案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
ラベル 京福電鉄叡山線、鞍馬線 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 京福電鉄叡山線、鞍馬線 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年3月23日月曜日

底冷えの岩倉

 京福電鉄鞍馬線 1969年
正月の京都に来ていた。街は華やかな正月だった。
なのに観光らしいことは何もせず、
私は洛北へ向かい、岩倉盆地の田んぼの中にいた。

西陽が差す午後、田んぼの向こうを行く鞍馬線を狙った。
しかし京都の底冷えには参った。
今思うと、廃線になる路線でもないのに、
あの寒さの中で防寒着も着ず、
薄着でよく我慢して撮っていたものだと不思議に思う。

60年近くたった今、あの時の我慢も無駄ではなかった。
そう思うと、底冷えの岩倉も悪い思い出ではない。


木野 - 岩倉




2021年12月22日水曜日

京福電鉄鞍馬線 厳寒の岩倉盆地

12月20日発売のTMS1月号 連載第31回は「厳寒の岩倉盆地」京福電気鉄道鞍馬線です。
叡山線・鞍馬線にまだ美しいポール電車が走っていた時代です。
撮影:1969.1.2




TMS新年号の京福電気鉄道鞍馬線。

2014年9月3日水曜日

京福鞍馬線 岩倉のあの頃

京福鞍馬線 岩倉盆地 を読まれた方から頂戴したメールに1966~1968年当時の岩倉駅や鞍馬線の素晴らしい描写がありましたので、了解を得てここに紹介します。私もあの正月厳寒の岩倉盆地を訪れた時のことを改めて思い出しました。1960年代後半(昭和40年前半)に入っても、郊外にはまだこんな質素で優雅な時代が残っていたのですね。

 比叡山を望む岩倉駅 1969.01.02

正月の厳寒に震え上がった岩倉駅に客は暖かそうなお二人だけ 

岩倉駅近くに66年から68年まで暮らしてました。とても懐かしいです。当時は山村という感じでとても京都市内とは思えないところへ来てしまったという感じでしたね。岩倉駅の薄水色の駅舎が目に浮かびます。改札口?の所に持ち込み可能な手荷物の見本が立方体の木型で置いてありました。当時から無人駅でしたが時々切符売りの駅員さんが来てました
ダイヤは1時間に4本で岩倉駅折り返しが2本鞍馬まで行くのが2本で便利さはまあまあでしたが春の連休時に必ず24時間か48時間のストライキで運休するので岩倉は陸の孤島になりました。
2つ目の写真の岩倉川にかかる鉄橋のレールに夏になると蛍がとまっていました。川のたもとにお粗末なお便所があり、京都バスの女車掌さんが使ってました。この写真ではもうなくなってますね。
当時は駅前によろずやが一軒あるだけ、食堂も銭湯もなく、不便さに耐えかねて中京へ移りましたが、市内との温度差はかなりあり、夏の深夜はかけ布団がないと寝られなくなる岩倉が懐かしくなりました。

あの頃の叡電の年中行事ときたら春の連休のストライキと晩秋に行われる鞍馬の火祭りの際の電車のエンコでしたよね。
鞍馬の火祭りは鞍馬線にとって最大のイベントで市内と鞍馬を結ぶ最大の交通機関である叡電にとって年間最高の稼ぎ時でしたが、なにしろオンボロ電車でしたから毎年積載オーバー?で過熱して?立ち往生し、祭りから帰るお客さんはいつも市バスも市電もなくなってしまった出町柳駅に降り立つのでした。それでも非難轟々とならなかったのんびりした時代でした。
 以上 匿名さん

正月休みの京都(私の記録より)
1969年の正月、この頃は私の会社人生がスタートした頃で、貴重な7日間の正月休みは寝屋川の友人宅を訪ね正月の関西観光の筈であった。この頃は鉄撮りは全く関心なしで、元旦に奈良へ行った翌2日は京都見物の筈であった。ところがこの日突然友人は彼女と京都ドライブだということで、私一人で京都へ行くことになった。
一人の観光では楽しくなく、仕方なく京都市電や京福叡山線を撮りながらなんとなく岩倉盆地にたどり着いた。正月の京都市内各所でさんざんアベック姿を見せつけられ、岩倉盆地では余りの寒さに良い想いもなく早々に岩倉を切り上げ東京へ引き上げてしまった。
こんな寒々しい正月の京都であったが不幸中の幸いで、この時に友人と京都観光でもしていたら京都市電も京福叡山線も撮ることはなかったろう。残念なのはもし鉄撮り趣味を辞めていなければ友人宅をベースに正月休みの殆どを使って京都の私鉄を撮りまくっていた筈で、更に大きな収穫があったのに・・
今思うとほんとうに勿体ないことをしてしまった。

なんとなく撮った大晦日の大阪市内 1968.12.31


元旦の奈良 若草山 1969.01.01

元旦の奈良 法華堂

2012年2月19日日曜日

鞍馬線 岩倉から見る比叡山

京福鞍馬線 岩倉盆地」でコメント戴いたkawkさんの情報から
デオ300の写真を探してみるともう一枚ありました。
ちょうど背景に比叡山が写っていたのでアップしてみます。
kawkさんのコメントに因れば岩倉駅付近から見る比叡山の姿が一番美しいとのこと。
たまたま岩倉駅で降りたのが幸運でした。


比叡山をバックに岩倉盆地を行くデオ300.  1969.1.2 画像クリックで拡大
この日デオ200は盛んに走っていたが、デオ300(2両在籍)は滅多に来なかった。



岩倉盆地を行くこちらはデオ200


2012年1月6日金曜日

京福叡山線 修学院車庫


八瀬遊園行きデオ500形506  修学院  1969.1.2
パンタをポールに付け替えた元阪神小型車  
画像クリックで拡大


元阪神831形が6両休む修学院車庫


デオ500形510(元阪神831形)

生え抜きのデナと元阪神が混在する車庫の風景 


 京都電燈が叡山線用に増備したデナ21形22  1929(昭4)年日車製 


鞍馬電気鉄道開業時に新造されたデナ21形124 1928(昭3)年日車製

1944年に京福福井支社へ転じたデナ11形.  東古市 1968.1.14
叡山線開業時に新造されたデナ11形(11~14) 1926(大15)年日車製は
福井支社ホデハ241形(241~244)として生まれ変わった.


2012年1月4日水曜日

京福鞍馬線 岩倉盆地

宝ヶ池から鞍馬線に入り左へ方向を変えたところに岩倉駅がある。
岩倉駅を出ると沿線には人家も少なくなり、あたりは一段と底冷えが厳しい京都の正月が。
自然豊かな美しい山並みと田園風景の単線区間をポール電車が行き来していた。

上: 比叡山を望む岩倉駅 1969.1.2
下: 鞍馬線の複線は岩倉を過ぎると単線となった

岩倉を発車して比叡山を背に鞍馬へ向かう  画像クリックで拡大

京都北部の美しい山並み デオ300

宅地開発される前の岩倉盆地の田園風景



2012年1月3日火曜日

京福叡山線 宝ヶ池

だぶりで不要

京都市電の高野からは叡山線が近く、市電を切上げて叡山線に沿った道を宝ヶ池まで歩いてみた。
各駅を覗くといかにも叡山線らしい電車などがポールを上げて次々とやってきた。

 
京都電燈からの生え抜きデナ21形  茶山 - 一条寺  1969.1.2 

鞍馬行デオ200形 一乗寺


ポールを上げてやって来たデナ500形(元阪神小型車).
修学院あたりに来ると背後に洛北の山並みが迫って来る.


出町柳側からみた宝ヶ池駅. 鞍馬行が左に分かれる


正月の宝ヶ池     出町柳行デオ200形 


終着駅八瀬遊園の風景


2012年1月2日月曜日

京福叡山線 宝ヶ池

京都市電の高野からは叡山線が近く、市電を切上げて叡山線に沿った道を宝ヶ池まで歩いてみた。
各駅を覗くといかにも叡山線らしい電車などがポールを上げて次々とやってきた。

 
京都電燈からの生え抜きデナ21形  茶山 - 一条寺  1969.1.2 

鞍馬行デオ200形 一乗寺


ポールを上げてやって来たデナ500形(元阪神小型車).
修学院あたりに来ると背後に洛北の山並みが迫って来る.


出町柳側からみた宝ヶ池駅. 鞍馬行は左に分かれる


正月の宝ヶ池     出町柳行デオ200形 


叡山線の終着駅 八瀬遊園の風景


2011年12月30日金曜日

京福電鉄 叡山線

京福電鉄福井支社に対し、京都の京福電鉄叡山線ではこの頃、元阪神小型車がパンタをポールに付替えて大量に入線していた.元阪神の細面がひときわ魅力的であった。

修学院の車庫 1969.1.2
1964(昭39)年~元阪神小型車831形を譲り受け京福デオ500形として10両が在籍し
修学院車庫では元阪神を6両確認できた.