鉄道模型趣味(TMS) 10月号の"地方私鉄 失われた情景"第16回は「井笠鉄道 井原駅」です。
井笠鉄道末期の井原駅はホームの上にボーリング場がある駅ビルに改築されたが、1962年はかって栄えた大軽便の面影をまだ残す堂々とした駅であった。
案内文章
高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった。
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
を回想してみました。
2020年9月18日金曜日
井笠鉄道 井原駅
9月20日発売
井原にいた車両など→井笠鉄道 井原駅
井原駅構内配線図の下絵
井原駅の笠岡行ホームと貨物上屋。 1962.7.30
ホハ18と駅本屋
ホハ5
元神高鉄道の2軸気動車 ジ16
2020年9月11日金曜日
昔のプリントから
どなたか先輩から頂戴した撮影者不明の紙焼きプリントをスキャニングしてみました。
撮影は昭和30年代の前半でしょう。
2枚目の加悦鉄道以外は私が撮り始めた頃には消えていました。
デジタル画像はいつかはデジタル環境に対応できなくなることもあり得るので、これからビネガーシンドロームで寿命尽きるネガに代わって、紙焼きプリント(キャビネ判程度)を原版として永久保存するのが確実と思われる。紙焼きプリントを処分してはならないに気付きました。
同和鉱業小坂鉄道小坂線.
雨宮製作所製の11号機.
加悦鉄道.
宮崎交通.日車製6号機.
2020年9月4日金曜日
霞丘陵から金子丘陵にかけて
青梅(東京)~飯能(埼玉)にかけて丘陵地帯があるが、八高線金子駅から見えるのが金子丘陵で、その西方の青梅まで連なるのが霞丘陵と呼ばれている。
1960年代半ば、地方だけでなく東京近郊にもこんな長閑な風景があった。
撮影:1966.9.29
八高線金子駅。一日何本もやって来た石灰石列車。
金子丘陵を背後に石灰石列車が金子駅に到着する。
東京近郊でこんな長閑な風景を見ることができた。霞丘陵
上記ネガの次のコマにあった日本のモータリーゼーションの幕開け 1966.10.30。
三菱
以下はホンダ
ホンダ
1966.10.30
2013年8月13日の記事 前年1965年の マイカー時代の幕開け
2020年9月2日水曜日
淡路交通 ガソリンカーを改造した電車
淡路交通(1966.10.1廃止)のカルダンドライブ車はこれまでに何回かアップしてきました。
淡路に4両いたカルダンドライブ車について画像を更新し改めて整理してみます。
自社ガソリンカーのキハニを改造してエンジンに代えモータを床下に吊り下げ、ガソリンカーのプロペラシャフトを使った直角カルダン駆動だったモハ2006~2009 4両は、まるで模型の駆動方式みたいな電車であった。その後 改造遍歴があり、1両ごとに外観や駆動方式が変化に富んだ興味深い電車であった。
モハ2006 直角カルダン エンジンをモータに交換し元々あったプロペラシャフトで駆動。
モハ2007 直角カルダン 上と同様
モハ2008 垂直カルダン 上と同様に改造後ある時期に試験的に垂直カルダンを組込んだ。
モハ2009 直角カルダン 写真の1965年時点では電動機は外してあったようだ。
過去の記事:淡路交通 垂直カルダンドライブ車
撮影:1965.8.2
モハ2006。プロペラシャフトドライブをやめて、普通の釣り掛け式駆動のブリル台車に履き替えた。側面はキハニ当時の3扉のままで角ばったスタイルは、他の3両とは全くイメージが異なる。
モハ2007。 2台の強力モータを床下にぶら下げて気動車用菱枠型台車に
プロペラシャフトで駆動する直角カルダン車。この日は準急で活躍していた。右のモータから車輪を駆動するプロペラシャフトが見える
モハ2008。 丸みを帯びた正面と側面2扉は2007と同様な外観。
この1台のみは垂直カルダン駆動方式を組込んだ試験車。
この1台のみは垂直カルダン駆動方式を組込んだ試験車。
直角でも平行でもない、垂直カルダン駆動とは興味深い構造だ。
写真で見ると電動機は1台車1個。翌年に営業運転している写真があるので最後まで電動機は外していなかった。
モハ2009。 側面の扉を1つ埋めて2扉車に。他の3両に較べ全長が短く外観も異なる。
この末期時代には動力は使われてなくクハとして使われていた。
この末期時代には動力は使われてなくクハとして使われていた。
モハ2008に組込まれた神鋼電機(現シンフォニアテクノロジー)製の垂直カルダン駆動装置。
図は三重交通志摩線 5401号のもの
この解説図は同志社大学鉄研OB会「デジタル青信号」に掲載されたもので、投稿者の沖中様に借用許可をいただきました。原本は図の様式から神鋼電機のサービスマニアルと思われます。
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