案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2026年8月7日金曜日

横浜駅前1964年

1964年10月10日
この日は東京オリンピック開会式があった歴史的な日。秋晴れの青空の下、記念乗車券を求めて横浜に向かった。その時の相模鉄道、横浜市電のオリンピク記念乗車券が今も手元に残る。

あれから62年。空が広かった横浜駅と街並みもすっかり変わり当時の面影は何もない。2軸単車が走っていた当時の横浜は、ジブリの「コクリコ坂から」 1963年5月とちょうど時代が重なる。

(AIカラー化画像)

 








2023年7月15日土曜日

コクリコ坂から 昨夜再び

昨夜のテレビ放送。 
「コクリコ坂から」 1963年5月、横浜。
横浜市電の2軸電車が通り過ぎるほんの一瞬の場面。




麦田町の本牧トンネル. 1963.5.3

2022年9月23日金曜日

桜木町駅


大岡川

先日、桜木町駅に下車したところ、余りの変貌で昔の横浜市電の軌道と国鉄の位置関係が全く分からなかった。昔の地図と写真を付けあわせて、かっての位置関係を割出してみようと取りあえず写真を並べてみた。


1961~1969年の桜木町駅と道路

桜木町東口の駅前風景との市電電停 1963年。
スタジオジブリ作品の公開場面8作品、合計400枚提供の中から
コクリコ坂50枚の1枚(ジブリの公式サイトより)
現在の桜木町東口の駅前はこの辺りに横浜桜木郵便局のビルが建っている。



桜木町東口の電停を発車して海に向かうとすぐ弁天橋を渡り本町通りに出る。1963年

以下3点は撮影:田辺多知夫氏
桜木町西口の16号線上にも電停があった。1963年
北方に東横線の駅があり、右手根岸線高架との間にできたのが現在の旧横ギャラリーでここが鉄道発祥の地となる。


市電電停「桜木町駅前」を出ると根岸線ガードをくぐりその先で大江橋を渡る。1963年
また、根岸線ガードの手前で左に分岐し急カーブして桜木町東口の駅前に出るとそこに電停があった。


殺風景な桜木町西口の大通り(16号線) 1963年
手前の高架の先に東横線の駅が見え、根岸線ホームは左にカーブしている。

2022年5月1日日曜日

ある時代の横浜風景

すっかり変わった今の横浜を見て昔の横浜風景を思い出してみました。


みなとみらい地区 2022.4.23
かつて横浜機関区があったところ。

1963年5月、横浜市電を撮る前に横浜高島町の高島駅(貨物)の一角にあった横浜機関区を訪問してみた。横浜~桜木町間の高架を行く東横線を挟んで横浜市電の反対側に横浜機関区があり、扇形機関庫の中にC56が3両休み、外には火を入れたC56が1両が待機していた。庫内のC56の2両は休車であった。
関係者の話では年内には蒸機は消えDD13に切り替わるとのことで、大変な数のDD13が入線していた。横浜機関区の蒸機が最後を迎えた1963年5月のことであった。


扇形機関庫に休むC56.2両は休車であった. 1963.5.3


C56に代わって主役がDD13に移行しつつある時代.1963.5.3

以下は撮影:田辺多知夫氏

その翌年の横浜機関区のハチロク. 1964.12.6


横浜東口駅前の国道と市電. 1964.12.6


現在の横浜東口駅前.2022.4.23


横浜市電 杉田米軍住宅を行く. 1967.2.4


横浜市電 間門電停.1967.2.4

2020年8月25日火曜日

1963~1964年の横浜

 1964年東京オリンピック開催式の10月10日は横浜へ記念乗車券を買求めに行った。 その前年が先日テレビ放映された「コクリコ坂から」の舞台となった1963年5月の横浜だった。


使用許可されたスタジオジブリのコクリコ坂画像50枚より
1963年の横浜風景。



2020年8月16日日曜日

1枚の写真から 1963年横浜

撮影:田辺多知夫氏
横浜市電 保土ヶ谷橋 1963.12.18
国道1号線を行く市電と丸いバス。この1枚の写真(1963年横浜)からスタジオジブリの映画「コクリコ坂から 1963年5月、横浜」 のことが思い出されます。

使用許可されたスタジオジブリのコクリコ坂画像50枚より
1963年の横浜風景。
桜木町駅前

架空の「西の橋」電停


↓ 企画・脚本 宮崎駿さんのメッセージ一部。「コクリコ坂から」公式サイトより 2011年夏
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「コクリコ坂から」は、1963年頃、オリンピックの前の年としたい。47年前の横浜が舞台となる。団塊の世代が現代っ子と呼ばれ始めた時代、その世代よりちょっと上の高校生達が主人公である。首都高はまだないが、交通地獄が叫ばれ道も電車もひしめき、公害で海や川は汚れた。1963年は東京都内からカワセミが姿を消し、学級の中で共通するアダ名が消えた時期でもある。貧乏だが希望だけがあった。新しい時代の幕明けであり、何かが失われようとしている時代でもある。とはいえ、映画は時代を描くのではない。
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宮崎駿さんがイメージした1963年頃の横浜にはこんな風景があった。
以下は田辺さんが撮った1963年横浜から。

 

横須賀線/東海道線 保土ヶ谷-戸塚 1963.12.18
高台に団地ができ始めた頃か起伏ある沿線に住宅はまだ少ない。
横須賀線で悲惨な鶴見事故があった1ヵ月後。

横浜市電の横浜駅前 1963.7.30

市電が走る市内風景1963.11.1

杉田の民家. 1963.5.3  撮影:風間

横浜高島町の高島駅(貨物)の一角にあった横浜機関区 1963.7.30
ここでC56とハチロクが自由に撮れた。田辺さんも私も同じでその殆どが機関車のドアップで周辺を写し込んだ写真は少ない。私はこの年ここで初めてC56の実車を見て感激し周りの風景などには全く目が向かなかった。

蒸機からDD13へ移行中の時代. 1963.5.3  撮影:風間

横浜機関区

2011年8月26日金曜日

横浜市電の車両


横浜市電の4輪単車に惹かれて ボギー車含め戦前、終戦直後生まれの古参車両を並べてみました。
廃車体800形を除き、昭和30年代後半の横浜市電では、こんな古参車両を見ることができた。

撮影日 特記なしは1963年5月3日

大正生まれの4輪単車 400形

昭和4年製で4輪単車で最も台数が多い 500形 桜木町駅前

単車500形と600形が顔を揃えた横浜駅前 1964.10.10

 昭和3年製の初の大型鋼製ボギー車 1000形 滝頭車庫

昭和11年製で戦災復旧車 1100形 横浜駅前 1964.10.10   ポップアップ

昭和17年製 1200形 滝頭車庫

昭和14年製の木造4輪単車 700形. 桜木町駅前を出て弁天橋を渡る.

桜木町駅前


戦時設計(200形改)の800形 滝頭車庫


戦災で全焼した500形15両の戦災復旧車 600形 高島町


参考文献: RMライブラリー第120巻 横浜市電(下)