案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2012年3月13日火曜日

伊予鉄道 41年後の道後温泉駅

先日の1969年に撮った道後温泉駅はその後どうなったのか、最近この駅を撮った鉄仲間の青蛙さんが画像を送ってくれました。41年間であの風景が殆ど変わっていないように見えるのは、駅舎改築や駅の各所改装で昔のイメージを消さないようにいろいろと配慮されているためなのでしょう。

カラー画像と解説 青蛙さん
今の道後温泉駅 2010年8月
屋根を支える曲線の支柱の先の丸い照明灯が雰囲気を醸し出す。石畳やベンチも一新されている。
道後温泉駅 1969年


今の道後温泉駅 2010年8月
駅名の看板や窓の装飾など改装され、より明るいムードある駅舎となったが雰囲気は変わらない。
道後温泉駅 1969年

坊ちゃん列車とかわいい坊ちゃん。
昔赤ポスト脇にあったバス乗場はこんな駅前風景に。

2012年3月9日金曜日

伊予鉄道 道後温泉

昭和44年5月の連休に行った四国の記録を読むと、松山駅に夕刻18:30到着し伊予鉄バスで道後温泉駅へ行き、そこから更にバスで奥道後へ向かい、奥道後遊園地内にあるケーブルカーで山頂にある奥道後ユースホステルに夜遅く到着し一泊していた。

バスを乗り継いだ道後温泉駅では周辺に旅館やみやげもの屋がひしめきあっていて、客引きの素泊まり1500円の宿に泊まって共同浴場で道後温泉を楽しめば良かったのに、何で山奥の奥道後の山頂まで行って泊まったのか不満が記録されていた。
この時の四国行きは鉄ファンではない相棒との観光で、社会人となりもうそれほど安宿に拘る必要もなかったのに何故ユースホステルに泊まったのか。相棒の松山の夜景見たさだったのかもしれない。

翌朝、小鳥のさえずりに目覚めて山を降りて道後温泉へ戻ったところで詳細記録が途絶える。
道後温泉駅から道後公園、松山城、松山駅へと徒歩で巡った行程記録があるが、朝の市内線風景や松山市内の電車風景を撮るための日程だったのだろう。鉄アァンでもない相棒を道ずれにして申し訳ないことをしてしまった。

道後公園の堀沿いを走ると電車は道後温泉に到着する   1969.5.2

道後温泉駅は今も変わらないのだろう.

道後温泉駅
団体客で賑わう道後温泉駅前.この時代はどこの温泉地でも団体が多かった.
団体さんは道後温泉で一泊し翌朝松山市内定期観光バスに乗るのだろう.

呉からやってきた1003.   道後温泉
呉市営交通1000形(1001~1003)   1967.3.7

2012年3月8日木曜日

伊予鉄道 松山市内

40年以上も昔の松山市内線の車両は今も変わらないようです。


西堀端   1969.5.2
 
西堀端
 
大手町駅前

本町一丁目

松山城から見た松山市内

2012年3月7日水曜日

伊予鉄道 朝の松山市内線

呉市電が廃止後1000形1001~1003の3両が瀬戸内海を渡り対岸の松山へ行っているとのことで、松山市内線のネガをスキャンしてみました。
呉市電の2年後1969年5月に撮った松山市内線は初めて見るもの(撮った記憶なし)ばかりで、まずは朝の風景が出てきた。市電に朝陽が当たりアイボリーの車体が眩しい5月の朝の松山市内線であった。


                     公園前 1969.5.2      画像クリックで拡大 


公園前(現:道後公園)


終点 道後温泉に近い道後公園の堀沿いを走る.