下は本格電機

昭和30年まで活躍したED602.ロッド駆動のサイドビューが魅力的. 清滝電車区

片側に運転台無しはこの電機のゲテモノぶりのハイライト.
後進で日光駅に戻る時はこのステップに案内人が乗って下ってくる.

運転台側も異様な顔をしている.

廃線まで活躍したED611+国鉄貨車

清滝の駅と古河電工


参考:鉄道ピクトリアル増刊 「私鉄車両めぐり第3分冊」1962年 

2015年6月22日月曜日

日光軌道線 国鉄駅前のループ線

1964(昭和39)年に廃止された国鉄日光駅前のループ線。軌道線ならではの急カーブで駅前に敷き回されたループ線は軽便鉄道の線路のような楽しさがあり気になるところ。青蛙、田辺両氏が撮った写真とループ線図とをつけ合わせてみました。

東京オリンピックが開催された昭和39年、観光都市日光の表玄関に古びた路面電車がたむろしていたのではみっともないが廃止理由の一つだったようです。今だったら日光にふさわしい光景になるのですが。
東武日光駅前の軌道線「のりば」の方はどこから乗っていたのか時代とともに変化したようです。
そして超急カーブの軌道線に国鉄貨車が入ってくる貨物線をうまく配置させたものですね。

国鉄日光駅前のループ線. はおおよその撮影位置を示す

撮影  A 青蛙氏   T 田辺氏

 1963年7月 A
東武日光の駅の脇に軌道線ホームがあり貨物線につながる.右手軌道がループ線につながる.

 1967年12月 T
東武日光駅脇の軌道線のりば

③ 1963年7月  A
日光業務部建屋の先にある留置線(旧車庫).背後に歓迎日光のアーチが見える.

 1968年2月  A
東武日光駅の先を国鉄日光駅に延びる貨物線(左手)とループ線(右手)

➄ 1963年7月  A
国鉄日光駅前.写真の感じと違って軌道と駅舎の間にはかなりスペースがある.

  1964年7月  T
国鉄日光駅前.歓迎日光市のアーチがある道路を直進すると東武日光駅に出る.

 1964年7月  T
国鉄日光駅前を発車した電車は商店の片隅を縫って東武日光駅に向かう.

1967年12月  T
かっては日光駅前で軌道線に乗れば素晴らしき山岳路面電車の世界に引きずり込んでくれた。小学生時代に初の修学旅行でこの軌道線に乗った子供達にどんな思い出が残されたでしょうか。昭和30年頃に「いろは坂」が改修され私の時代の修学旅行は上までバス利用だったようでたいした思い出も残っていない。

2015年6月16日火曜日

日光軌道線 山岳電機 町中を行く

日光軌道線の貨物輸送は国鉄日光駅から国鉄貨車をそのまま清滝にある古河電工まで運び、日光駅での積み替えなしで輸送されていた。昭和22年に山岳電機ED600形(元国鉄アプトED40形)2両が導入されたが、元アプト式のため運転台が片方しかなく貨車の最後部に連結してプッシュ登坂し、帰りは機関車の背中側を先頭に坂を降りてくる。こんな異様な光景はさぞや見ごたえがあったことだろう。

昭和30年に新鋭の山岳電機ED611が導入され、登り下りとも機関車が先頭について牽引するまともな列車編成となり貨物輸送の効率化が図られた。

日光軌道線は馬返までの9.6Kmは平均32‰、最大60‰と勾配につぐ勾配で、東武日光駅を出るとすぐに神橋まで最大で58‰の急勾配を登る。電車も凄いが、新旧の山岳電機もよくこんな急勾配の併用軌道を登坂したものである。路面電車のきついカーブ(改修はしてあるが)や軌道(レール)のねじれなどで脱輪など起きなかったのだろうか。

  撮影:田辺多知夫氏 1967.12.21

町中を走るED611貨物列車、東武日光駅前を出るといきなり最大で58‰の急勾配を登る

警察署前で交換

写真をよく見るとこの大通りがいかに急坂であったかが分かる.
この区間の勾配は最大で58‰

参考:鉄道ピクトリアル増刊 「私鉄車両めぐり第3分冊」1962年 

2015年6月15日月曜日

日光軌道線 1枚の写真から2 

青蛙さんから興味深い1枚の写真の提供がありました。

東武日光駅に佇むED602(元国鉄アプトED40形)
   1968年2月  撮影:青蛙氏

手前の日光軌道線から1本の線路が東武日光線へ向かい、そこから国鉄日光線を越えて国鉄駅貨物駅へと繋がっていた。時は1968年2月、1枚の写真からいろいろなことが読み取れます。

軌道線日光駅の貨物線とループのイメージ図.鉄道ピクトリアル誌 1962年