案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2026年1月9日金曜日

九十九里鉄道の魅力

九十九里鉄道を弊ブログで紹介したのはブログをスタートした2010年の年末でした。
高校時代の友人(飯島巌氏)が遺した紙焼きプリントを再度アップしてみます。

廃止となった1961年2月頃、私は高校生で九十九里の廃止は知っていたがカメラを持ってなく撮りに行くことが叶わなかった。まさか同じ高校同期に撮りに行ったファンがいることも知らずに。私にとって軽便の頂点だった九十九里鉄道を見逃した悔しさが、1962年春から始めた地方私鉄めぐりの動機となった。撮っておかないと後になって後悔する、そんな想いで危なそうな地方私鉄路線を次々と追い続けた。観光旅行と違って楽しみどころか空腹と睡眠不足の苦痛ばかり。後になって後悔しないで撮った写真を楽しむために。
魅力の三大軽便で九十九里、草軽は間に合わず、間に合ったのは沼尻だけだった。

九十九里鉄道の沿線風景は変化なさそうで、魅力は車両にあった。だれでもが車両中心に撮り、走行写真を撮る人もいた。当時(1960年代の半ば頃)、九十九里鉄道の駅や車内の日常風景の魅力を撮った写真を、私は書物や先輩たちの成果で見たことがなく、車両写真と良いポイントで撮られた走行写真で十分満足だった。しかし九十九里鉄道の魅力はそれだけではなかった。


小さな単端が3両も牽いてノソノソ走る。  家徳 1961年2月

単端に牽かれるケワ + ハニフ + ケハフ。ボギー貨車でどんな荷物を運んでいたのだろうか。家徳


2013年11月23日土曜日

九十九里鉄道 キハ102の最後

九十九里鉄道のあとかた」 で九十九里の車両の解体残骸現場を紹介したことがありますが、そう云えばあの現場でキハ102を採寸したことを思い出しました。ノートをめくってみるとキハ102そしてボギー客車ケハ111の一部が採寸してありました。不思議なのは採寸した窓回りなどの残骸が写真に写ってなく、ボギー客車に至っては何も写っていません。たぶん、採寸できた残骸はバラバラになって草むらに転がっていたのでしょう。
こんな残骸は更に細かくされてトラックへ積まれているところで、あとかたも無くなる寸前のキハ102でした。

解体現場の残骸を採寸したノート S50-5-3 東金にて 九十九里鉄道ケハ111、キハ102
ボンネット含む車両最大寸法(長×幅×高)については鉄道模型趣味No.81にあった
九十九里キハ100形の車両竣功図と諸元表により把握することができた。


悲しいキハ102最後の姿     東金 1975.05.03

側面の社紋とキハ102表示

リヤ面の102表示

ラジエターと散乱しているキハ100形の各部位

解体撤去作業

1/80 9mmナロー 九十九里キハ102タイプ(車体) 南洋物産㈱製

2011年5月11日水曜日

廃線間際の九十九里鉄道 4

のんびりと上総片貝へ向かうキハ104の運転室.速度は自転車を速くこぐ程度か.
鼻先に収めたエンジンによる後輪駆動で客貨車を4両も牽く. 1961年2月

終点上総片貝に到着すると車庫脇のターンテーブルに乗って、
運転手と車掌さんの人力による方向転換はこの鉄道の名物光景であった.

鉄道ピクトリアル「私鉄車両めぐり第1分冊」に紹介された「午前10時の終点」は
昭和34年の夏にここで撮影されたものであった.
車庫にはキハ102が休み、右に分岐した線路は洗濯物があるターンテーブルへ向かう.
こんな上総片貝の光景も、数日後の廃線で消滅してしまった.

東金行の列車はケハ111+ケハ107の前後にボギー貨車を加えた編成となった.上総片貝駅


この日のもう1本の編成は、キハ103が牽くケハフ301+ハニフ105で、
踏切を通過しハニフ106の脇を走って上総片貝駅に到着する.

東金駅の留置されたボギー貨車ケワ52は最後の日まで活躍した.
廃線後もこの場所に留置されたケワ52と50は、
14年後もその形を保っていて採寸ができた.


撮影: 全点 飯島巌氏

2011年5月10日火曜日

廃線間際の九十九里鉄道 3

昨年12月14日に「廃線間際の九十九里鉄道」1と2をアップし、暫く経ってから私の模型製作用のアルバム中に飯島巌さん撮影の九十九里鉄道の写真を更に見つけました。前回同様に九十九里に行けなかった私がプリント版を頂戴したもので、将来の模型製作に備えていたものです。
1961年2月、廃線が迫る九十九里鉄道の光景。この日の車両の動きは、写真から私が想像したものです。まずは東金駅の光景から。


東金の留置線の奥に休む不揃いな車両達.その各車を確認してみると、


手前には、さんさんと2月の陽を浴びて休む超人気者 キハ104が. 1961年2月


その先にボギー客車ケハ111が.この大型客車はこの鉄道に1両しか居ない.


更にその先に雨宮製キハ201(トレーラ化後)と、元増東軌道のケハ107が.
元増東軌道の小さなボギー客車は堪らなく愛嬌がある.


ターンテーブルで方向転換したキハは、2両のボギー客車を従えて発車を待つ.
東金駅のキハ104+ケハ107+ケハ111

撮影: 全点 飯島巌氏

2010年12月14日火曜日

九十九里鉄道の模型

九十九里鉄道に係わる雑誌や模型キットを並べてみました。


キハ104   撮影: 飯島巌氏


鉄道ピクトリアル臨時増刊 「私鉄車両めぐ」第1分冊。
鉄道模型趣味No.81 海辺の小私鉄を訪ねる(Ⅱ) 九十九里鉄道。
オレンジカンパニー1/80ナロー模型キット。

すり切れるくらい読んだ雑誌、そしてオレンジカンパニーの九十九里の模型キット。
雑誌で見た光景をいつかは模型化しようと、軽便模型のキットを集めたことがあった。
一時期、HO(1/87)ではなく、1/80でオレカン、ひかり模型、しなのマイクロなどから
9mmナローが発売されたことがあり、昭和の情景はやはり1/80でないと。

廃線間際の九十九里鉄道 2

東金と上総片貝を往復する列車。  1961年2月

東金駅

国鉄東金線東金駅に隣接した九十九里鉄道の東金駅。


ボギー客車のケハ111とケハ107  東金

撮影: 全点 飯島巌氏

2010年12月13日月曜日

廃線間際の九十九里鉄道 1

1961(S36)年2月28日に消えた憧れの九十九里鉄道。
私は九十九里には行ったことがなく、高校の同級生だった飯島巌(故人)さんが廃線間際に撮ったもので、ご家族の了解を得てアップします。

昭和36年2月3日付謹告と2月21日付お知らせ。

当時、私はまだカメラを持っていなかった。同級生にまさか九十九里鉄道を撮りに行く鉄道ファンが二人も居るなど思いもよらず、独りで行くには九十九里は遠い地であった。
飯島さんからプリントを貰い大事に保管していたもので、上総片貝の待合室で撮られた1961年2月3日付「廃線の謹告」と2月21日付「定期券のお知らせ」からすると、廃線数日前の撮影と思われる。
飯島さんのカメラアイは10代半ばにして素晴らしく、愛らしい車両が走っている光景や、駅の光景など九十九里鉄道の日常を切り取っている。この当時から車両写真ではなかったのだ。
この数日後には全てが停止し消滅してしまった九十九里鉄道最後の日常光景。

小さな単端キハ103が3両も牽いてノソノソ走る。  家徳 1961年2月

キハ103 に牽かれるケワ + ハニフ + ケハフ301。ボギー貨車で運ぶ荷物がどの程度あったのだろうか。  家徳

終着駅上総片貝の駅前風景。
併走する東金~片貝間のバスを増発することで廃線が決定。

終着駅上総片貝 発車を待つキハ104


単端式ガソリンカーは運転手と女性車掌によって方向転換される。
生活感溢れる洗濯物や布団は、ここに駐在する人のものか。 上総片貝

撮影:全点 飯島巌氏

2010年10月21日木曜日

九十九里鉄道のあとかた

1961(S36)年2月で廃止された九十九里鉄道。
その頃、私はまだカメラもなく、東京から東金は遠い地で訪問を断念した。私にとって九十九里は憧れの軽便であり、軽便中の軽便を見なかった悔しい思いは今も続いている。

廃線から14年経った1975(S50)年5月の連休に東金駅の跡を訪ねてみると、そこには14年間も放置され続けた車両と軌道の跡かたがあった。
廃線後は遊園鉄道に車両を活用する計画だったらしいが、まさか廃線後14年も経って車両の一部が残っているとは思いもよらなかった。丸山車両製の単端キハ102やボギー客車ケハ111は解体された残骸のみであったが、ボギー貨車ケワ50形は台車をつけた姿で2両残っていた。駅構内のナロー軌道は残っていたが、その日はレールの取り外しや残骸整理の作業をやっていた。
九十九里鉄道の跡は、レールが残る軌道だけでも嬉しいが、整理直前のボギー貨車に会えたのは幸運だった。さっそく寸法を測りすぐ模型にして楽しんだものだった。

九十九里鉄道の跡かた ケワ50形  東金 1975.5.3








ケワ50形の前でレールが剥がされていた。
そばには無残な単端と客車の解体された残骸があった