案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2015年10月21日水曜日

昭和39年 何だこれは! の金沢5

田辺さんが翌年10月に訪問した北陸鉄道石川線は、あれから1年経ったためかあの「何だこれは!」の驚きの度合いは弱まった感じです。ダブルルーフのモハ3151や田舎電車モハ1501などがまだ活躍していた石川線の新西金沢~鶴来を訪問したようで、まともな電車あり雑多な電車もありの時代であったようです。

そして、この3ヶ月後の12月末に私は能登線、石川線を除く北陸鉄道各路線を一気に駆け巡りました。その後、市内線、金石線、加南線各線が廃線になり、しばらく経って能登線、能美線、小松線が廃線となった。

撮影:田辺多知夫 1964.10.05 

石川線生え抜きのモハ1501  鶴来 

単行の準急白山下行モハ1501  鶴来

モハ3152   鶴来

モハ3004

白菊町行モハ3004   新西金沢
3000形1~5の殆どが金石線に移籍していて、最後は小松線に集結した。

急行白菊町行クハ1001+モハ3201(元加南線)   新西金沢

新西金沢の車庫

小松線モハ551→石川線EB111   新西金沢
山中線の前身である山中電軌が山中 - 大聖寺間の電化に合わせて1912年に新製したデハ2を出自とし、1929年に車体を新製、一斉改番を経て1951年に小松線へ転入したが、1956年には石川線に転出して事業用車となった。(wikipedia)

廃止3年前の金沢市内線と金沢の街

2015年10月9日金曜日

昭和38年 何だこれは! の金沢1

私が北陸鉄道金沢周辺を訪問したのは1964(昭和39)年12月であったが、田辺さんはその1年前の訪問であった。金沢市内線で犀川の橋を渡るとその先に石川総線の「のまち」があって、北陸鉄道の本線なのに物凄い世界があった。その後、電車はあっという間に入れ代わってしまったのでしょう。

撮影:1963.07.13  田辺多知夫

石川線の野町駅で、この頃は市内線がここまで来ていた。
駅が乗客で賑わっていて活気があった時代。

野町駅の先に白菊町へと延びていた線路とED201

石川線のモハ3002準急白山下行で、当時は白山下まで線路が延びていた.
電車は乗客でいっぱいです。

くたびれた電車モハ5104

奇怪な感じがする工場の引込線風景と電動貨車

浅ノ川線でも見たような電車モハ3152が現れる
上と同じ場所に現れたED201
貨物線入替作業で警報器代わりに向こうとこちらに立つ踏切番か?

金沢市内線が犀川を渡って野町駅前へ向かう

市内線の緑単車 野町駅手前のカーブでしょう.

市内線が石川線と接続する石川線野町駅前