先日、昨年6月16日アップの松尾鉱業鉄道「
栄枯盛衰 松尾鉱山(続)」に興味深いコメントを戴きました。
松尾鉱業鉄道の終点東八幡平からさらに山の上にある松尾鉱山と鉱山町。
その鉱山町に小学校4年生の頃まで住んでいた方からです。
この終着駅から松尾鉱山の町まで、バスに乗ってかなり時間が掛ったそうです。
この写真を撮った1966(S41)年、この方は小学生で「雲上の楽園」と言われた鉱山町に住んでいた頃。
「雲上の楽園」の住まいのこと、閉山後廃墟となった鉱山町のこと等について書かれています。
更にこの上の鉱山町から見る岩手山はどんな風景であったのだろうか。
東八幡平の構内と背後の風景
'10年6月16日「栄枯盛衰 松尾鉱山(続)」のコメント投稿欄より
コメント1
過去、小さい頃まで松尾鉱山に住んでいたものです。
(小学校4年まで)やっとの事であの鉱山鉄道の写真を発見できました。
盛岡の祖母を訪ねるために、必ず利用したこの鉄道と駅舎、そして構内は今でも記憶に鮮明に残っています。鉱山に帰るのに、当時は花輪線の大更で乗り換えて、そして、この東八幡平駅でバスに乗り換えてと随分と時間がかかりました。
今は自家用車で気軽に行き帰りができる距離です。
今は全部取り壊されて、跡形も残っていませんのでとっても貴重な写真でありがとうございます。
閉山後、10年後に友達と遊びに行ったときは駅は貨物車、電車等がそのまま放置されて、雑草に埋もれていていたのをよく覚えています。
コメント2
丁寧なご返事ありがとうございます。
私が小学生の頃は1966-1969年でしたから、もう閉山が目の前でよく語り継がれている戦後から1960年頃の絶頂期とは程遠い衰退時期であったのでしょう。ですから、鉱山鉄道が人で混んでいたという印象は全くありませんでした。
鉱山のガラガラの誰もいない精錬の施設で使われないで置かれていた、トロッコでよく、友達と遊んだのを覚えてます。
私は当時、鉄筋コンクリートの水洗トイレ、スチーム暖房完備のアパートに住んでいました。とっても恵まれていたんですね。
毎年、何度も父と訪れますが、当時と比べて、植物が回帰してきたのか考えられないくらい草がぼうぼうと生えているのは驚きです。でもそれくらい、鉱山の排煙はひどかったということなのでしょうね。
もう鉱山鉄道の当時の写真を見るのは不可能なのかと探していたら、こんな貴重な写真の数々。
本当にありがとうございます。