案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2023年6月5日月曜日

古典SLが活躍していた地方私鉄(再掲載)

2010年の投稿から

上武鉄道(旧日本ニッケル鉄道)
八高線の丹荘から西武化学前まで6.1Kmを、客を乗せた列車が1日5往復走っていた。地方私鉄といっても実質は西武化学の工場と国鉄を結ぶ専用鉄道であった。
訪問した1962年の12月、ピッツバーグ製古典蒸機7号機が最後尾にハフ3(元篠山鉄道ガソリンカー)を連結した貨物列車を牽いていた。
当時、この線のディーゼル機関車はD1001(元鹿島参宮鉄道)だけで、他は古典蒸機だらけ。終着西武化学前の駅に降りるとそこは工場の中で、構内のあちこちで古典蒸機が煙を上げていた。
7号機 1897年アメリカのピッツバーグ製
4号機 1886年イギリスのナスミス・ウィルソン製
3号機1891年イギリスのダブス製など
北関東の一角でこんな古典蒸機が煙を上げていた。

終点 西武化学前駅は工場の中。1962.12.23

7号機 1897年アメリカのピッツバーグ製

3号機1891年イギリスのダブス製


4号機1886年イギリスのナスミスウィルソン製

2023年6月2日金曜日

今日の紫陽花。

昨年から撮り始めた森の中に咲く紫陽花。昨年と同様に朝小雨のうちに撮影。
「小平あじさい公園」森の中で一人黙々と撮る。






沼尻鉄道 白木城

6月1日~6月6日まで池袋の「路草」で開催中の明大鉄研OB会写真展で
私はこの1枚の写真(秋色)に注目しました。
白木城の駅の先のにある踏切から撮影したものと思われ、
沼尻鉄道の白木城の駅というか停留場が思い出されます。 



磐梯急行電鉄(沼尻鉄道)最終日の前日1968.10.12に撮影。


川桁行が白木城駅に到着する。1964.1.2
最高に楽しいナローの珍編成であった。


正月の買物か新年の挨拶回りなのか川桁へ向かう人々。


沼尻へ向かう朝の列車はスキー客で超満員、そこへ地元のスキーヤーが乗り込む。まだマイカーでスキー場へ行く時代ではなかった。

2023年5月22日月曜日

夕暮れの樺穂(かばほ)

筑波鉄道で雨引から土浦方面に2つ目、樺穂の一枚。


筑波山を背景に夕暮れを行く列車。
樺穂あたりから見る 筑波山が魅力的であった。筑波北方の中心地 真壁近辺には紫尾(しいお)、常陸桃山、樺穂(かばほ)、雨引 といった素敵な駅名が多いが、この山裾一帯は昔から人を惹きつけける土地のせいで旧所・名跡が多いのだろう。夕暮の樺穂を訪れてみた。
樺穂 1987.3.22






2023年5月20日土曜日

筑波鉄道の雨引駅

FB投稿の二番煎じになってしまいますが、久しぶりに筑波鉄道の画像をアップしてみました。
1987年に最後の筑波鉄道を撮り始めたのは廃線の2か月前、1月の岩瀬からでした。

 撮影:1987.1.18


1月の日差しを受け静かな佇まいの雨引駅。
何回か雨引観音に行くことがあっても毎度マイカー利用で、筑波鉄道を利用することはなかった。筑波鉄道の駅のすばらしさに気が付いたのはこの時であった。


雨引駅に到着するキハ821



岩瀬-雨引

2023年5月10日水曜日

最近の再スキャンより

郷谷側沿いを走る 尾小屋鉄道。
1970.11.3


観音下

観音下-倉谷口


観音下-倉谷口

観音下-倉谷口


尾小屋


2023年5月4日木曜日

湯野町行の電車

 伊達駅前から湯野町へ向かう福島交通軌道線の電車。
この沿線はかつて養蚕が盛んで、養蚕で得たお金で飯坂温泉に繰り出した話があります。
沿線の桑畑は戦後果樹園に切り替えたそうだ。



湯野町へ向かう  1966.12.31



ホコリ巻き上げて走る夏の軌道線.1964年 撮影:田辺多知夫

2023年5月2日火曜日

頸城鉄道 最後の残存区間

 最後に残った百間町~飯室間の沿線は森に囲まれていて、この森の中には集落が点在していた。森を出ればそこは広大な穀倉地帯で人家はなかった。集落は直江津行のバスが走る道路から外れていてマイカー普及までは鉄道が生活に密着していた。


朝の一番列車と直江津行のバ。百間町 1970.11.2


百間町を発車し森の中へ消えていくホジ。


早朝の鵜ノ木



明治村

2023年4月29日土曜日

鉄道写真の添えもの。

よくある鉄道写真集で鉄道情景とは言え、どのページにも車両が写っている写真だらけになると車両がうるさくなります。そんな時、開いたページに車両が入っていない写真を1点でも添えるとワンパターン化が防げます。こんな裏町風景や駅などを沢山撮っておけば良かったと思っても後のまつり、理想は分かっていても60年前のネガにネタを探せど出てこないものです。当時は車両が写っていないと鉄道写真にならない意識が強すぎたせいでしょう。



鹿児島市電の風景。1967年


鹿児島の市電通りを一歩裏道に入るとこんな風景が。
 
鹿児島市電と言えば桜島の噴煙。それが写っていたのはこの程度。どれをとっても電車の全身が写ったものばかり。電車全身が写っていない風景はほぼ皆無であった。


2023年4月27日木曜日

動きがある写真とは。

駅はできるだけ人を入れて撮るのが私の主義ですが、動きがない写真と、動きがある写真を比べてみました。

使い道がある「動きがある写真」とはこいう事なんですね。


人は入っているが動きがない写真。
福井鉄道 2008年秋


人が入っていて動きがある写真。

2023年4月24日月曜日

画像サイズ

スマホ(iPhone)で撮った画像をそのままスマホのfacebookに投稿すると自動リサイズで長辺2048pixの画像がアップされます。長辺2048pixにリサイズした画像とはこんな巨大な画像です。
画像を右クリックして「新しいタブをひらく」の画面にして更に左クリックするとフルサイズの画像になります。

スマホではこんな巨大サイズが当たり前に使われていて、この先さらに拡大して行くのでしょう。PC画面で見る鉄道ブログの画像よりも、スマホの小さな画面で見る画像の方が遥かに大きい。

昔撮った鉄道写真ブログの場合は盗作(無断使用)があるのでそう大きくは出来ない事情があるかと思います。

ゴミ取りなしの画像。仙北鉄道 瀬峰 1966年


数点のゴミ取りをした画像。井笠鉄道 大井村  1967年


無数のゴミ取りをした画像。井笠鉄道 大井村  1967年

2023年4月22日土曜日

facebook投稿例

 お問い合わせがあったfacebookで最近の投稿例です。
facebookはスマホで見ることが多いのでモバイル版ですがパソコン版でも投稿は同じです。




facebookに投降した原稿。
ローカル私鉄の終着駅にあったジオラマの題材。電話BOX、郵便ポスト、ボンネットバス、旧型セダン、荷車など。昔は駅に降りると駅など撮らずに、急いで野山の撮影ポイントへ飛んで行ったものだが、野山の風景より駅にこそ生活感溢れる題材が豊富にあった。福島交通軌道線 梁川 1966年12月
梁川線終着駅 梁川の駅前風景 

梁川線終着駅 梁川 
レールは泥に埋もれ、その上にボンネットバス、いすゞベレット等が並ぶ昭和41年の風景



駅の奥にあった貨物風景。ホワ13