案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年9月18日水曜日

鉄道模型趣味誌の連載記事 第4回

まもなく発売の鉄道模型趣味誌10月号。
「地方私鉄 失われた情景」シリーズの第4回は非電化路線の東野鉄道です。
那須連峰を望む12月の黒羽駅を中心に取り上げてみました。
写真の1966年はすでに小さなボールドウィン1B1タンク機や二軸ガソリンカーの時代は終わっていましたが、模型ならこれらの車両を入線させて東野鉄道の良き時代が再現できるでしょう。



衝撃的な1/80ライブの記事。


2019年9月16日月曜日

江若鉄道 朝の叡山駅

右手、琵琶湖方面から朝日が差し込む叡山駅に列車が到着する。
間もなく1970年代を迎えようという時代にまだこんな美しい風景が残っていたのでした。


叡山駅の砂利に残るほうき目。 1969.10.19


2019年9月14日土曜日

江若鉄道 三井寺下

関西のディーゼル王国だった江若は大私鉄で、私は車両にそれほど関心はなかった。
しかし駅や沿線各所に味わい深いものがあったのは、琵琶湖畔の素晴らしい土地柄のせいなのだろう。
三井寺下の駅に着いたのはまだ日が出ていない寒い早朝だった。空が澄んでいて今日一日よい天気になりそうであった。駅で撮っているうちに日が出てきたが朝は弱い日差しで、駅には乗客の姿が全く写っていなかった。11月1日廃線の10日ほど前のこと。

撮影:1969.10.19
三井寺下の駅と周辺の民家のつくりが味わい深い。

陽が差し込んできた早朝。左手は浜大津で右手には大きな車庫があった。背後の建物がいいですね~。

浜大津からやってきた堂々とした朝の三連。

山並みを背後にして広々とした三井寺下構内。

あと10日ほどで廃線となる三井寺下駅で最後のお勤め。

静まり返った構内。


車庫にいたびわこ型気動車

2019年9月12日木曜日

「お知らせ」の引き出し

「お知らせ」の引き出しを開けて2014年12月10日の記事を読み返してみました。
あの頃はもう終わりかと思っていたところ、その後5年ブログは何とか持ちこたえました。

あの記事の2年後2016年秋頃にやっと下記のコンセプトが固まったのです。
「美しき日本の風情」あの頃の日本、決して美しい風景ではなかったが、そこに美しい日本の風情があった。これを私の写真集の根幹としました。

遠い昔に撮った鉄道写真はノスタル爺趣味だけではない。では何なの? を言葉で表現するヒントになったのが皆さまからのコメント欄の感想でした。これはほんの一例で、改めて皆さまからの沢山の感想に感謝申し上げます。
katsu


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2014年12月10日「おしらせ」
「喜多見の闇夜の電波塔」以来、ブログも途絶えすっかりご無沙汰してしまいました。

半月近くブログが死んでいるとアクセス数もガタ落ちかと思いきや、暫くは1000/日を確保していたのは大変有り難いことで励みになりました。
日々過ぎ去るホットな話題のフロー型情報ブログと違って、50年も昔の写真のストック型情報ブログはいつか終わりの時がくる、と思いながら気がつけば何と4年半も経ってしまいました。これだけ続けて来れたのも、常に1000/日を超える皆様からのアクセス数継続のお蔭です。

暫くはブログに今までのような時間を掛けられなくなり、のんびりペースで中断もあるかと思いますが、今後とも「地方私鉄1960年代の回想」をどうか宜しくお願い致します。
katsu


山形交通 尾花沢線
2010年初頭にアメブロ「多摩湖線」で軽い気持ちでアップした初めての地方私鉄画像。ここからGoogle Bloggerへ乗り換えて今の地方私鉄ブログが始まった。アメブロでブログを始めたあの原点から5年も過ぎ去っていた。

2019年9月7日土曜日

江若鉄道 白髭~北小松間 リニューアル

秋の琵琶湖の湖畔を走る白髭~北小松間を再度アップしてみます。

撮影:1969.10.19
ここは白髭駅でその先にある「湖中鳥居」、駅を出て左手へ進むと白髭神社へ向かう。
よ~く見ると、駅舎が神聖な白髭駅にふさわしい神社風のつくりです。

近江今津方面からやってきたキニ4が、左に湖中鳥居を見て白髭駅に到着する。


写真① この位置でもう少し引き寄せたのが先日のカラー写真です。

写真① 小さな半島のところで旧道はSカーブして江若鉄道の踏切を渡り山側となり、線路はここから白髭まで湖畔ぎりぎりを走り、前方に白髭神社の湖中鳥居が見えてくる。現在は線路と旧道が一体となって西近江路161号になっているようだ。

写真② 北小松を出た丘の上から撮った写真で、前方の小さな漁港の入江は現在もある。
白髭に向かう気動車は右に緩くカーブして進み西近江路と合流し、この道路を挟んで湖畔を走る。写真を撮った丘陵の下を現在は「湖西線」のトンネルが突き抜けている。

高架とトンネルの高速鉄道湖西線は全線に亘り江若鉄道の廃線跡の転用は少ないようで、
北小松~白髭間の廃線跡は湖西線でなく西近江路に転用されているようだ。


写真③ ②と同じ場所で気動車が道路を挟んで湖畔を行く。

江若鉄道の北小松駅はその後湖西線の北小松駅となり、今やこんな風景の面影は全く残っていない。
秋の北小松駅

2019年9月4日水曜日

粟ヶ崎海岸行の海水浴客電車

昨日の石鉄さんからのコメントから旧伊那電の電車モハ3101、3102をもう一度とり上げてみます。昭和30年代にこんな電車が夏になると内灘から粟ヶ崎海岸まで海水客を運んでいたのですね。

石鉄さんからのコメントより
 私の子供のころ(昭和30年代)金沢市民の海水浴といえば、粟崎海岸と金石海岸でした。粟崎海岸へは浅野川線(通称浅電)、金石海岸へは金石線を利用しました。
当時浅電は夏場だけ内灘から海岸駅まで営業していました。
 旧伊那電のダブルルーフのモハ851と852、3101、3102(851と852は木造車)が活躍していました。
 北鉄生え抜きの電車と比べても大きく、ゆっさゆっさと巨体を揺らしながら内灘砂丘の砂に埋もれたような線路を走っていました。
 どの電車も混んでおり、帰りの車内は汗や塩水でネチャネチャになった体をくっつけ合って帰ってきました。


撮影:1964(昭和39)年12月31日
 傷んでいる感じはなく綺麗なモハ3101。 北鉄金沢

モハ3102
北陸本線(後方)をアンダークロスして一つ目の七ッ屋に到着する。モハ3102+クハ1651のいかにも北鉄らしいゲテモノ編成。

モハ3102  七ツ屋

オリンパスペンSで撮った1964(昭和39)の内灘駅。左の海辺に延びる線路は営業休止中。
元遠州鉄道の車体を使ったモハ3571、かなり薄汚れている。

2019年9月1日日曜日

江若鉄道

夏が過ぎると秋の江若が思い出されます。
写真集で江若鉄道のタイトルを「晩秋の琵琶湖畔」と付けたかったのですが、
10月だったので「秋の琵琶湖畔」でした。
まもなく1960年代を終えようとしている秋の一日。

社会人になってすぐペンタックスSPで撮るようになり、ペンタSPでモノクロ、フジカ35はサブカメラ(カラー用)となりこのカラーもフジカ35で撮ったものです。

これが思わぬ失敗、これまでのオリンパスペンSの素晴らしさも知らず不満のハーフサイズのサブカメラの役目を1967(昭和42)年の井笠鉄道で終えてしまったのです。
社会人になってから訪問した江若、上田丸子、新潟交通などには、それまでハーフサイズのサブカメラで撮ってきた宮本常一的写真(構えずありの儘を記録する、例えば駅待合室風景など)が全くありません。今もハーフサイズのネガ箱を見ては後悔しきりです。


北小松~白髭間の名所を行く元熊延鉄道のキハ52。遠くに小さく白髭の湖中鳥居が見える。
 この日、元熊延のキハ51と52をよく見掛けた。1969.10.19

2019年8月28日水曜日

加南線 山代駅


以前使った加南線の路線図を一部訂正して再掲します。


先ほどまで曇天だった雨上がりの空から一瞬まぶしい陽が差し込む温泉町山代。
撮影:1964.12.29
スキャンをやり直して自転車のオバサンの顔がかろうじて現れた。生活と道路と鉄道が優しく調和していた。

眩しい太陽の下、電車区の脇を通って山代駅に到着する。

温泉町山代の街並みを背後にした山代駅。待合室の壁に書かれた「山代温泉」がかすれている。

新動橋行きの準急が走っていた。所要時間はきっと各停と変わりなかったのだろう。


2019年8月27日火曜日

加南線 河南~山代間の風情

北陸鉄道加南線のロマンスカーから、広島電鉄のブリルの話になり、さらに加南線に戻って元遠鉄クハ1600形のブリルの話になり、そしてクハ1600形が走っていた「河南~山代間」の風情をとり上げてみたくなりました。

この区間の風景は平凡過ぎて大聖寺川を渡る1枚のみを写真集に使いました。平凡過ぎる田園風景も今ではすっかり変って驚くばかり、遠い昔の田園風景を何枚かアップしてしてみます。
こんな鉄橋や木立と桜並木がある築堤を行く田園風景はモジュールやシーナリー・セクションの題材として如何でしょうか。

撮影:1964.12.29
河南を発車した電車が大聖寺川の鉄橋を渡って山代へ向かう。

木立の脇の築堤を電車は山代へ向かう。
この辺りに大きく立派な山代温泉施設をど~んと建てたようです。

桜並木を背にブッシュが茂る築堤を行く。

築堤の先に見える建物は温泉旅館か。

その先で小さな凸凹路と並走する。
頻繁にやって来たクハ1603+モハ3301は河南~山代間を区間運転していたのでしょう。

雨上がりの温泉町山代に新動橋行きが到着する。

2019年8月24日土曜日

小さなブリル台車 2

北陸鉄道加南線の電車で気になったのがこの小さなブリル台車です。

遠州鉄道から車体のみ購入したクハ1602と1603は、北鉄の手持ち台車を次々と交換して行ったようだ。車両竣功図によれば元々は日車D-16 軸距2200mmであったが、こんな極小軸距のブリルに履き替えた実にユーモラスな時代があった。

撮影:1964.12.29
加南線クハ1603のブリル  軸距1219  

加南線クハ1603  山代

加南線のクハ1603(元遠州鉄道クハ) 河南-山代
極小軸距のブリルを履くと車体とアンバランスな台車で実に魅力溢れる電車となる。

大聖寺川を渡って草ぼうぼうの区間を行く。河南-山代

こちらは加南線モヤ503のブリルだが1ランク上?と推定される(軸距1473? )

電動貨車モヤ503 その後EB221になる。