案内文章
高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった。
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
を回想してみました。
2022年3月31日木曜日
2022年3月30日水曜日
宮澤賢治と西公園停車場
花巻電鉄軌道線 1915(大正4)年9月 西公園~松原間の運転開始
その後、1925年過ぎに西鉛温泉まで開業。
宮澤賢治のこと
1896(明治29)~1933(昭和8)年
1914年(18才)盛岡高等農学校入学
1917年(21才) 肋膜炎を患う。童話を書き始める。
農業の改良研究、法華経、科学と宗教に目覚める。
1919年(23才)に卒業し24才に家出をして東京へ出たが妹が亡くなり花巻へ帰る。
1921~1926年(25才~29才) 花巻農学校教職を4年間やって辞める。
銀河鉄道の夜を書く初稿1924年/出版1934年。
農民となり童話や詩を書く。
羅須地人協会を設立。
農業の改良、肥料の研究などの活動を社会主義と勘違いされる。
病床につき死を考える。
1932年 35才東京で倒れて遺書を書き実家で2年療養。
1933年9月 37才で亡くなる。
宮澤賢治が花巻市街の自宅から花巻農学校へ教職で通っていた時代は、軌道線(西公園~松原間)の始発駅西公園から軽鉄花巻駅までが開業した数年後で、更に西花巻駅が開業し西花巻~花巻温泉間の鉄道線が開業した頃であった。
(軽鉄花巻駅:岩手軽便鉄道と花巻電鉄が共存した始発駅)
元西公園のところにある碑に記された宮沢賢治「ラジウムの雁」の中に”春の夕暮れに停車場の灯が明滅する”の記載があり、西公園の眼下に見えた西公園停車場のことか?
(ラジウムの雁:1919、1920年頃の春の夕暮れの実話を基に執筆した童話)
2022年3月29日火曜日
2022年3月28日月曜日
筑波鉄道 上大島駅
今月発売のTMS4月号
地方私鉄 失われた情景 第34回は「筑波鉄道 上大島駅」です。
筑波山の麓にある北条・神郡(かんごおり)・上大島の町並みは、いずれも筑波神社参詣と深い関わりがあり、かつては小規模ながら筑波山の優美な姿が望まれる魅力的な町ばかりであった。
地方私鉄 失われた情景 第34回は「筑波鉄道 上大島駅」です。
筑波山の麓にある北条・神郡(かんごおり)・上大島の町並みは、いずれも筑波神社参詣と深い関わりがあり、かつては小規模ながら筑波山の優美な姿が望まれる魅力的な町ばかりであった。
そんな上大島にあった小さな駅。1987年4月1日全線廃止
撮影:1987年1~3
撮影:1987年1~3
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