案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2025年7月16日水曜日

北勢線 西桑名駅 あれから60年


カラー撮影:2025.7.16

近鉄、JRと並ぶナロー北勢線の線路.桑名
三交カラーで今も活躍している旧200系3連+モハ.

200系の美しい原形 モ202+サ+モ201.1965.8.5
1971年に電装解除された


西桑名駅. 1965.8.5


西桑名駅構内.1965.8.5


現在の西桑名駅の朝.2025.7.16


ナローとしては立派なレール.西桑名駅


立派な40kgレール.


西桑名駅.


終点 阿下喜の風景.


9時過ぎた日中の阿下喜発は1時間に1本しかない.


6 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

西桑名旧駅懐かしいです。構内に車輛が屯してるのもいい感じでしたし、ホームにあったみたらし団子(そのころは東京にはその呼び名はなかった)も美味かった記憶があります。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
随分変わったものです。線路が一本だけの西桑名駅、けど近鉄時代に作られた駅のせいかとても立派でした。終点まで一往復して楽しく揺さぶられました。自然豊かな区間の撮影はとても歩きでは無理で、地元ファンにより撮り尽くされていることでしょう。

U-BOAT さんのコメント...

こんにちは。奇遇ですが、私は6月に仕事で愛知県に行った時に養老鉄道と一緒に乗りに行きました。
軽便鉄道はもう一回り早く生まれていれば、いろいろなところに乗りに行けたはずだったから、せっかく割と近くにあるのだからと思って北勢線に足を延ばした次第です。
桑名駅の乗り場周辺はバスセンターの一体になっていて、ちょっと昭和感があって良いと思っています。
21世紀の現代だから近代化されるべきところは近代化されていて、それがちょっと残念なのかもしれませんが、そうして行かないと一般の旅客が離れていくかもしれないので、必要なことかもしれませんね。
阿下喜駅近くは林の中を駆け抜ける感じで、いかにも軽便鉄道っぽくて好きなのですが、往復乗車して鉄道ファンらしき人が皆無だったのは気になりました。
三岐鉄道が運営していても年間赤字はそれなりにあるようで、北勢線の今後の在り方について検討を・・という記事も最近見つけました。
難しいかもしれませんが、下津井電鉄のメリーベルが導入できないかと思っています。

katsu さんのコメント...

U-BOATさん
楚原で通学客が下車すると、楚原~阿下喜間の車内には乗客がいない感じでした。阿下喜の駅に乗客の姿は見えず、この楚原~阿下喜間は大変に厳しい状況だと思います。
鉄道ファンは阿下喜に居ませんでしたが、その多くは近鉄カラーの旧型電車を撮って引き上げてしまうのでしょう。楚原~阿下喜間を歩いて撮るよそ者は殆どいないでしょう。

モハメイドペーパ- さんのコメント...

ほぼ同じ時期に行っています。桑名に泊まって朝の5連を撮りました。三岐なってからレ-ルは本線部分が40kgに取り換えられています。

katsu さんのコメント...

モハメイドペーパ-さん
朝の5連を狙いましたか、私は朝の通勤・通学客の賑わいを狙ったのですが西桑名駅で思うように撮れませんでした。レールは本線部分が40kgでしたか。