案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2020年7月16日木曜日

井笠鉄道 井原駅

1962(昭和37)年の井笠鉄道で貨物輸送はトラック輸送に奪われ年々減少の一途をたどっていて、この頃は小口貨物が主体であったようだ。井原駅には立派な貨物上屋がありリヤカーに積んで運んでいる風景が写真に写っている。貨車を連結した混合列車も走っていた。

こんな立派な井原駅も1967年4月に矢掛線、神辺線が廃線後は急激に変貌し、ボーリング場がある駅に建替え、その後すぐに鉄道が廃線となりバスターミナルになっている。その後、井笠バスも消滅してしまい中国バスが井笠バスカンパーを設立したが、改めて井笠鉄道末期の悲劇を思い知らされました。


撮影:1962.7.30
井原駅1番線ホームと貨物上屋。 

貨物上屋の拡大写真。

軽便としては立派な貨物上屋。

車庫が2棟あった。

笠岡行きと神辺行きが発着するホーム。

小さなターンテーブル上に休んでいた美しいホハ8。

神辺支線の元高屋 神高鉄道(井笠鉄道が買収)の2軸気動車ジ15。

こちらも神辺支線に使われたボギー車のホジ12。

神辺支線高屋駅の列車交換。ホジ7とホジ12

こんな客貨混合列車もめっきり少なくなっていた。くじ場

O番ナロー(1/48)の井原駅。製作:ナロー屋さん 2009年2月


参考:鉄道ピクトリアル増刊号「私鉄車両めぐり」第1分冊 鉄道図書刊行会

6 件のコメント:

千葉大好きっ子 さんのコメント...

高屋鉄道ではなく、両備軽便鉄道では?

katsu さんのコメント...

千葉大好っ子さん
ご指摘ありがとうございました。
うっかりしていました。
両備鉄道は本線を国鉄に買収され、
残された支線の神辺~高屋間が神高鉄道として営業しました。
これを井笠が買収して神辺線に。
あの気動車は元神高鉄道でした。

esehoku さんのコメント...

やっぱり昔の軽便は、手作り感覚みたいに1輌1輌がみな違っていて個性的なのが楽しいですね。
田舎湘南のような近代的なホジ1(違っていたらすみません)みたいなのもいれば、まるでトタン細工のように庇をくっつけたホジ12なんて、見ていて本当に楽しくなってきます。
そういう点でも、井笠は模型向きなんでしょうね。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
井笠の車両の多くが模型製品化されていますね。
それだけ人気があったとともに、模型にしたい車両ばかりだったと思います。
ホジ12などはとりわけ魅力的で1/48で模型製品化されました。
こういう楽しい鉄道は今や消えてしまい模型や写真で楽しむしかありません。

U-BOAT さんのコメント...

こんにちは。久しぶりの書き込みです。

井笠バスが清算したのは驚きました。地方公共交通を担う会社がこのような形で消滅するとは思ってもみなかったからです。
ネットなどで手に入る情報を断片的に読んだくらいなのですが、地方過疎化の影響はさておいて、この会社は組合の力が強く、他社がスト回避で妥結していても、この会社だけはしょっちゅうストを打っていたとのことでした。
その影響もあって、だんだん利用客が減っていったとのことでした。
以前書き込みさせていただいたとおり、花巻電鉄もやはり組合が運営にブレーキをかけてくるような行動をとることが多く、社長さんが嫌気がさして経営から手を引いたと花巻市内で働いていた時に聞いたことがあります。
あんまり鉄道写真とは関係ない話ですみません。
でも井笠鉄道の車両群、どれもこれもすごく好きです。会社は廃線後も鬮場駅に車両を集めて置いていたとのことで、放火されたという話は何ともやるせないです。

katsu さんのコメント...

Unknownさん
井笠鉄道の廃線後は鬮場の火災など壊滅的な悲しいことが多いですね。
尾小屋や頸城の車両保存に比べ井笠の保存は客車以外はあまり良好ではない気がします。
廃線が近い井原駅のまさかの改築もあのような悲惨な軽便の最後は他になかったと思います。