案内文章
高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった。
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
を回想してみました。
2026年5月20日水曜日
2026年5月11日月曜日
さいわい橋
「さいわい橋」 福島交通軌道線 1966年
使い物にならなかった不鮮明なハーフ判カラー画像がAIで蘇った。
福島では「記憶にある色を求めて」の車体カラーの検証ではなく、あの時の清々しい空気感を優先したので、車体カラーが濃くなっています。
(不鮮明なハーフ判カラー画像をAIで鮮明化)
雪の川を渡る電車は、
年の瀬の光の中を走っていた。
山は遠く霞み、
木橋の匂いまで
冷たい風に混ざっていた。
使い物にならなかった不鮮明なハーフ判カラー画像がAIで蘇った。
福島では「記憶にある色を求めて」の車体カラーの検証ではなく、あの時の清々しい空気感を優先したので、車体カラーが濃くなっています。
(不鮮明なハーフ判カラー画像をAIで鮮明化)
2023年8月15日火曜日
湯野町行の電車
2023年5月4日木曜日
2023年4月22日土曜日
facebook投稿例
お問い合わせがあったfacebookで最近の投稿例です。
facebookはスマホで見ることが多いのでモバイル版ですがパソコン版でも投稿は同じです。
facebookに投降した原稿。
梁川線終着駅 梁川の駅前風景
梁川線終着駅 梁川
レールは泥に埋もれ、その上にボンネットバス、いすゞベレット等が並ぶ昭和41年の風景
レールは泥に埋もれ、その上にボンネットバス、いすゞベレット等が並ぶ昭和41年の風景
駅の奥にあった貨物風景。ホワ13
2020年6月12日金曜日
福島交通軌道線 湯野町 リニューアル
2020.6.12の記事
福島交通の湯野町を取り上げたのは2011年11月29日。何点か画像を追加してリニューアルしました。
先日アップしたデルタ線の聖光学院前から湯野町までは飯坂東線(福島駅前~長岡分岐点~湯野町13.2km)の一部であり、私が勝手に呼んだ湯野町線という呼び方ではなかった。
福島から一直線の延びる飯坂温泉行きの立派な鉄道線と違って、湯野町行きの路面電車はその駅名からしてひなびたムードがあった。長岡分岐点からやって来る電車は伊達駅前行で、湯野町へ向かう客は聖光学院前で湯野町行に乗り継いでいた。
聖光学院前を出た電車は東北本線をオーバークロスすると畑の中を湯野町へ向かった。
終点湯野町の川向うには鉄道線「飯坂温泉」駅があり、摺上川の手前は元湯野町の地名で軌道線は「湯野町」駅であった。川をはさんで「飯坂温泉」と「湯野町」と二つの駅が存在していた。
福島交通の湯野町を取り上げたのは2011年11月29日。何点か画像を追加してリニューアルしました。
先日アップしたデルタ線の聖光学院前から湯野町までは飯坂東線(福島駅前~長岡分岐点~湯野町13.2km)の一部であり、私が勝手に呼んだ湯野町線という呼び方ではなかった。
福島から一直線の延びる飯坂温泉行きの立派な鉄道線と違って、湯野町行きの路面電車はその駅名からしてひなびたムードがあった。長岡分岐点からやって来る電車は伊達駅前行で、湯野町へ向かう客は聖光学院前で湯野町行に乗り継いでいた。
聖光学院前を出た電車は東北本線をオーバークロスすると畑の中を湯野町へ向かった。
終点湯野町の川向うには鉄道線「飯坂温泉」駅があり、摺上川の手前は元湯野町の地名で軌道線は「湯野町」駅であった。川をはさんで「飯坂温泉」と「湯野町」と二つの駅が存在していた。

2020年6月6日土曜日
聖光学院前のデルタ線
福島交通軌道線。
国鉄伊達駅前に 飯坂温泉「ようこそおいで下さい これより4Km(電車)」の看板があり温泉行きの電車が出ていた。伊達駅前を出た電車は聖光学院前のデルタ線で方向を変えて湯野町(飯坂温泉)へ向かう。
このデルタ線の駅が実に魅力的で格好の模型化題材ではないでしょうか。1967年9月に聖光学院前~湯野町間が廃止となり、それに伴い長岡分岐点~伊達駅前間は貨物専用線になったようだ。
国鉄伊達駅前に 飯坂温泉「ようこそおいで下さい これより4Km(電車)」の看板があり温泉行きの電車が出ていた。伊達駅前を出た電車は聖光学院前のデルタ線で方向を変えて湯野町(飯坂温泉)へ向かう。
このデルタ線の駅が実に魅力的で格好の模型化題材ではないでしょうか。1967年9月に聖光学院前~湯野町間が廃止となり、それに伴い長岡分岐点~伊達駅前間は貨物専用線になったようだ。
撮影:1966.12.31
デルタ線の急カーブ。ホームはないがここが聖光学院前の駅であった。
伊達駅前からやって来た湯野町行の電車。
2018年5月3日木曜日
福島「さいわい橋」の写真
福島交通軌道線「さいわい橋」 1966.12.31
本の表紙カバーを外して見て戴くと分かりますが、表紙の写真↓は左の山並みを画面にとり入れ電車を右に寄せたところが、上の写真と大きく違っています。
唐橋宙子さんが唄う「虹を(feat.フラガール)」を聴いて、PC画面で美しい福島を思うには電車が小さく写った上段の写真が最適です。
歌詞はこちら→https://www.uta-net.com/movie/47621/
歌詞はこちら→https://www.uta-net.com/movie/47621/
2018年3月12日月曜日
2018年3月8日木曜日
2016年2月20日土曜日
福島交通軌道線 早朝の大通り
福島交通軌道線の早朝で薄暗くて眠いネガを今回スキャンしてみました。
こんなときGoogleの画像調整ソフトPicasaはモノクロのトーン調整が簡単瞬時にできほんとうに便利です。
大晦日、しだいに明け行く福島駅前の大通りを進むとこんな風景が見られました。
こんなときGoogleの画像調整ソフトPicasaはモノクロのトーン調整が簡単瞬時にできほんとうに便利です。
大晦日、しだいに明け行く福島駅前の大通りを進むとこんな風景が見られました。
1966.12.31
北町の交差点を過ぎると左へカーブしこの辺りからゴタゴタした路地を進みローカルカラーらしさが現れてきた。魚屋など早朝の店は荷卸しで道路を占領し忙しそうであった。狭い道路を頻繁に行き交うバスの合間をよく電車が走れたものだ。朝の電車は続行で次から次とやってくるので効率よく撮ることができた。しばらくは狭い舗装道路上を同じような風景が続いていた。
2013年7月25日木曜日
福島交通軌道線 伊達駅前の風景
1966年の大晦日に訪問した福島の空はどんよりと曇り、伊達駅前には正月を迎える華やかさもなかった。ただただ寒かった それだけが記憶に残る。大通りは舗装されていたが軌道線「伊達駅前」の周辺はここでも泥まみれの世界であった。「伊達駅前」の貨物線を含むこの一角を模型化できたらさぞや素晴らしいことでしょう。
国鉄伊達駅前の大通りに車は見えず朝の通勤者らしい人影が見える. 1966.12.31
まだ地方の道路には車より歩く人が多かった時代のようだ.
まだ地方の道路には車より歩く人が多かった時代のようだ.
道路端を走る軌道は凍りついていた.
軌道線は国鉄伊達駅前で急カーブを曲がるとそこに駅があった.
銭湯のような国鉄「伊達駅」の寺社造りは飯坂温泉の浴槽をイメージしたとか。
国鉄「伊達駅」の真正面にあった軌道線「伊達駅前」
国鉄「伊達駅」から見た軌道線の風景.すぐ前に凄い駅前旅館が見える.
軌道線「伊達駅前」に小さな駅舎があった.
「伊達駅前」の奥には機回し線がある貨物線が延びていた.

軽便並み車体サイズの貨車が止まる貨物線は国鉄との連絡線はなし.
ゲージは共通でもこんな貨車では国鉄との連絡線の必要性は全く無かったのでしょう.
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