案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年3月31日木曜日

鹿島鉄道 最終日

筑波鉄道の最終日1987(S62)年3月31日から20年が経った2007年3月31日、
筑波山の反対側にある石岡では、鹿島鉄道(元関東鉄道鉾田線)が最後の日を迎えた。
この日は筑波鉄道最終日と同様大変寒い一日で、桜が咲き始めた頃 鹿島鉄道も消えて行った。
石岡22:10発の鉾田行最終列車を見送りに行ったが、鹿島鉄道は筑波鉄道とは較べものにならないくらい人気があった。

石岡を出発する鉾田行き最終列車。  2007.3.31


石岡駅のセレモニー     2007.3.31


石岡駅の左手には筑波から連なる山並みが。  2007.3.8


最終日の鉾田 2007.3.31

遠い昔の石岡駅風景   1966.8.28

2011年3月27日日曜日

北陸鉄道 石川線の車両

尾小屋鉄道の新小松駅を撮った後、北陸鉄道能美線が出ている北陸本線寺井へと向かった。
ここから能美線で鶴来へ出て石川線を撮ったのが、前回アップした能美線と、石川線鶴来である。
雪の加賀平野を突っ走る石川線の車両達は、どれもこの時代の地方私鉄らしさに満ち溢れていた。


モハ5101   西金沢

モハ5103

モハ3700型(元名鉄各務線)

個性豊かな田舎電車 モハ3703+3704   鶴来

モハ3703+3704

モハ3701  西金沢


クハ1721  西金沢


モハ3712   鶴来


ED311  鶴来

2011年3月20日日曜日

最後の筑波鉄道 常陸北条

筑波駅を過ぎ土浦方面に走ると、お馴染みの筑波山を背景にした有名撮影ポイントに出る。
陽がさんさんと当たるこの丸出し筑波山は、真壁あたりの北方から見える情緒ある筑波山とは対称的である。
次の駅 常陸北条はゆったりとしたスペースに配置された大陸的な駅で、模型のストラクチャーガイドなどに紹介される国鉄ローカル駅のような雰囲気があった。

筑波山をバックに行く。 筑波 - 北条 1987.3.8

国道125号線から見た常陸北条駅の全景   1987.3.14
北条大池の桜、子育観音で有名な慶竜寺(泉子育観音)がある。


常陸北条  1987.3.14


日中は乗客も少なく駅前はひっそりとしていた。


上りホームと駅本屋

下りホーム



常陸北条 駅前風景

2011年3月18日金曜日

最後の筑波鉄道 筑波の車両

1987(S62)年3月31日 筑波鉄道は最後の日を迎える。
その直前の光景も終わりに近づいてきた。

廃線まで残り少ない日々。  筑波  1987.3.22
3月22日の新聞

筑波鉄道の車両。
キハ503 1959(S34)年日車製 筑波 1987.3.22
キハ762(元雄別鉄道)   真壁 1987.3.28

キハ821(元国鉄)  東飯田 1987.3.28
最後の筑波鉄道を乗りに来た地元のお客さんで賑わう。


バケット付のキハ541(元北陸鉄道能登線)  真鍋  1987.3.14


左:キハ461(元国鉄キハ04形)    真鍋


キハ511(元江若鉄道)、 キハ811(元雄別鉄道) 真鍋

2011年3月16日水曜日

筑波鉄道 昭和47年の春

廃線となった1987(S62)年3月の15年前、1972(S47)年の筑波鉄道の真壁駅と筑波駅。
この10年前に真鍋で見たキハ401やホハフ201など、まだまだこんな旧型車が活躍していた
ローカルカラー満点な時代であった。

真壁駅の賑わいとキハ811(元雄別鉄道)  1972年春

石材加工の町 真壁の駅前。1972年春

石灯籠が今も残る元駅前。右手に駅があった。 2011.2.25

筑波山を背にした真壁駅


キハ401  真壁

筑波山とホハフ201   筑波駅

筑波駅

2011年3月14日月曜日

島原鉄道

本日、東京都の計画停電は刻々と変わり、練馬区の一部地域は本日停電あり→なしとなった。
スーパやコンビニの店頭の光景を見ると不安をあおられるが、被災地でもないのに何故買いだめをするのだろうか、つられて買ってはいけない。

春を待ち長い間アップするのを待機してあった島原鉄道第二回目、
1967(S42)年春の島原の風景をアップしてみます。

島原外港駅。 この先を加津佐まで走っていた。   1967.3.3


島原外港を出発した加津佐行き列車。

島原武家屋敷跡。

島原武家屋敷跡。
島原城から見た島原湾。

島原城から見た島原湾。

2011年3月10日木曜日

京福電鉄 永平寺から東尋坊へ3

福井からやって来た三国港行きの電車(ホデハ1003)に乗り三国港へ向かう。 西長田

終点 三国港駅  1968.1.14
ひっそり静まり返った駅前。
駅の向こうは九頭竜川河口と漁港で、遠くに越前の山がかすかに見える。

海辺の民家の間を列車が行く。  三国港

三国港駅 ホデハ1003+ホサハ61 と ホデハ1002

荒れ狂う冬の日本海。向こうに東尋坊が見える。


冬の東尋坊。 波が高くて断崖でなくなっている。

三国港から東尋坊へ向かう日本海は、荒波がしぶきとなって陸に吹き上げていた。
東尋坊へ向け歩いていると全身潮をかぶり、メガネは全く見えなくなる。
30分程でたどり着いた東尋坊は近代的な展望タワーが場違いな感じ。荒れた海で多くの店は戸を閉ざし観光客も数えるほどであった。
夕方、芦原温泉へ向かい落着いた旅館で温泉にたっぷりと浸かり身体を温めた。


京福三国芦原線 芦原付近 1968.1.15
翌朝は一面の新雪、京福三国芦原線が不通になり国鉄三国線に乗り金津へ出た。


京福と国鉄三国線(芦原~金津) が隣り合った芦原駅 1968.1.15


雪にまみれた永平寺線金津駅