案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2025年1月18日土曜日

曇天の加賀平野

 

北陸鉄道山代線 新動橋-庄 1964.12.29



小さな停留場 庄


左に庄の駅が見える.


庄の拡大


写真は庄近辺で、粟津線(廃線)が分岐していた宇和野駅はこの2つ先となる.


国鉄と接続していた新動橋駅.


2025年1月4日土曜日

オリンパスペンから落穂ひろい(3)

 2025 新年

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。



北陸鉄道加南線(山代線)の新動橋から歩く.1964.12.29


2024年12月31日火曜日

年の瀬

 


今年の年の瀬.
12月30日の夕暮れ.

60年前の年の瀬.
片山津線 動橋(いぶりばし)風景.1964.12.29

2024年12月28日土曜日

オリンパスペンから落穂ひろい(2)

北陸鉄道片山津線の動橋(いぶりばし)駅はTMS188号(1964年)やシーナリーガイドに掲載された河田耕一さんの記事「温泉電軌のりかえ」で人気になりましたね。私が訪問したのは1964年の12月29日でした。まだ北陸の温泉郷が賑わっていた時代だったのでしょう。




国鉄ホームから見たのりかえ駅風景.


隙間だらけの木造車庫の奥にいろいろな物が.


古い松葉スポーク車輪の貨車.


左の路面は線路が外されたのか、ここが代行バスの発着所になっていた.


味わい深い民家に囲まれた終点片山津駅.
下の2枚が35mmネガから

2024年12月27日金曜日

オリンパスペンから落穂ひろい(1)

オリンパスペンで撮ったハーフサイズネガにはスキャンしても未使用の模型用カットが大量にある。それを整理していると僅かに取りこぼしスキャンもあり、そんな1枚を初めてスキャンしてみると新鮮で楽しいものです。

ハーフサイズネガにあったこんな取りこぼしスキャンの1枚。 


夕暮れの動橋駅. 北陸鉄道片山津線 1964.12.29

2024年12月23日月曜日

鉄道模型アートマルシェ

年の瀬の吉祥寺で開催されたマルシェにご来場戴いた皆さんありがとうございました。
二日間多くの方との出会いがありました。

私は写真の他に初めて車両採寸ノート、模型のための車両写真集、沼尻の図面、初公開1/45九十九里鉄道貨車ケワ50を展示しましたが、採寸ノートに意外な反響がありました。これらを今の3Dプリンタによる模型製作と較べてみると、60年後の模型技術の進歩が驚異的です。
 

バス顔 単端の出会い.
1/48 根室拓殖鉄道キハ2かもめ(鉄道青年さん)と西大寺鉄道キハ1(S山さん).

根室拓殖鉄道の時刻表.昭和33年 提供 esehokuさん
中央のたった2行だけです.

ラスト(西花マキさん)と写真(風間克美)を対比させた初のコラボ展示.


アララギさんの3Dプリンターによるシェイ.


S山さんの1/48 西大寺、駿遠、沼尻.


車両採寸ノート、模型のための車両写真集、実測に基づく沼尻車両図面など60年前の活動成果.

60年前に製作したO番ナロー九十九里鉄道ケワ50の初公開.へっついとジオラマは城東電軌さん

2024年12月18日水曜日

ナロー車両の採寸ノート

今週末の鉄道模型マルシェで展示しようと思い「模型のための車両写真」や「ナローの採寸ノート」などを少し整備してみました。 


栃尾線のED51 長岡


 採寸ノートから

2024年12月12日木曜日

鉄道模型アートマルシェ

来週のアートマルシェで西花マキさんのイラストと私の地方私鉄写真をコラボで展示します。地方私鉄のイラストと写真、果してどんな感じになるか?  




ギャラリー永谷  2022年12月

2024年12月6日金曜日

東急世田谷線(旧玉川線)

青空と玉電カラーの世田谷線(旧玉川線)


下高井戸-松原 2024.11.24
沿線にドラマの民家「大沢家政婦相談所」が写っていたとは驚き!

下高井戸駅   1962.12.07
下高井戸駅
この辺りで玉電や京王線の中型車を撮っていたのは遠い昔62年前のことであった。


下高井戸の京王中型車5連.

玉電山下近辺

団塊世代

団塊世代の高校生で賑わう朝の駅前.小さな電車が次々とやって来た。
地方に賑わいがあった頃の日本。


和歌山軌道線 東和歌山駅前. 1964.7.10

2024年11月22日金曜日

西弘前駅

中央弘前から2つ目の西弘前駅(現弘南学院前).
右手貨物上屋にリンゴがビッシリ積まれていて、
駅にリンゴの匂いが漂っていた。


弘前電気鉄道(現弘南鉄道大鰐線) 1966.03.03

リンゴを格納していた貨物上屋(左). モハ105+クハ202


西弘前の車庫風景.
元秩父鉄道木造車モハ102と モハ101車体鋼体化後.

2024年11月7日木曜日

駿遠線の荷物合造車

 特記なきは1967.7.9撮影

駿遠線の荷物合造車ハニの風景。


荷物合造車ハニ1を牽くDB607機関車.芝 1963.4.4
奥山線の帰りに初めて駿遠線を訪問したのが1963年4月。いきなりDB607が牽く旅客列車に出会ったのには驚いた。まだ盛んにDB機関車が活躍していた時代であった。その中に初めて見る荷物合造車ハニ1が連結されていた。駿遠線は全く知らない車両ばかり。それくらい鉄道誌にはまだよく紹介されていない路線であった。

次々とDB機関車の列車が発着する袋井駅. DB604とDB608 1963.4.4




新岡崎で大きな荷を担いだ乗客がハニに乗り込むと、列車は袋井へ向って行った.

新岡崎で大きな荷を担いで乗り込んできた行商人2人.扉の向こうが荷物室で手前は定員32人の軽便の小さな客室.軽便らしい車内風景だった。



特異な外観が魅力のハニ1 新横須賀


ハニ1  新横須賀


ハニが休んでいた新横須賀駅の風景.


2024年10月29日火曜日

昭和39年10月31日

facebookの二番煎じですが

昭和39(1964)年10月は東海道新幹線の開業で日本中が沸いた。大学の工学祭では鉄研が新幹線の技術話題を纏めて掲示していた。
そんな秋の10月31日、私は遠州鉄道奥山線の最終日を撮りに出掛けた。昭和39年は正月の沼尻から始まり大晦日の金沢市内線まで地方私鉄めぐりの撮影がピークの1年であった。

この工学祭では「生き残った軽便鉄道11社」の写真も展示をしたが、昭和39年は西大寺鉄道(昭和37年廃止)を除く軽便鉄道11社がまだ動いていたことになる。いつでも現地に飛び出せば軽便鉄道が撮れた時代だった。軽便鉄道最後の時代がちょうど学生時代だったのが幸運であった。

撮影:1964.10.31

「さようなら皆さん」最終日の奥山線.谷~都田口
前方遠くに引佐(いなさ)の山並みが連なる.

気賀口を発車する奥山線最終列車.

セレモニーを終えて薄暗い気賀口を発車する最終列車.


秋の大学工学祭では鉄研が新幹線情報を掲示した.


新幹線とは余りにも対照的な展示で見る人もいなかったのでは?トホホ。
撮影直後にプリントしたのはこの「生き残った軽便鉄道11社」の11点だけだった。
あとは40年後に初めてプリントしている。


花巻電鉄軌道線 高倉山温泉辺り 1964.8.2 
砂利道の道路の端っこに遠慮がちに敷かれた軽便トロリーラインの軌道。豊沢川に沿った道路に自動車はほとんど走ってなく、歩いている老婆が一人。この先を花巻方面へ向かうと「山の神」電停で、その先に大沢温泉駅があった。


54年後に陽の目をみた写真.