案内文章
高度成長期に突入した1960年代は、
地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
。
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
を
回想してみました。
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2014年4月7日月曜日
葛生のナロー5
葛生から鹿沼を通り宇都宮に向かう国道293号線を走ると、葛生にあるセメント工場から出ている軌道が併行し、やがて軌道を横切る踏切に出る。この道は車で何回か走ったことがあり、この辺りで待っていれば頻繁にやって来る列車をいくらでも撮ることができたのにいつも素通りであった。
この写真を撮った日は初めて車を使った鉄道撮影で、余りにも楽ちんな沿線撮影であった。
国道293号線の踏切で、交換所があり行く手に石灰岩採掘の山が見える.1971.04.25
踏切を通過して行く鉱車.
半年前に中古カローラを買って、住んでいた小山から葛生まではあっという間であった.
交換所
3'6''ゲージ会沢線と並走する区間に入る
会沢線と別れハイライト区間に入る
踏切の手前を住友セメント栃木工場へ向かう列車
クリックで葛生のナロー1~5が繋がります→
住友セメント唐沢鉱山
2014年4月4日金曜日
葛生のナロー4
よく晴れ渡った4月末の唐沢鉱山。
山々の木立ちが石灰の粉塵を被っていたが、モノクロ写真では新緑が美しく見える。
小型鉱車はここで石灰岩を積んで住友セメント栃木工場(葛生)まで搬送していた。
終点の唐沢鉱山の施設が近代的に思えてしまいこの積込み場には二度と来る事がなかったが、
今になってみると小型鉱車がいた頃の唐沢原石軌道の全てが興味深い。
唐沢鉱山の石灰岩積込み場. 1971.04.25
さんさんと陽が射す長閑な風景とDB機関車
20両近い小型鉱車の編成
人車と狭いせんろがある風景
2014年4月3日木曜日
葛生のナロー3
この季節になると葛生の奥で春の陽を浴びて活躍していたナローの光景が無性に懐かしくなる。
モノクロで撮った1971年の「住友セメント唐沢鉱山」は小型鉱車がよく似合っていた時代であった。
こちらに「
葛生のナロー2
」があります。
1971.04.25
2011年2月15日火曜日
葛生のナロー 2
1971(S46)年の春は、このモノクロ写真でした。
昨日アップしたカラー写真は、この3年後1974(S49)年の撮影で年月日を訂正させて頂きました。
やっと車が持てる時代になり、車で鉄道を撮りに行くのはこれが初めて、日記には「確かに便利だが足で歩いて撮りまくったあの充実感がない・・」とだけ記載があった。
写真以外には記録もなく、モノクロ写真と3年後のカラー写真を比較してみると、この時はまだ小さな3トン鉱車が使われていて、3年後のあの巨大な鉱車ではなかった。小さな3トン鉱車がいかにも鉱山トロッコ風で好ましい感じがしたものだった。
森を行く原石列車。 1971.4.25
小さな道と踏切、小さな川と橋、木立の中の小さな列車、中々楽しい光景であった。
3'6''ゲージとナローが並走する区間。
上下列車の交換。
牽かれる3トン鉱車が22両。
鉱山まで作業員を運ぶ人車は、日中、唐沢鉱山の隅で休んでいた。
2011年2月14日月曜日
葛生のナロー 1
1971(S46)
年 1974(S49)年の春、身近な葛生のナロー「住友セメント唐沢鉱山」を撮りに行く。
唐沢原石軌道は葛生の工場と会沢唐沢鉱山を結ぶ3.3㎞の762㎜軌道で、ピストン輸送で原石が運搬されていた。
ピストン輸送の原石列車。
1971.4.25
1974.4.14
背後には石灰で真っ白になった葛生の風景が。
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