案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年10月24日火曜日

大牟田線 甘木線の小型電車

私が撮った2年後の1969年、やはり田辺さんも大牟田線の同じ場所で撮っていました。更に大牟田線の「はなばたけ」で甘木行きの小型電車モ200形を撮っていました。小型電車モ200形が甘木線専用になったのは1969年からのようです。

撮影:田辺多知夫氏 1969.2.15
大牟田線を行く小型電車モ200形。筑豊本線との立体交差近辺。

「はなばたけ」に並ぶ甘木行き小型電車モ200形。

大牟田線乗り入れ区間でしょうか、甘木行きモ200形。

 大牟田線のモ500形連接車。はなばたけ



大牟田線の小型電車モ100形。筑豊本線との立体交差部。

急行福岡行きモ300形。

特急大牟田行。はなばたけ

2017年10月22日日曜日

西鉄大牟田線

筑豊本線とクロスする辺りで撮った西鉄本線は、肝心の小型電車モ200形4両編成がピンぽけで失敗、モ100形3両編成が写っていたのが救いであった。

朝倉街道-筑紫   1967.3.6


筑豊本線の築堤から撮った直線区間を走る西鉄大牟田線。モ500形連接車。

小型電車モ100形







2017年10月19日木曜日

西鉄福岡市内線

先輩のアルバム・シリーズ。
昭和38年の福岡にまだこんな光景があった。
この木造車は昭和45年まで走っていたようだ。

101形102号  天神 1963年7月
昭和38年、こんなアメ車がまだ走っていた時代だったのですね。東京でも走っていたかも知れないがクルマに関心がなかったせいか全く記憶にない。木造電車よりもアメ車に驚かされる。

101形102号  県庁前 1963年7月

101形114号  天神 1963年7月

上の写真の4年後、長崎で見たのが元西鉄の163号。長崎駅前 1967年2月

2017年10月10日火曜日

京王新宿駅

先輩のアルバム・シリーズ。
京王線の新宿地下駅開業の日の写真1枚を見つけ、計3枚をお借りしました。今の京王新宿駅からは考えられない光景です。新宿地下駅が開業する前後の写真と、盛んに走っていた京王中型車を並べてみました。


新宿地下駅が開業した日の地上駅 1963.4.1。先輩のアルバムから。
この地上駅のところに京王百貨店が建つ。

開業直後の地下駅で、600V車が地下駅に入ってきたのはごく僅かの期間であった。
撮影:田辺氏

地下駅開業の直前で甲州街道に出る地上線。 1963.3.20。先輩のアルバムから。

新宿地下駅開業の直前で、甲州街道から新宿地上駅に入る。

今の新宿南口と甲州街道。

京王線が三丁目まで走っていた時代の地図で、後に新宿西口に京王新宿駅ができた。
昭和5年東京日日新聞付録。東京市外地図。


デハ2150形 1961.8.31 笹塚  先輩のアルバムより。
印画紙プリント写真がよい感じです。

デハ2150形 下高井戸 1962.12.7


2017年10月8日日曜日

東北本線 仙台駅前

市電が走る仙台駅前。 1964.7.30  先輩のアルバムより

私が訪問したのは上の写真の一週間後であった。仙台市電の撮影に夢中になり仙台駅は1枚も撮ってなく全く記憶にないが、この時の仙台駅はこんなだったのだ。

東京オリンピック開催の年、活気溢れる仙台の街。 左手が仙台駅前   1964.08.08

市電が行き交う駅前の賑わい。市電も沢山の客が乗っている。

以下は当時の市電通りの街並みです。
片平一丁目検察庁前

東北本線を越える花京院~小田原一丁目と思ったのですが、片平一丁目検察庁前近くのようです。のんびりと電車と車と自転車が走る。ミゼットの小さいこと。道路を走る電車と車と自転車のバランスがこんなであった時代、これぞ環境と人に優しい理想の道路ではないだろうか。

ここから仙台駅方面へ向かってみます。
裁判所前~片平一丁目検察庁前。


 裁判所前


仙台の中心部でも道路に全く車がいない。

②系統は仙台駅前の手前で分かれて長町へ向かう。

長町車庫前