日本のマイカー時代の幕開けは何時だったのか東京モーターショウから確認してみました。
東京オリンピックが開催された翌年の1965年は、高度成長の所得倍増政策が1960年にスタートして5年が経ち、次の高度成長躍動期がスタートした年でした。この年の秋に晴海で開催された「東京モーターショウ1965」には夢のマイカーを見ようと多くの人々が押し寄せました。
この年の展示はプロトタイプやレーシングカー、スポーツカーが多かったようで、大衆車ではスバルを除けばその後直ぐに消えてしまったような車ばかり。まだまだマイカー時代の幕開けはこの先のことでした。
東京モーターショウ1965 日野コンテッサ1300 1965.11.04
日野GTプロトタイプ
ホンダN800
ダイハツ
スバル
ところが翌年の「東京モーターショウ1966」になると、それまで決定打がなかった大衆車にサニーとカローラが登場し、いよいよ本格的なマイカー時代の幕開けとなった。学生だった私にとってマイカーは遠い存在でサニーもカローラも関心がなかったのか写真もなく微かな記憶だけでした。
東京モータショー1966の人々の熱い眼差し. 1966.10.30
日本がこんな華やかな時代になっても、この頃の地方はまだ未舗装道路で街外れの道路はホコリまみれの世界.並行する主要道路の整備が進んだところでは早々とバスへ切替え廃線となった地方私鉄も多かった.
都市部を除くと日本の各地はどこもホコリが白く漂っていた.
淡路交通の沿線は道路のホコリで草木の緑も真っ白になっていた.1965年8月 1966年廃線
日本のどこにでもあった風景.
オリンピック開会式の日の横浜駅前の車. 1964.10.10 横浜市電は1972年全廃