案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2021年6月24日木曜日

駿遠線のDB601

初めて駿遠線のDB機関車を見たのは1963年4月に袋井工場にいたDB601でした。
これまで見たこともないゲテモノ機関車DB601は一体どちらが前方なのかよく分からなかった。
その数年後に見たDB601は改造されてボンネット(前方)形状がすっかり変わっていた。


DB601の愉快な顔。袋井工場

前から見たDB601 袋井工場  1963.4.4

相良で見たDB601(後から見る) 1966.9.23
袋井で見た3年後、前部のボンネットが改造されていた。

DB601
昭和26(1951)年5月、自社大手工場製の改造第1号機。廃車となったB7形蒸気機関車7号機の足回りを転用し、蒸気機関(ボイラーやシリンダー類)をディーゼル機関(エンジン)に換装した形となった。自重7トンのB凸形で、全長5,047ミリ、動輪径610ミリ。機関は金剛のDA60を装備し、出力110PS、回転数2,200rpm、牽引重量47トンだった。その後昭和28(1953)年11月に改造認可を得、車軸配置B1をBとし、全長5,130ミリに改造された。 解説:中村修さん

2021年6月22日火曜日

西武狭山線のN101系

 西武鉄道列車位置アプリで狭山線に赤電が走っていたので西所沢へ駆けつけると引っ込んでしまい、アプリから消えた赤電。しばらくすると小手指から出てきた赤電はこの写真のあと待機線で休み、そのあと赤と黄色で狭山線を往復していたようだ。翌日の昼間は黄色と20000系で往復している。

昨日と違ってナイターがある今日夕方はどっと球場行直通が入線し様相は一変するのだろう。何も知らない私には狭山線のN101系運用がサッパリ分からなかった。


夕方、小手指から出場して来たところ。

ナイターがない日の夕方、西所沢で揃った赤と黄色のN101系。2021.6.21




暮れ行く西所沢を発車するN101系


2021年6月20日日曜日

JR新宿駅への私鉄乗入れ

 新宿高島屋の地下食品売場に新宿南口の通路を通ってよく買物に行くことがあるが、その下の5、6番線(離れ島)に出入りする列車には全く関心がなくホームに降りてみることもなかった。

東武特急「スペーシア」は一度撮りたいと思っていたので昨日初めて5番線ホームに降りて10:18到着し10:31発車するスペーシアを初めて撮ってみた。日光行は早朝の1本だけであとの3本は鬼怒川温泉行き、早朝以外の日光行きの客は浅草or北千住で乗車して下さいということか。

撮影:2021.6.19
3番線ホームから見たJR新宿南口から新宿高島屋へつながる通路。


5番線に到着した東武特急「スペーシア」100系  4番線ホームから。
この「雅」(紫色)基調のスペーシアが最も好ましい。

5番線を発車する東武特急「スペーシア」鬼怒川温泉行き。
新宿発は鬼怒川温泉行が1日3往復、東武日光行が1日1往復。
デビューして早や30年、今も古さを感じさせない素晴らしいデザイン。


雨の中を2番線にやって来たのが相模鉄道12000系で折返し海老名行となる。
いつ撮っても写真写りがよい電車。


2021年6月18日金曜日

志摩線 半島を行く

6月20日発売のTMS 7月号、失われた情景 第25回は「志摩線 半島をゆく」で近鉄に飲み込まれる直前の三重電気鉄道志摩線(1964年夏)です。

志摩半島と言えばリアス式海岸で名高い観光名所。志摩線はそんな名所とは縁がない半島内陸部の山間をクネクネ曲がるカーブだらけの路線で、鳥羽から終点賢島まで海岸沿いを走ることはほぼなかった。
観光バスが発達していて、こんな地の果てのような小私鉄を使う観光客は少なかったと思われるが、近鉄志摩線になって改軌して一気に近鉄観光路線となった。関西・中京地区から賢島まで直通特急が走っている今、昔の三重電鉄志摩線の面影は何もないだろう。
よく紹介されている廃線跡は三重電鉄ではなく近鉄志摩線のルート変更による旧線跡ではないだろうか。

TMS 2021年7月号

遠くに見える電車は志摩神明駅に到着する。

志摩神明-賢島
志摩神明-賢島間の丘陵とカーブの連続。


ここが上の写真の丘陵の下だったとはこれまで気づかなかった。志摩神明-賢島

まもなく賢島に到着する。 志摩神明-賢島

2021年6月9日水曜日

沼尻のセタ

まさかこんなナロー模型の時代がやってくるとは思いもしなかった。

1964年に見た沼尻鉄道をイメージする模型が安価な1/80 9mmナローとして続々販売されている。この沼尻風貨車の元になった沼尻鉄道セタは採寸した車輪径から当時はO番1/45or48ナロー以外は考えられなかった。

トミーテック猫屋線はスケールモデルではなく沼尻風の車両であり足回りはNゲージのパーツを流用している。この沼尻風貨車も車輪径、カプラーなどに目をつぶれば雰囲気と走行を楽しめる。そこで猫屋線の「短小無がい車 3両セット」を購入してみました。 


猫屋線セトに沼尻の硫黄現物を載せてみた。


沼尻鉄道のセタ。川桁 1964年1月


猫屋線でこんな編成に仕上げてみたい。