案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2026年5月3日日曜日

夏の松本駅前

「夏の松本駅前」松本電鉄 浅間線 1963年7月

夜行列車で松本に着いたのは、まだ夜明け前のことだった。静まり返った駅前に立ち、これから始まる一日を思いながら歩き出す。

沿線をあちこち撮り歩き、再び駅前に戻ってきた頃には、夏の陽はすっかり高く昇り、街はもう昼の顔になっていた。古びた木造電車は、駅前の端にある小さな乗り場で客を乗せると、ゆっくりと動き出し、急カーブを曲がってメイン通りを浅間温泉へ向かって陽ざしの中を走り去って行った。
(生成AIカラー化画像)



夏の松本駅前   1963.7.20

学校前の急カーブ

「学校前の急カーブ」

砂利道の併用軌道を、埃を巻き上げながら木造電車がやって来る。
十分に速度を落とし、急カーブに差しかかると、
ギィギィと音を立てながら直角に曲がって、松本駅前へ向かっていった。

正面の高校では、生徒たちが大掃除に追われている。
明日から夏休みなのだろうか、
校舎のあちこちに、そんな気配が漂っていた。


学校前 - 日の出町 1963.7.20

松本電鉄 浅間線 1963年7月
(モノクロ画像のAIカラー化画像)

これまで「記憶にある色を求めて」で、昭和30年代の車両カラーを生成AIとのやり取りで詰めてきました。さらに車両の背景を含めた情景としての色あいも煮詰まってきましたので、写真+短文を1枚に仕上げてみました。

こんなシーナリーセクションを作ってみたい、けど私はこの1枚で十分です。
使ってきた生成AIは、ChatGPTの有料プランPlusです。


今回、私の記憶にある車体色で浅間線が定まってきたので、昭和30年代の沼尻、尾小屋、能登線などの車両カラーを更に詰めて行こうと考えています。

1970年代以降は車体カラーが誌面情報・ネット情報などで分かるのでカラー化した時の感動は薄く、美しいモノクロ写真を何でわざわざAIで酷いカラーにするの?? こんな疑問はよくあることだと思います。

ここで取上げて来たのはカラー情報が無くて車体カラーがよく分からない、また誌面情報で車体カラーが分っていても記憶とは何か違う、そんな昭和30年代から昭和40年代初頭までの車体カラーです。


2020年6月15日月曜日

朝の浅間温泉驛

温泉といえば浅間温泉行きの軌道線 松本電鉄浅間線。
ひなびた木造電車と対照的だったのが立派な洋館風駅舎であった。
昔も今も高級感ある温泉地の感じがする。

撮影:1963.7.20
朝の日が差してきた浅間温泉驛。

浅間温泉の立派な駅舎。

浅間温泉驛

松本市内へ発車した朝の通勤電車。

下り電車がまもなく浅間温泉に到着する。中浅間近辺

2019年5月19日日曜日

浅間線 夏の松本市街

写真集「地方私鉄1960年代の回想」(上)の浅間線では取上げなかった写真をアップします。

クルマ社会の到来による客の減少が廃線の理由であったが、廃線一年前の夏の浅間温泉行き電車は乗客で賑わっていた。松本駅前から浅間温泉に行くには浅間線の電車しかなく、廃線になってから浅間温泉行のバスが運転開始されたそうだ。

撮影:1963.7.20
松本駅前の片隅を発車した電車。

朝とは趣を変えた日中の松本駅前。こんな風景は現在の松本駅前の風景と全く結びつかない。

松本駅前ではこんな光景もあった。

夏らしい駅前通りに古風な店が並ぶ。朝は道路にバスが次々やってきたが、日中の道路にはクルマはまだそれほど多くない時代。

駅前通りの先に夏の雲と山並みが見える。夏の強い陽ざしも今と違って優しかった。

どの電車も乗客で賑わっている。道路沿いの民家が味わい深い。

いかにも昭和らしい看板掲げた街並みに浅間温泉へ向かう木造電車がよく似合う。

松本駅前から六つ目の電停「学校前」と映画看板

2009年の松本駅前通り.ビルで大通りが暗い。

2014年5月12日月曜日

中央本線 夜行準急「穂高」2407レ

浅間線を撮りに松本へ向った新宿発のあの夜行準急「穂高」2407レは甲府でDF50の重連に付替えと日誌にあったので、この深夜の牽引機付替えのことを調べたところ「DF50だぶる」という記事を載せたサイトがありました。管理人様にお断りして掲載します。画像は私達が乗った1963年夏から1年半後、深夜の甲府駅で撮られた準急「穂高」です。


中央本線夜行準急「穂高」は甲府からEF13+マヌ34に換ってDF5033+DF503の重連牽引になります.
編成はナハ10系にオロハネ10など、機関車客車ともまだ茶色塗装の時代でした.1965年2月甲府駅.
寺田牧夫様のサイト【安楽鉄道趣味】轍楽之路No.234の「DF50だぶる」より。

季節は違うがあの夏の超満員の夜行列車はこんなであったのでしょう。
準急「穂高2号」2407レは昭和37年12月の改正で準急「穂高」2407レに変わったようで
私達が乗車した1963(昭38)年夏は「穂高2」号ではなく「穂高」になっていたようです。


2014年5月7日水曜日

昭和38年 夜行列車と浅間線

写真展「上野駅の幕間」と浅間線の話題から、昭和38年の夜行列車と浅間線のことが懐かしく思い出されてきます。1962(昭37)年~1967(昭42)年のよく夜行列車を利用した時代は、先日の写真展の上野駅風景から更に15年も昔のことであった。
あの時代の夜行列車の駅や車内が一体どんな風景であったのか自分のカメラで記録してなく悔やまれて仕方ないが、日誌の記録より1963(昭38)年夏の新宿発長野行き準急「穂高」夜行列車から翌朝の松本駅前までを追ってみました。

「ニュー東京」から見た昭和38年の有楽町風景.1963.07.19
1963(昭38)年7月19日。この日はまもなく消える京王の中型車を下高井戸~代田橋で撮って夕方に鉄道友の会の写真部会が開催される有楽町の「ニュー東京」へ向かった。友の会のアプト見学会の前々日で8mmを見たりして21時過ぎに「ニュー東京」を出た。

有楽町で切符を買い新宿駅に着くと22:35発の長野行準急「穂高」は既にホームに列車が入線し客車内は満員で空席なし、他に何本かある夜行列車のどれも登山客で長蛇の列。仕方なく「穂高」の車内通路の床に座る事にした。
発車時刻になる頃は床スペースも満杯となり、登山客満載した列車はまるで登山貸切列車のようであった。八王子あたりからは通路を移動する客もいなくなり眠ろうとしたが床に身体を丸めて横になるスペースもなく殆ど眠らずであった。
列車は甲府でDF50重連に付け替えし4時過ぎ頃に塩尻に到着すると、やっと座席に座ることができた。しかし松本までは1時間もなく殆ど眠らず早朝のうす暗い松本駅に4:45到着した。

費用削減で夜行列車はいつも自由席であり、寝台列車や特急などは縁遠い存在であった。何時間も駅で並ぶことで大抵は自由席が確保できたが盆暮れシーズンには床に新聞紙を敷いて寝る事があった。しかしこの松本ヘ向かった時の夜行列車は床に横になることさえできない超満員の一夜であった。
あの頃はコンビニも自動販売機もペットボトルも無かった時代、鉄撮り旅で水筒を持っていった記憶もない。クーラも付いてない真夏の超満員夜行列車でどうやって水分補給していたのだろうか? 駅にある水飲み場でなんとかなったのだろうか。

まだマイカー時代到来する前の頃、若者達の余暇の楽しみ方は登山やハイキング等が上位を占めていたのだろう。新宿駅の地下通路や階段に列をなすリュック客や松本駅前の賑わいはあの時代特有の風景であったと思われる。夜行列車を使って全国各地をめぐるリュックを背負った若者も多かった。そんな旅人達と車中で言葉を交わすと、秘境旅であそこが良かった、これから何処へ行く等の旅の話題が噛みあわず鉄ちゃん旅がなんとも悲しかった。

始発前で薄暗い浅間温泉行き電車のりば.1963.07.20
薄暗い早朝の国鉄松本駅前に見つけた浅間線の線路に歓喜! カーブした線路の先へ進むと駅前広場の隅に2本のホームからなる駅があった。暗い駅には薄汚れた木造電車が2両停車していて始発まではまだ30分あった。廃線ムードが漂うひと気のない駅はまるで廃線後のようであった。国鉄松本駅前はどの商店もまだ閉まっていたが駅前のバス停には登山客が溢れ、ここだけは日の出前の早朝の感じではなかった。

松本駅前で登山客を乗せたバスが次々発車して行くと、やがて浅間線始発電車がホイッスルを鳴らし駅前にゴトゴト出てきた。朝食をとるのも忘れ早朝の駅前通りを進むと人もまばらで静まり返った街の中を電車が何本か通り過ぎて行った。
昭和30年代を色濃く残した松本駅前通りの佇まい

1段下がった運転台、そして昔の車内デザインの素晴らしさ.

 昼頃の国鉄松本駅前  
早朝の駅前通りの写真は「浅間線 早朝の温泉行き電車」にあります。

2013年2月13日水曜日

松本電鉄浅間線、早朝の温泉行き電車

夜行列車で夜明けの都市に到着すると、うす暗い駅前通りに路面電車が停まっている。
こんな早朝の駅前光景を1960年代には各地で見掛けた。

朝5時前に到着した松本駅は夜行でやってきた登山客で賑わい、登山客が向かう上高地方面とは反対の東側に開けた松本市街を浅間温泉行の電車が走っていた。
温泉行電車の撮影は、こんな登山客を除けば早朝でひと気のない松本駅前からスタートした。

陽が出てからの浅間線の紹介は「松本電気鉄道 浅間線」 にあります。

始発前の浅間線松本駅  1963.7.20
まだ薄暗い国鉄松本駅の片隅に、うす汚れた2両の木造電車が休んでいた.
ひと気のない駅と電車はまるで廃線後のようであった.

早朝のひと気のない松本駅前で登山客を満載したバスだけは賑わっていた.
やがて朝の1番電車が発車しガタゴトと松本駅前に出てきた.

早朝で車や人は少なく、静まりかえった松本の大通りを行く電車.

電車の脇を松本駅へ向かうボンネットバスが連なっている.

学校前の急カーブを曲がり未舗装の併用軌道を行く.

併用軌道から専用軌道区間へ入ると、家並みの間をくねくね曲がって走る.学校前-清水

2011年6月2日木曜日

松本電鉄 駅前通り

国鉄松本駅前の片隅に浅間線のりばがあり、ここを発車した電車は市内を一直線に延びるメインストリート上を走っていた。山並みを背景にボンネットバスや木造電車が走っていた信州松本の光景。
今この駅前に立つと、あの夏の日の風景が思い浮かばない垢ぬけた美しい観光都市に変貌していた。



駅前から一直線に延びるメインストリート. 松本駅前 1963.7.20


夏の日差しを受け、山をバックにボンネットバスや木造電車が走る.




現在の市内メインストリート(2009年10月)と、松本駅前の今昔 

2011年5月31日火曜日

松本電鉄 学校前の急カーブ

学校前の急カーブは浅間線の沿線風景で最大のハイライトだった。
松本駅前から市中心部を東へ進むメイン道路上の併用軌道は、この学校前で急カーブして脇道へ入り、
砂利道の併用軌道になる。トロリーラインならではのこんな光景が素晴らしかった。


砂利道の併用軌道 学校前-日の出町 1963.7.20
木造電車モハ2(昭和2年製)が埃をまき上げながら浅間温泉からやってきた.

十分に速度を落とし急カーブに差しかかる.


学校の手前の急カーブをギィギィ音出して曲がると、メイン道路(舗装路)の併用軌道に入る.
学校では明日から夏休み? 生徒達が大掃除をやっているようだ.


学校前駅
急カーブした直ぐのところに「学校前」駅があった。
この交換駅含め3ヶ所の駅で交換があったので、本数はかなりあった.
現在の交差点は校舎前の急カーブのところではなく、このあたりに移動されたようだ.



2011年5月30日月曜日

松本電鉄 横田~学校前

次の交換駅横田は駅らしい大きな駅でここに車庫があった。
朝は庫内に1両のみで電車は殆ど出払っていたようだった。
乗客の姿も多くこの翌年春の廃線を前にして寂れたムードは無かった。

横田駅の交換 1963.7.20   ポップアップ画像

街外れの畑や民家の間をクネクネ曲がり、専用軌道区間を更に走ると
そこに清水駅があった.

専用軌道を行く. 学校前 - 日の出町

浅間温泉からの専用軌道は終わり、ここから松本駅前までの併用軌道へ入る.
 学校前 - 日の出町