案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
ラベル 都電 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 都電 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年5月15日木曜日

2019年1月21日月曜日

渋谷の都電のりば

刻々と変りゆく渋谷を最近撮ったのは今年9月半ばで、4か月経った今は更に変化していることでしょう。昔、東急文化会館の前にあった都電のりばと変りゆく現在とを比較してみました。

50年前にこの都電のりばが消えバスのりばとなったこの一角は、東横線の渋谷駅が地下化される前までは何となく昔のイメージを把握できていた。
ところが、今はもうそんな昔のイメージはとっくに消滅して更にわけ分からなくなっていくのだろう。



2018.9.14 バスのりばがあったところにビルを建設中。

東横線の渋谷地上駅とバスのりばがあった頃 2013.2.27

都電34系統(渋谷~金杉橋)  1967.12.03

都電6系統(渋谷~新橋)六本木行と10系統(渋谷~須田町) 須田町行


2018年9月25日火曜日

都電8系統 恵比寿から渋谷橋へ

8系統の恵比寿を過ぎて明治通り渋谷橋交差点まで追ってみました。
東京オリンピック開催後3年の昭和42年、まだまだこの辺りの風景はのどかで、現在の渋谷橋あたりの大通りを見ると全く別世界になってしまった。毎年毎年こうして今昔の差が開いていくのでしょう。
撮影:1967.12.03
恵比寿の山手線ガード下。

左の車はこれですね。1965年東京モーターショウのスバル1000

渋谷橋から恵比寿へ向かっている8系統。

のどかな渋谷橋交差点近く。

街並みに1200がよく似合う。

渋谷橋で明治通りの34系統に合流する。

渋谷からやって来た34系統、そして8系統が分岐する渋谷橋。
空が広い! 

2018年9月17日月曜日

都電8系統 中目黒から恵比寿へ

最近この辺りをよく歩くので、昭和42年の中目黒から恵比寿にかけての都電風景を再度並べてみました。この界隈、今のお洒落な街風景とは対照的に、当時はのんびりした風景であった。


ここが中目黒かと思ってしまう風景。 1967.12.03
やはりtifでスキャンしてjpgにすると画質がきれい。

中目黒

中目黒から恵比寿へ向かう今の駒沢通りの坂。2018年9月

築地行きの1200が目黒川を渡る。

駒沢通りの坂を登ると、東横線の代官山が近い。以前はカットしていた画面左右のノイズ(電柱など)も積極的に入れるようにしました。邪魔と思っていたノイズも時代と伴に見かたが変わってくる。

恵比寿駅前の駒沢通り

恵比寿駅前

2018年8月13日月曜日

昭和38年 田辺さんの東京散歩

1964年東京オリンピック開催後、昭和40年代に入ると東京の風景も面白くなくなってしまった。ところが、その僅か数年前の昭和38年の東京にはこんな風景がころがっていた。当時はこれが当たり前で私はカメラを向けることがなかったが、今、写真で見ると大変な風景だったのだ。

撮影:田辺多知夫 1964年12月
都電はやはりこの時代の車が入るとインパクトがある。

今やお洒落な恵比寿駅前もこんな風景であった。

恵比寿から駒沢通りを中目黒へ向かう8系統。

 恵比寿の米軍DD12
部分拡大

ED17

ED16

五反田駅前

2017年12月20日水曜日

新宿大ガードの今昔

西武新宿駅に近い新宿大ガード下を通ると思い出すのが・・・・・
で始まる西武軌道線跡はこれで二回目。
前回の2012年1月20日「新宿大ガード」から6年が経つ。
あの頃、街撮りはデジカメであったのが今やスマホに代わった。
この先5~6年が過ぎるとまた何かが大きく変化していることだろう。

そして、西武軌道線の跡があった大ガード風景(1962年)は益々遠い昔のことになった。改めて今の新宿大ガード風景と55年昔を比較してみました。

今の新宿大ガード 2017年12月

55年前、西武軌道線の跡が大ガートをくぐり新宿駅東口に向っていた。 1962年秋

大ガード下にあった西武軌道線の跡。
途切れた軌道の向こうに都電杉並線「新宿駅前」が見える。

現在の大ガード。 2012年

2016年12月13日火曜日

目黒駅前再開発

この日、白金から目黒通りを歩いて目黒駅前に到着するとこんな見覚えのある駅前風景があった。今、駅東側で盛んに駅前再開発中の場所は確か都電の目黒車庫があったところだ。都電が走っていた頃、目黒車庫には5系統4系統の小型車1000、1100形などが配置されていた。再開発で車庫の跡地は大きく変貌を遂げているが、駅ビルには50年前の目黒駅の面影が残されていた。今や時代遅れとなってしまった駅ビルもいずれ建替えられるのだろう。

現在の目黒駅前で左手が工事中の駅前再開発現場.2016.12.13

昭和42年の目黒駅前。各所に見られた「祝目黒駅完成」の表示から目黒駅ビルが完成直後だったのでしょう.目黒駅ビルは築50年の今も変わりない.手前の分岐線から目黒車庫へ入る。1967.12.03


ここから都電5系統が発車していた目黒駅前電停(4系統は五反田から発車)

祝目黒駅完成の看板を掲げた商店街

目黒駅前電停 駅ビルは今も変わらない.

駅前電車通りの商店街に掲示された「夢のショッピング 目黒ターミナルビル 11月1日開店」.当時としては画期的な駅ビルだったのでしょう。

表通りから奥へ入ったところに目黒車庫があった.

車庫のトラバーサ

目黒車庫には5系統4系統の小型車1000、1100形が配置されていた.

車庫跡に工事中の目黒駅前再開発ビル

2016年4月6日水曜日

昭和38年東京の自動車(都電杉並線3)

昭和38年青梅街道の街並みの写真を見ると、あの「三丁目の夕日」(昭和34年想定)のような東京のイメージがまだ残されています。荷満載のトラック、レトロなクルマ、ボンネットバス、都電、商店の建物と看板、遠くまで広々とした空、背の低い立木など。こんな東京の街並みは昭和40年に入って刻々と変貌して行った。

都電杉並線 1963.11.30 撮影:田辺多知夫
高円寺陸橋から見た街並み.

鍋谷横丁
鍋屋横町の子供たち
さよなら杉並線にかけつけた人々. 荻窪駅