案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2026年7月31日金曜日

客車牽引時代の栃尾線

あの越後平野を走っていた様々な編成の列車。
上見附駅に次々やってくる列車は、どれも客車を数量牽引した電車or電機であった。機回り線を使って付け替えると、スイッチバックして栃尾や長岡へ出発して行く。電車には様々のタイプがあるが、それ以上に種々雑多なのが電車に牽かれた客車。古典から珍品までその編成の不揃いさが楽しい。大正初期の最古参ダブルルーフ客車ホハ1~8、元草軽の古典小型車ホハ17,18、単車をつなぎ合わせたホハ10、それにガソリンカーや電車崩れのデカイ客車など、さまざまな珍品が活躍していた。
その後、これらの客車牽引時代は6年後の昭45年頃までに消滅してしまったようだ。




加津保付近


加津保


次々やって来ては引き返す列車。上見附駅



客車の付け替え作業。


モハ214の快速列車はこんな編成で長岡へ出発した。モハ214+ホハ6+ホハ27 上見附


2026年7月29日水曜日

越後平野を行く

栃尾線は1970年代に総括制御になり車両が明るいツートンカラーに塗られた。その前の時代はマルーン一色の電車が雑多な客車を牽いて越後平野を走っていた。全ての車両がマルーン一色の地味カラーで3月の寒くて暗い越後平野に埋没しそうなカラーであった。


加津保-椿沢 


加津保

春と呼ぶには、まだ寒すぎた。
雪が残る山々と、冬枯れの越後平野。
冷え切った田んぼがどこまでも続き、
小さな列車が静かに通り過ぎてゆく。
あの時の越後平野には、
まだ冬の余韻が残っていた。

越後交通 栃尾線 1964年3月
(AIカラー化画像)

2025年11月1日土曜日

栃尾線の名編成

語ることがいくらでもある1枚の写真。越後交通栃尾線の素晴らしい編成です。 



カマボコ客車+元都電杉並線+モハ211の珍編成.悠久山 撮影:田辺多知夫氏 1964.03.22 

後ろのカマボコ客車ホハ20は自社工場製で2両いた.
中間の客車が元都電杉並線のホハ11.
カマボコ客車の1両を改造して生まれた驚きの電車モハ211.

ホハ11  昭3年汽車会社製の元都電杉並線の電車を客車化したもので、妻面の窓が低いのが元路面電車らしい.アーチバー台車に交換など改装してすっかり軽便客車になりきっている。


元都電ホハ11の車内と台車.


2024年12月18日水曜日

ナロー車両の採寸ノート

今週末の鉄道模型マルシェで展示しようと思い「模型のための車両写真」や「ナローの採寸ノート」などを少し整備してみました。 


栃尾線のED51 長岡


 採寸ノートから

2020年2月5日水曜日

栃尾線 上見附駅風景

改めて昭和39年3月の上見附駅の写真を見てみると今の時代と更にかけ離れていく。
電車や電機による客車牽引が廃止になり総括制御時代になるまでこんなゲテモノ揃いが続いたのだろう。

撮影:1964.3.22
草軽のホハ18→栃尾のホハ18と草軽の番号のまま使われていた。
電機ED51に牽かれて栃尾からやってきた客車の小さいこと。その狭い車内はほぼ満席、スイッチバック駅上見附で電機の付替えをすると長岡へ向けて発車する。貨車は材木ではなくよく見るとドラム缶のようだ。駅舎、周辺の民家どれもが時代を感じさせる。

 電機が編成を組み直している。

電機を先頭につけると混合列車は長岡に向けて発車して行った。

同じホームで今度は元草軽ホハ18とは正反対のガソリンカー崩れの大きなトレーラがやってきた。 栃尾線は寄せ集め車両で小~大まで車体サイズがバラバラなところが楽しい。

2019年2月3日日曜日

昭和38年 上見附風景

ネット美術館の京都写真美術館 アーカイブスで見た
安達 浩作品「瞽女 盲目の旅芸人」のモノクロ写真 約80点。
https://kyoto-muse.jp/exhibition/16783

1973年5月、新潟県長岡市、ようやく木々の緑が濃くなり始めたのどかな峠の山道を、三味線を背負って一列になって下って行くその姿に、私はなつかしに似た不思議な感動を覚えた。わが国で最後まで門付けをしていた「長岡瞽女」と呼ばれた彼女たち 家々の戸口に立って三味線を弾いて唄う。迎える村の人々とは、もう長いなじみである。 解説文より

80点の写真を見ながらこの解説文にあった長岡と1973年に目が留まった。
私が長岡から出ていた栃尾線を訪問したのはこの10年前1963(昭和38)年であった。その10年後の1973(昭和48)年といえば、もはや急速に近代化が進みつつある日本であった。
こんな1973(昭和48)年の日本にこのような「盲目の旅芸人」が存在していたことに驚いた。

1963(昭和38)年の上見附風景が格別に味わい深く見えたのは、まだまだ近代化の波が押寄せる前の日本だったせいだろう。せめて駅周辺の民家や商店でも撮っていたら貴重な風景が記録できただろうに。 ディスカバージャパンの時代の10年前であった。


撮影:1963(昭和38)年3月
どこにでもあった道路の水たまり、上見附駅前の大きな水たまり。

時代を感じさせる駅や周辺の建物。

古びた貨物ホームと周辺の民家。

日通倉庫から排出された石炭スーブの煙が立ちこめる.その先に朽ち果てそうな建物が並ぶ。こんな風景によく似合ったのがこの不細工で魅力溢れる客車。

駅の側線に待機中の車両。

混合列車の付け替え作業風景。
以上は全てハーフのオリンパスペンSで撮影


近代化後の上見附駅  1975年3月
客車牽引が廃止され総括制御の時代になったのが1970年頃だった
その頃から上見附駅は線路が整理されすっかりシンプルになった。

2018年1月10日水曜日

栃尾線 草軽のなごり

オリンパスペンSで撮ったネガの片隅から。
この頃、栃尾線には草軽電鉄のなごりがある電車、客車、貨車が何両も在籍していた。
また、改造されて全く草軽イメージが消えてしまった電車もあった。


元草軽の小さな客車。悠久山 1964.03.22


外観は草軽モハ103のままだが、駆動部に垂直カルダン・ドライブを組込んだ栃尾のモハ208。悠久山 


 繊細でか細い208のパンタ

208の室内
日鉄自動車製の雨宮コピーの板台枠台車(電装解除車)
花巻の雨宮製とは枕バネが異なる。

 草軽モハ102→栃尾ホハ29、その後サハ303となる。

2018年1月8日月曜日

栃尾線 上見附駅

オリンパスペンSで撮ったネガの片隅から。

雨上がりの上見附駅。1964.3.22


古風な日通倉庫とカマボコ客車ホハ20。2両のうち1両はスマートなモハ211に化けた。上見附


上 かまぼこ客車、下 タブルルーフ客車の腰高の違い

木造ダブルルーフ客車ホハ5の車内。上見附
 
ダブルルーフ客車ホハ5のデッキ周り。枕木はスケスケで自連はナロー模型みたい。


2018年1月5日金曜日

栃尾線 長岡駅

オリンパスペンSで撮ったネガの片隅から。

モハ208+ホハ10+ホハ17の編成。長岡 1964.3.22
長岡の駅では元草軽モハ208に牽かれたオープンデッキのボギー客車ホハ10が発車を待っていた。明治27年製の2軸客車2両からできたボギー客車、こんなのが活躍していた。隣の悠久山行電車に牽かれているのは松井車両製の大きなガソリンカー崩れのトレーラだろう。ホームに数人、駅員に何か聞いているのは鉄仲間の二人、これから長岡工場の内部まで撮らせてもらう許可の窓口を聞いているのかも知れない。右手の車両工場の内部では元草軽の客車を改装していた。春とはいえ曇天で寒く暗い越後平野を愉快な軽便たちが走っていた。

ホハ17 上見附

2018年1月2日火曜日

栃尾線 越後平野を行く

オリンパスペンSで撮ったネガの片隅から。

軽便ED電機がボギー貨車を牽いて寒風の越後平野を行く。1964年3月

客貨車牽引の時代。1964年3月

2018年1月1日月曜日

新年

明けましておめでとうございます

昨年も皆さまからのアクセス、コメントをありがとうございました。
2010年に始めたブログも早いもので8年がたちました。
本年もよろしくお願い申し上げます



 栃尾線長岡 1964年

2016年1月28日木曜日

栃尾線 上見附の風景

昭和39年の栃尾線で印象的なことは越後平野/加津保の寒さと奇怪な車両の多さであり、平凡な沿線風景に風情を感じられるものはなかった。この時の車両については過去に紹介済みであり、今回は田辺さんが撮った上見附の風景から当時の駅建物や民家に注目してみました。写真で見る当時の木造民家などは、年々時代が遠のいていくにつれ感じ方が変化していくようだ。田辺さんとはこの栃尾線と翌日からの遠鉄奥山線を共に撮り歩いた。

撮影:田辺多知夫 1964.03.22
上見附駅の駅舎.看板には「タクシー料金は現金で頂戴する」と. 

日通倉庫が何棟か連なり石炭ストーブの煙が立ち込めている.

日通倉庫と貨物ホーム

スイッチバックして栃尾に向かう列車.周辺に見える昭和の木造民家.

上見附駅の周辺の草むらの向こうに木造民家が並ぶ.

上見附駅のホーム待合所.

次々とやって来る列車でハイライトはこの電機牽引の珍編成.上見附