案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2026年5月20日水曜日

雪の湯野町

「雪の湯野町」福島交通軌道線 1966年12月

飯坂温泉の街外れ湯野町を発車した電車は、
雪が残る家並みの間の専用軌道を走って、
伊達駅前へ向かって行った。
(不鮮明なハーフ判カラー画像をAIで鮮明化)


福島交通軌道線の難解なツートンカラーは私の記憶にはない色で、様々な情報からこの写真のツートンカラー(特に窓下の青緑)に落ち着きそう。




2026年5月11日月曜日

さいわい橋

「さいわい橋」 福島交通軌道線  1966年

雪の川を渡る電車は、
年の瀬の光の中を走っていた。

山は遠く霞み、
木橋の匂いまで
冷たい風に混ざっていた。


使い物にならなかった不鮮明なハーフ判カラー画像がAIで蘇った。 
福島では「記憶にある色を求めて」の車体カラーの検証ではなく、あの時の清々しい空気感を優先したので、車体カラーが濃くなっています。
(不鮮明なハーフ判カラー画像をAIで鮮明化)


摺上川に架かる木橋「さいわい橋」 1966.12.31
私が見た軌道線の車体カラーは泥だらけでよく覚えていません。誌面情報、ネット情報には様々なカラー情報があり、青寄りも緑寄りもあります。私にはハッキリした記憶が無いので、福島では記憶にある車体カラーの検証ではなく写真の空気感を優先することにしました。ハーフ判カラー画像からAIが出力した車体カラーのままで、Adobeで調整仕上げしたものです。



写真の空気感より車体カラーの検証を重視して出力したもので、調整仕上げなしです。


2023年8月15日火曜日

湯野町行の電車


伊達駅前を出た電車は聖光学院前でクルッと向きを変え、東北本線を越えて湯野町へ向かうと明神町まで沿線に人家はなく果樹園と田畑のみ。一直線の道路脇をコトン・コトンかなりのスピードで走る。明神町で道路と分かれて専用軌道に入ると小さな鉄橋を渡り、蔵の横をカーブし温泉町の家並みに入った。湯野町駅に到着した電車は運転手と車掌が入替わり乗客を乗せるとすぐに発車し、雪景色の家並みの中に消えて行った。
福島交通軌道線 1966年12月


明神町~湯野町 1966年12月

1966年の大晦日に訪問した記録や写真によると明神町から湯野町まではカーブがある変化にとんだ専用軌道だった。しかし廃線後の航空写真では軌道跡らしき小径は一直線となっていてツジツマが合わない。この区間の撮影場所で唯一確定できたのは小川を渡るこの一枚↓であった。湯野町を発車した長岡行が小川を渡りその先の直線区間を走って左にカーブすると明神町に到着する筈だ。

夏の湯野町~明神間 1964年7月 撮影:田辺多知夫氏

2023年5月4日木曜日

湯野町行の電車

 伊達駅前から湯野町へ向かう福島交通軌道線の電車。
この沿線はかつて養蚕が盛んで、養蚕で得たお金で飯坂温泉に繰り出した話があります。
沿線の桑畑は戦後果樹園に切り替えたそうだ。



湯野町へ向かう  1966.12.31



ホコリ巻き上げて走る夏の軌道線.1964年 撮影:田辺多知夫

2023年4月22日土曜日

facebook投稿例

 お問い合わせがあったfacebookで最近の投稿例です。
facebookはスマホで見ることが多いのでモバイル版ですがパソコン版でも投稿は同じです。




facebookに投降した原稿。
ローカル私鉄の終着駅にあったジオラマの題材。電話BOX、郵便ポスト、ボンネットバス、旧型セダン、荷車など。昔は駅に降りると駅など撮らずに、急いで野山の撮影ポイントへ飛んで行ったものだが、野山の風景より駅にこそ生活感溢れる題材が豊富にあった。福島交通軌道線 梁川 1966年12月
梁川線終着駅 梁川の駅前風景 

梁川線終着駅 梁川 
レールは泥に埋もれ、その上にボンネットバス、いすゞベレット等が並ぶ昭和41年の風景



駅の奥にあった貨物風景。ホワ13 

2020年6月12日金曜日

福島交通軌道線 湯野町 リニューアル

2020.6.12の記事
福島交通の湯野町を取り上げたのは2011年11月29日。何点か画像を追加してリニューアルしました。

先日アップしたデルタ線の聖光学院前から湯野町までは飯坂東線(福島駅前~長岡分岐点~湯野町13.2km)の一部であり、私が勝手に呼んだ湯野町線という呼び方ではなかった。

福島から一直線の延びる飯坂温泉行きの立派な鉄道線と違って、湯野町行きの路面電車はその駅名からしてひなびたムードがあった。長岡分岐点からやって来る電車は伊達駅前行で、湯野町へ向かう客は聖光学院前で湯野町行に乗り継いでいた。

聖光学院前を出た電車は東北本線をオーバークロスすると畑の中を湯野町へ向かった。
終点湯野町の川向うには鉄道線「飯坂温泉」駅があり、摺上川の手前は元湯野町の地名で軌道線は「湯野町」駅であった。川をはさんで「飯坂温泉」と「湯野町」と二つの駅が存在していた。



撮影:1966.12.31

専用軌道を行く

 湯野町-明神町 
畑の中を一直線に進み湯野町に到着する。


 福島交通軌道線の終着駅湯野町

 湯野町の駅前
「湯野町」と「飯坂温泉」の駅は離れていて、温泉街を流れる摺上川の橋を渡ると
直ぐに福島交通鉄道線の「飯坂温泉」駅があった。
福島交通鉄道線の飯坂温泉駅


摺上川沿いの飯坂温泉 1968年12月

2020年6月6日土曜日

聖光学院前のデルタ線

福島交通軌道線。
国鉄伊達駅前に 飯坂温泉「ようこそおいで下さい これより4Km(電車)」の看板があり温泉行きの電車が出ていた。伊達駅前を出た電車は聖光学院前のデルタ線で方向を変えて湯野町(飯坂温泉)へ向かう。

このデルタ線の駅が実に魅力的で格好の模型化題材ではないでしょうか。1967年9月に聖光学院前~湯野町間が廃止となり、それに伴い長岡分岐点~伊達駅前間は貨物専用線になったようだ。


撮影:1966.12.31
デルタ線の急カーブ。ホームはないがここが聖光学院前の駅であった。

伊達駅前からやって来た湯野町行の電車。

長岡分岐点から直進して伊達駅前へ向かう電車と湯野町行電車がここで接続する。

湯野町

湯野町駅

2018年5月3日木曜日

福島「さいわい橋」の写真

福島交通軌道線「さいわい橋」 1966.12.31

お馴染みとなった福島の「さいわい橋」の写真。上の写真は本発売が近づいてきた3月初めにブログにアップしたものです。PC(ウェブバージョン)で見ると、右に並ぶ本の表紙と似たような写真ですが、実はこの2枚に大きく違うところがあるのです。

本の表紙カバーを外して見て戴くと分かりますが、表紙の写真↓は左の山並みを画面にとり入れ電車を右に寄せたところが、上の写真と大きく違っています。


「さいわい橋」は更にもう一枚あり、本編の見開き↓に使っていますが、結局、上の写真は没になりました。やはり写真の使い道などを考えると、上の写真の構図(日の丸)は避けた方がよさそうです。


唐橋宙子さんが唄う「虹を(feat.フラガール)」を聴いて、PC画面で美しい福島を思うには電車が小さく写った上段の写真が最適です。
歌詞はこちら→https://www.uta-net.com/movie/47621/

2018年3月12日月曜日

昭和41年 美しい福島2

1966年12月に改修されたばかりの「さいわい橋」 1966.12.31
曇天の大晦日、ここだけは清々しい朝の風景があった。

2018年3月8日木曜日

昭和41年 美しい福島1


福島交通軌道線「さいわい橋」 1966.12.31
唐橋宙子さんが唄う「虹を(feat.フラガール)」を聴いて目に浮かぶ美しい福島。

2016年2月20日土曜日

福島交通軌道線 早朝の大通り

福島交通軌道線の早朝で薄暗くて眠いネガを今回スキャンしてみました。
こんなときGoogleの画像調整ソフトPicasaはモノクロのトーン調整が簡単瞬時にできほんとうに便利です。
大晦日、しだいに明け行く福島駅前の大通りを進むとこんな風景が見られました。

1966.12.31
北町の交差点を過ぎると左へカーブしこの辺りからゴタゴタした路地を進みローカルカラーらしさが現れてきた。魚屋など早朝の店は荷卸しで道路を占領し忙しそうであった。狭い道路を頻繁に行き交うバスの合間をよく電車が走れたものだ。朝の電車は続行で次から次とやってくるので効率よく撮ることができた。しばらくは狭い舗装道路上を同じような風景が続いていた。

浜田町

五老内の先で狭い道路にバスがひしめき合っていた.


朝の通勤風景

福島軌道線のツートンカラーの話がでましたので、昨年の軽便まつりで撮った服部英之さんの素晴らしい作品です。。鉄道模型趣味誌にこの作品の製作記事が発表されましたね。

2013年7月25日木曜日

福島交通軌道線 伊達駅前の風景

福島交通軌道線の「伊達駅前」は大変興味深い場所であり、他の写真を追加して再度アップしてみます。

1966年の大晦日に訪問した福島の空はどんよりと曇り、伊達駅前には正月を迎える華やかさもなかった。ただただ寒かった それだけが記憶に残る。大通りは舗装されていたが軌道線「伊達駅前」の周辺はここでも泥まみれの世界であった。「伊達駅前」の貨物線を含むこの一角を模型化できたらさぞや素晴らしいことでしょう。

国鉄伊達駅前の大通りに車は見えず朝の通勤者らしい人影が見える. 1966.12.31
まだ地方の道路には車より歩く人が多かった時代のようだ.
道路端を走る軌道は凍りついていた.

軌道線は国鉄伊達駅前で急カーブを曲がるとそこに駅があった.

銭湯のような国鉄「伊達駅」の寺社造りは飯坂温泉の浴槽をイメージしたとか。

国鉄「伊達駅」の真正面にあった軌道線「伊達駅前」

国鉄「伊達駅」から見た軌道線の風景.すぐ前に凄い駅前旅館が見える.

軌道線「伊達駅前」に小さな駅舎があった.

「伊達駅前」の奥には機回し線がある貨物線が延びていた.

軽便並み車体サイズの貨車が止まる貨物線は国鉄との連絡線はなし.
ゲージは共通でもこんな貨車では国鉄との連絡線の必要性は全く無かったのでしょう.