案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年6月23日日曜日

お知らせ

明日6月24日より不在になりますので
ブログ更新を一週間ほどお休みいたします。
 katsu




2013年6月22日土曜日

新潟交通・東関屋 最後の田舎電車

新潟交通の車両を調べてみると、訪問した1968(昭和43)年はそれまでの車両が続々更新されて姿を変えつつあった時代だったようで、開業からの小型車モハ11、12、13、14、15、5両の内12、15は確認できたが、他の3両は既に日車標準型の車体に更新されていた。
そしてこの日に見た元東武5枚窓、生え抜き小型車モハ12、15等はこの後すぐに日車標準型や元小田急1400の車体に生まれ変わって行った。更新済みであった元富山港線クハを除けば旧型残党がほぼ揃っていた最後の時代であったという事になる。

昭和40年代に入ってからの地方私鉄(電鉄)で車両が大きく変化したのは、都落ち電車との入替えが盛んに行われたためで、昭和30年代までよく見掛けた個性ある古参車両は次々と消えて行った。その点新潟交通は1985年の小田急2220形入線までは、旧型車の車体更新と元小田急車の現地仕様化が主で比較的独自性を保ってきた鉄道と言えるのでしょう。

開業以来の電動貨車モワ51. 東関屋 1968.08.17

モハ16(元伊那電) 東関屋の駅を前回とは反対側から見る.

東関屋の駅と古参電車クハ40

昭和30年代の雰囲気が漂うクハ40.モハ17形(元東武デハ2形)2両の内の1両.


モハ17(元東武デハ2形)がクハ37(元国鉄キハ41000形)を牽く素晴らしい編成.
元東武5枚窓は翌年に車体更新される.

クハ33(元神中の気動車)と小型電車モハ12 右手に信濃川が見える.

車体更新されたモハ11がクハ40を牽く.

開業からの小型電車モハ12.この半年後に車体更新された.

開業からのクハ31

元神中のクハ33

元小田急1400の現地仕様化 クハ45

2013年6月19日水曜日

新潟交通 併用軌道を行く

県庁前-東関屋 1968.08.17

新潟交通のハイライトは、県庁前を出て東関屋手前までの狭い道路上を走る併用軌道区間にあった。
併用軌道は県庁前からしばらく国鉄越後線と並行してから越後線と立体交差する。その先で信濃川の土手に接近しそこに東関屋の駅があった。鉄道線の電車が道路上を走る風景は道路沿いの古い商店街と相俟ってまさに「昭和の街並」であった。

朝の狭い道路は新潟交通の通勤・通学バスで一杯で次々にやって来るのには驚いた.
併用軌道は車を避けて撮るのが大変に疲れるもので、それに較べると専用軌道は如何に楽なことか.
通勤時間にカメラと大きなカバンぶら下げて大通りを歩く二人連れは滑稽な姿だったろう.

雨上がりの通りの向こうからやって来る電車.

元小田急のクハが道路上を行く.

国鉄越後線の列車と交差する.

道路から離れて民家の裏手の専用軌道を5枚窓電車がやってきた.

線路はまた併用軌道に戻り東関屋 県庁前へ向かう.
やって来る電車がバラエティに富んでいて飽きる事がない.

信濃川沿いに車庫がある東関屋駅に到着する.

2013年6月18日火曜日

新潟交通 雨の県庁前

初日、国鉄新潟駅から新潟交通始発駅の県庁前に到着するとあいにくの雨であった。
ここから全線乗車する予定が雨で嫌気をさし、撮影を中止し新潟港から佐渡島観光へと向かった。
翌日にまた県庁前に来てみるとまたしても雨。小雨の中を併用軌道を歩き始めた。

雨の県庁前 1968.08.16

雨の県庁前
モハ16(元国電旧伊那)+クハ36(初代モハ16)

新潟を出港し佐渡島の両津港に到着. 1968.08.16

佐渡金山(鉱山)の遺構(北沢浮遊選鉱場跡)を見学.

翌日もまた雨の県庁前 1968.08.17

併用軌道を発車した電車. 県庁前

2013年6月17日月曜日

新潟交通 素晴らしき世界

前回の新潟交通ではカラーを中心にアップしましたが、人気の鉄道のせいかとてもよくアクセスされています。今回はモノクロ中心でアップしてみます。
新潟交通は初日に雨に降られ、佐渡島観光を挟んで翌日また出直したのでした。新潟交通の素晴らしき世界を初日からネガを追ってみます。まずは魅力溢れる電車庫の風景から。

東関屋の電車庫内部. 1968.8.17
地方私鉄の電車庫内はどこを見ても楽しい.動力系が分解され部品が
拡げられていてオーバホールした直流電動機の電機子などが見える.

足回りを外された小型電車モハ11形が定期検査中.

東関屋の車庫には元小田急や生え抜きのモワが並ぶ.

2013年6月16日日曜日

東京の郊外電車

昔、東京で「郊外電車」と言えば渋谷から吉祥寺へ向かう帝都電鉄(現井の頭線)モハ100形200形がその代表的な電車だったようで、幼い頃に絵本か何かで見たヒサシ付運転席窓とオデコライトの郊外電車が強く印象に残っている。
井の頭線の富士見ヶ丘で撮ったこの1枚。無残な2つ目ライトで全く関心が無かったが1403の経歴を調べてみるとこれこそは帝都電鉄モハ100形のなれの果てのようである。ライトを1っ目に戻し運転席窓ヒサシを付けたアンチクライマー付の前パンタ車を想像すると、何かで見たあの郊外電車の姿が目に浮かぶ。

デハ1403 富士見ヶ丘  1964年8月
永福町車庫の空襲で被災しなかったデハ1400・1450形3両が2代目1401~1403に改番されたそうだ.
その後の2灯化、ヒサシ撤去などの改造で本来の姿を失った.

デハ1403の編成に組まれたサハ1303も過去の遍歴が大変に複雑.
元祖は帝都電鉄モハ200形のようだが.

サハ1562

富士見ヶ丘の風景. 1964年8月
検車区が永福町から富士見ヶ丘へ移転される前で留置線があった.


小田急デユニ1002+デニ1101. 1962年9月  喜多見-成城
1960年にデユニ1002はクハ1551の車体に乗せ換えられた.
このデユニには小田急青電デハ1501+クハ1551(旧帝都所属車)時代の帝都スタイルの面影があった.

2013年6月14日金曜日

国鉄横浜線 町田風景

1964年夏に井の頭線レインボーカラー車を撮った頃、横浜線の町田風景は
原町田から淵野辺方面へ向かうとのどかで自然豊かな風景が拡がっていた。

小田急と交差し森野住宅の横を八王子へ向かう.原町田-淵野辺 1964年6月

今も面影残す県道52号線の道路橋

橋の先の淵野辺方面は宅地開発がされてなく一面に自然が拡がる.

桑畑風景をC58の貨物列車がのんびりと走る. 原町田-淵野辺

2013年6月12日水曜日

井の頭線 井の頭公園

井の頭公園駅を出て鉄橋を渡るあたりの木立ちを今昔比較してみました。
1960年代は殺風景だった光景も今や緑豊かになったものです。

井の頭公園 1967年3月
井の頭公園 1967年3月
井の頭公園 2011.06.13
神田川上流側から見る.

井の頭公園 2011.06.13
神田川下流側から井の頭公園方面を見る.

2013年6月10日月曜日

井の頭線 紫陽花

京王電鉄井の頭線 浜田山-西永福  2013.06.08

井の頭線の沿線が紫陽花のシーズンとなった。
数年前までは2枚窓レインボーカラー車3000系が盛んにやってきたが2011年12月で全廃となり、今ではすっかり新型に統一されている。
1962年にオールステンレス車体のレインボーカラー車3000系が登場し、それまでの京王グリーン車デハ1000形他をレインボーカラー車に置き換えていたが、一世代前の新旧入替え時代の「井の頭線風景」を並べてみました。レインボーカラー車が登場して50年、あれから沿線もカラフルになったものです。

京王グリーン車デハ1800形(1804)  富士見ヶ丘-高井戸 1964.07.02

京王グリーン車デハ1000形(1001)

1962年に登場したレインボーカラー車3000系(3702)   1964.07.02

3000系(3704)

3000系(3701)  富士見ヶ丘-高井戸
富士見ヶ丘を発車した渋谷行.高井戸の手前で線路は左にカーブしその先に団地が見える.

井の頭公園

2013年6月6日木曜日

玉電大橋車庫の電車2

大橋車庫で建屋が写っている画像二点は以前使用済で、今回 拡大画像にしてみました。

大橋車庫の全体.1962.12.07
左に2連の第一車庫、中央に車輪工場、右手に2連の第二車庫?が見える.

2連の第一車庫とその脇を留置線が奥へ延びる.

70形(71) 両端ドアの2枚引き戸が改造前の姿. 
第一車庫を抜けた奥の留置線.

70形(72) 車輪工場の前.

70形(73)  第一車庫の左手にはカマボコ屋根の建屋が連なる.

参考: 砧線の60形 二子玉川園 1962年12月
外観で70形とは窓数や両端の引き戸周りが異なる.

80形(106)   右手にカマボコ屋根が見える第一車庫の裏側.

80形(93) 車輪工場の脇.

第二車庫の電車の背景に見える変電所?の建屋.

この車庫の跡地が大橋ジャクションとなる→玉電風景 大橋の今と昔