今も世田谷弦巻に住む友人と昔の世田谷の夜は真っ暗だったとの話から思い出したことがある。喜多見の世田谷通りから成城の山(国分寺崖線)にかけて夜になると真っ暗闇であった。道路を走るクルマの灯りも滅多になく街頭もない、点在する家々はまだ蛍光灯ではなく白熱燈だった、テレビもまだ無い昭和25年頃だったと思われる。
喜多見は世田谷の外れで人家も少なかった。喜多見から成城の山(国分寺崖線)にかけて闇夜の中に一際目についたのが山の上のNHK砧放送技術研究所の電波塔の灯りであった。夜道を歩いていると電波塔の先が赤く点滅するのがよい目印になった。近くの工場の浴場を銭湯代わりに使わせてもらっていた時代で、風呂上がりの帰り道、闇夜の中に眺めた電波塔の赤い灯が今も鮮明に記憶に残っている。
この電波塔で1951(昭和26)年からテレビの試験放送が開始されたそうである。
昭和28年の喜多見駅. 狛江市吉原様所蔵
上の写真の10年後も変わってなく、うっそうとした喜多見の木立と成城の山.成城 - 喜多見 1962(昭和37)年12月