案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2023年8月15日火曜日

湯野町行の電車


伊達駅前を出た電車は聖光学院前でクルッと向きを変え、東北本線を越えて湯野町へ向かうと明神町まで沿線に人家はなく果樹園と田畑のみ。一直線の道路脇をコトン・コトンかなりのスピードで走る。明神町で道路と分かれて専用軌道に入ると小さな鉄橋を渡り、蔵の横をカーブし温泉町の家並みに入った。湯野町駅に到着した電車は運転手と車掌が入替わり乗客を乗せるとすぐに発車し、雪景色の家並みの中に消えて行った。
福島交通軌道線 1966年12月


明神町~湯野町 1966年12月

1966年の大晦日に訪問した記録や写真によると明神町から湯野町まではカーブがある変化にとんだ専用軌道だった。しかし廃線後の航空写真では軌道跡らしき小径は一直線となっていてツジツマが合わない。この区間の撮影場所で唯一確定できたのは小川を渡るこの一枚↓であった。湯野町を発車した長岡行が小川を渡りその先の直線区間を走って左にカーブすると明神町に到着する筈だ。

夏の湯野町~明神間 1964年7月 撮影:田辺多知夫氏

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