案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年10月31日火曜日

金沢の街

1962年「朝の金沢」の2年後、1964年「大晦日の金沢市内線」については散々ブログに取り上げて来ましたが、金沢の街を未公開画像でアップしてみます。金沢の街を撮ったものではなく市内線を撮ったものですが、今見ると市内線の背後に写った55年前の金沢の長閑な街並みや街風景に惹かれます。

撮影:1964.12.31
橋場町分岐点に続く通り 大通りは大晦日で賑わっていた。こんな商店街の建物は今も残っていました。コメントに投稿戴いた通り、ここは金沢駅前のループ単線区間でした。これが金沢駅に向かっているところとは!  行先表示「寺町」に惑わされた。 六牧町~白銀町の通り。

ループ単線区間で同じ場所をもう一枚(再掲)貼ってみます。右手の建物も残っていました。この金沢駅前行き電車も「小立野」に行先表示を変えています。六牧町~白銀町の通り。

公園下 - 橋場町

車両が大き過ぎですが、大通りに面している傘をぶら下げた店は傘屋のようです。
公園下 - 橋場町

公園下(兼六園下)の分岐点にある街並みの向うに見える丘陵地帯は、今でも豊かな自然が残っているようだ(再掲)

公園下(兼六園下)から県庁前まで続く兼六園と金沢城に挟まれた坂。何となく中国的な風景。

兼六園と金沢城に挟まれた坂を行く5系統は、東金沢から寺町へ向かう。


金沢城を望む。

市内線が走る金沢城風景。

大晦日の公園下(兼六園下)の風景。

右手兼六園の裏手にある兼六坂を登る3系統が小立野へ向かう(再掲)

やはり一番の賑わいは近江町市場がある「武蔵ケ辻」分岐点。買い物客で賑わう大晦日の風景(再掲)


2017年10月26日木曜日

朝の金沢 危ういネガの再スキャン

55年前に撮ったネガもいよいよカールが始まってきました。今になってみると7年前のスキャンでは不満ありで、いずれネガ廃却する前にもう一度しっかりスキャンをやり直したいもの。そんなことを考えるとスキャンの作業はいつまで経ってもきりがないものです。

朝の金沢駅。1962年8月 今月に再スキャンしたネガ
国鉄七尾線で羽咋へ向かい、羽咋から出ていた北陸鉄道能登線を撮りに行く朝の金沢駅の1枚。背後の時計は6時15分、七尾線の金沢発は7時18分で、駅前の宿を出て1時間も前に駅に来ていたことになる。朝陽を浴びたC57の美しいこと。まだシールドビームなんて嫌なものが付いていない時代であった。影に写った自分の姿はまだ10代であった。

空が広い金沢駅。


金沢の駅前。1962年8月 

2017年10月24日火曜日

大牟田線 甘木線の小型電車

私が撮った2年後の1969年、やはり田辺さんも大牟田線の同じ場所で撮っていました。更に大牟田線の「はなばたけ」で甘木行きの小型電車モ200形を撮っていました。小型電車モ200形が甘木線専用になったのは1969年からのようです。

撮影:田辺多知夫氏 1969.2.15
大牟田線を行く小型電車モ200形。筑豊本線との立体交差近辺。

「はなばたけ」に並ぶ甘木行き小型電車モ200形。

大牟田線乗り入れ区間でしょうか、甘木行きモ200形。

 大牟田線のモ500形連接車。はなばたけ



大牟田線の小型電車モ100形。筑豊本線との立体交差部。

急行福岡行きモ300形。

特急大牟田行。はなばたけ

2017年10月22日日曜日

西鉄大牟田線

筑豊本線とクロスする辺りで撮った西鉄本線は、肝心の小型電車モ200形4両編成がピンぽけで失敗、モ100形3両編成が写っていたのが救いであった。

朝倉街道-筑紫   1967.3.6


筑豊本線の築堤から撮った直線区間を走る西鉄大牟田線。モ500形連接車。

小型電車モ100形







2017年10月21日土曜日

原田のC55

西鉄大牟田線の電車を思い出し、筑豊本線原田のネガをスキャンしてみました。原田のC55は1枚だけ以前アップしたことがあります。

美しいC55を撮りに原田駅に降りたのは1967年春であった。原田から宝満川鉄橋まで歩き筑豊本線と西鉄大牟田線と狙ったが、一面に田畑が開けた単調な風景で次々やってくる西鉄電車の写真はワンパターンになってしまい、フィルムと時間の無駄遣いに終わってしまった。こういうことになるので大手私鉄の電車は滅多に撮ることがない。

1967.3.6
どこまでも一直線に走る西鉄大牟田線とクロスする筑豊本線のC55旅客。

熊本電鉄と熊本市電を撮った3月6日は、この後熊本から鹿児島本線に乗って原田(はるだ)に来ていた。ノートの片隅には、朝早くから夕暮れまでろくに食事もせず歩き回り、何で俺はこんなところをさ迷っているのだとメモがあったが、九州めぐりの最後は原田から出ている筑豊本線のC55を狙った。

 原田駅のC55

原田を発着する筑豊本線にはC55列車が日中上下14本も走っていた。
門鉄デフを装備した美しいC55 


 D60 原田

D60とC55 春田-筑前山家

やって来たのがD51でがっかり。

2017年10月19日木曜日

西鉄福岡市内線

先輩のアルバム・シリーズ。
昭和38年の福岡にまだこんな光景があった。
この木造車は昭和45年まで走っていたようだ。

101形102号  天神 1963年7月
昭和38年、こんなアメ車がまだ走っていた時代だったのですね。東京でも走っていたかも知れないがクルマに関心がなかったせいか全く記憶にない。木造電車よりもアメ車に驚かされる。

101形102号  県庁前 1963年7月

101形114号  天神 1963年7月

上の写真の4年後、長崎で見たのが元西鉄の163号。長崎駅前 1967年2月

2017年10月14日土曜日

昭和38年の町田駅

先輩のアルバム・シリーズ。
1枚目の写真は小田急 新原町田(今の町田)駅で、今の町田からは想像もつかない長閑な風景であった。そう言えば新原町田のホームに立つと駅の南西部に田畑が拡がっていた記憶がある。

新原町田止り、上り1652+1602 1963.4.28  先輩のアルバムの1枚。

以下はこの頃の小田急と国鉄横浜線風景。
1963~1964年 撮影:田辺多知夫氏 
横浜線のC58。 小田急新原町田駅は横浜線から今より離れているように見える。

 行き交う電車と田んぼで遊ぶ子供たち。

新原町田駅の南側、境川沿いの自然豊かな一帯。

ホームから見た森野住宅方面。

新原町田駅を発車して横浜線をオーバクロスする1900。

横浜線原町田駅。