案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2024年5月29日水曜日

街の本屋さん受難の時代

家の近所にあった街の本屋さんが次々と消えています。
友人からこんなニュースが入ってきました。

「九州屈指の老舗書店が6月末で休業」
明治創業の「長崎次郎書店」(熊本市中央区)が6月末をもって休業する。
150年間引き継がれたのれんが間もなく下ろされる。
https://higojournal.com/archives/nagasakijirou-heiten.html


電車の向こうに由緒ある長崎書店の建物が見える。
写真は57年前で当時の熊本市内の大通りには由緒ある建造物が並んでていた。


新町電停のご婦人たちのパラソル.1967.3.4 
この日は土曜日で買物客で賑わっていた.


長崎書店(現在は長崎次郎)を表示した三角屋根の建物.



3系統が走る商店街.

2024年5月21日火曜日

地方に「懸命に生きた小鉄道と賑わいがあった時代」

 
今回「地方私鉄 失われた情景」を出版してネットやメールでいろいろ感想を頂戴しました。その中で同じ機芸出版社から出版された有名な「鉄道風景30題」の著者 河田耕一さんがFBに投稿されたコメントの一部を紹介させてもらいます。

「写真に出てくる人たちの生活は鉄道によっていました。それは懐かしい風景であり、商店街、映画館、琺瑯看板助産院食堂があり、子どもたちがお出かけ服装で乗っています。鉄道も苦しい経営ながら、他の鉄道が不要になった車両を譲り受け、ぼろぼろになるまで使っています」との記述。

河田さんのコメントで、私はあの時代のまるでジオラマのような情景は、懸命に生き延びてきた小鉄道と人々の賑わいある生活から、あの時代の社会の縮図である気がしてきました。

懸命に生き延びる地方私鉄の事例として、払い下げ車両を自社工場で改造するのが盛んであった栃尾線、貴志川線、野上電鉄、淡路交通、駿遠線など、そんな小鉄道の魅力が目に浮かびます。

ある時代の写真やジオラマの情景の魅力とは何か? 一般の人々にとっては単なる懐かしい昭和の風景に過ぎないが、地方私鉄ファンの私にとってはあの時代の車両、鉄道施設、街並み、民家、人々、沿線風景などの情景に、懐かしさ以上に情緒(味わい)を感じます。


越後交通栃尾線 長岡工場内で改装中の元草軽客車。1964.3.22
1967年11月に車庫・車両工場が下長岡に移転するまで、このような車両工場で次から次と奇怪な車両が生まれて来た。まるで縮尺1/1の模型のような電車もあった。
栃尾線の吊り掛け式モハ217の1M3T編成で、元草軽の電車をサハに改造し総括制御編成に組みこんだ栃尾線近代化の時代。1975.03.08


 貴志川線 伊太祁曽の小さな車両工場.  1965.8.4
庫内に休むモハ202と奥には改装中の小型電車らしき2両が見える。ここでもガソリンカーの電車化改造を数々やってきた。
貴志川線 朝の通勤・通学列車. 東和歌山 (モハ201+クハ803+モハ202)
ドアを開け放した夏の通勤・通学列車は満員で東和歌山に到着する.元ガソリンカーだった電車の3両編成はとびきり魅力的であった。これら車両の魅力だけで情景となる。


野上電鉄 日方工場.1965.8.4
数々のガソリンカーの電車化は見事でその後、関西大手私鉄の払下げ車をネタに手持ち中古部品を組合わせて多くの野上仕様に仕上げてきた日方車庫。

野上電鉄 関西大手私鉄の払い下げ車が勢ぞろい。


淡路交通 宇山工場. 1965.8.2
様々な電車化や自社開発を手がけて来た淡路交通の車両工場。南海払下げ車の車体交換の他は殆どの車両がカソリンカーの改造に次ぐ改造の電車であった。

淡路交通 通勤客を乗せて洲本へ向かう準急モハ2007
どの電車もガソリンカーの改造車で、モハ2007は2台の強力モータを床下にぶら下げて気動車用菱枠型台車にプロペラシャフトで駆動する直角カルダン駆動方式。

2024年5月20日月曜日

東武のSL

東武スペーシアXとSL大樹に乗る旅。


浅草駅のスペーシアX

定員4人のコンパートメント


下今市でSL大樹に乗車する前にSL展示館をはじめて見学してみました。

展示館に展示されたピーコック58とC112の銘板を見て、
10年前頃に弊ブログに掲載した現役ピーコック58と、廃車C112を思い出した。

業平橋で活躍するピーコック58 撮影:田辺多知夫氏 1963.09.25

東武が自社発注したC112  業平橋 1963.11.24


SL大樹とスペーシアX.鬼怒川温泉 2024.5.19


鬼怒川温泉駅で見たSL大樹とギャラリー。
今の時代のSLショーは活況で嬉しいが、かつてのローカル線ターンテーブル風景とは全く違う世界。これが当たり前の時代だが昔のような写欲は湧いてこない。


2024年5月12日日曜日

仙台鉄道

仙台鉄道の1枚の写真から気動車キハ3の前身が分った。


仙台鉄道の蒸機時代に使われた客車.ドア間の窓が10枚.  所蔵:安達克


キハ3 昭和3年丸山車両製の木造客車を、戦後 協三工業にて気動車に改造され最後まで活躍した.ドア間の窓は8枚で窓計10枚の車体長(バケット除く)は客車と同一のよう。

キハ3 片側がバケットで反対側はデッキのみ.アーチバー風の台車を履いた元客車のキハは、頚城の元客車ホジと同様。客車を動力化したせいか車輪径が小さい。

2024年5月7日火曜日

表紙 有田鉄道のこと

表紙の情景は有田鉄道で全線5.8kmの小さな路線。

国鉄紀勢本線藤並駅のホームに降り立つとそこに有田鉄道の粗末な出札小屋と簡易な乗換改札口があった。改札口の先に停車していた有田鉄道キハ210はよく見かける元国鉄42000形の顔で、赤ん坊を背負った乗換客などが乗車すると金屋口へ向け発車して行った。
藤並 1964年夏


藤並を発車したキハ210は有田川沿いのミカン畑の中を15分ほど走ると有田川上流にある終着駅金屋口に到着した。駅の脇には木材が雑然と積まれ殺伐とした風景であった。1964.7.9


キハ210に乗って着いた金屋口は御坊臨港鉄道と同様で木材だらけ.
有田川上流が木材産地で御坊臨港の終点日高川とよく似ている.

こんな機関車がいた.DB10
昭和29年森製作所製でこれも蒸機の足回りを利用したディーゼル機.


殺伐とした終着駅金屋口の全景.


有田川が流れる金屋町の玄関 金屋口駅.
駅前から見ると立派な
終着駅であった。