年の瀬の大掃除で出て来た京急大師線の写真。
ちょうど、明日12月20日夜NHKプラタモリで大師線の廃線跡を放送するそうだ。
番組で廃線跡をどこまでやるか?
この写真で行先表示版、三線軌条などからある時代の大師線の塩浜支線と分かる。
川崎市電、国鉄貨物線、塩浜支線の三線軌条の変遷を線路図に書いてみたくなった。
案内文章
高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった。
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
を回想してみました。
2025年12月19日金曜日
京急大師線の廃線区間
3線軌条の複線から3線軌条の単線への入り方から、ここは池上新田駅と分かり、複線区間の終わり方が分かる。更に田辺さんが塩浜へ向って撮り歩いた写真を順に追って撮影場所を推定できるか。1963.12.12
鉄道模型アートマルシェ(再掲)
12月の吉祥寺開催、明日と明後日です。
私は写真パネルだけで何も出しませんが、会場に時々います。
今回の写真パネルは、7年前の写真展に出品した全倍(全紙の倍)サイズの
福島交通と北陸鉄道金石線の2点です。
Oナローが凄かった昨年12月のマルシェ.
2025年12月17日水曜日
2025年12月11日木曜日
2025年12月9日火曜日
2025年12月2日火曜日
2025年12月1日月曜日
2025年11月29日土曜日
松尾鉱業鉄道 東八幡平
インフルエンザに罹り約半月間を無駄にしました。
米坂線の話を纏めている頃に発熱し、米坂線が中途半端に終わってしまいました。
元に戻ったので、停止していたブログも少しずつ始めたいと思います。
FB投稿から再掲
かつて八幡平の標高1000m前後に松尾鉱山の従業員家族が住む近代的都市があった。鉄筋コンクリート建物で水洗トイレ、スチーム暖房完備の雲上都市が形成され「雲上の楽園」とも呼ばれた。
この雲上都市から盛岡に出るのは随分時間が掛かったそうで、雲上都市からバスで東八幡平に下り、松尾鉱業鉄道で大更へ出て花輪線に乗換えて盛岡の街へ出る。
写真の1966年頃は閉山へ向かう衰退時期だったそうである。
松尾鉱業鉄道 1966年3月

電機が客車2両を牽いた列車が大更を発車し、やっと陽が昇る頃、窓の向うに雄大な岩手山が見えて来た。荒涼とした沿線には人家も何もない。そんな沿線にあった保線区の廃車体ユニフ1。明治27年製の古典客車だった。
松尾鉱業鉄道の終点東八幡平駅に雲上都市の住民がバスや車で下ってくる。雲上都市は遥か彼方雲の上なのだろう。
東八幡平を出た列車が大更に到着し、花輪線に乗換える乗客.
大更で花輪線に乗って盛岡に出る乗客の多くは雲上都市の住民と思われる。
ハチロクの花輪線撮影で最も気に入った1点です。
ハチロクの花輪線撮影で最も気に入った1点です。
2025年11月16日日曜日
11月9日の週
毎年行事が集中する11月。
9日の週はSLの話題が続いた。
9日は会社OB会で宇都宮LRTと真岡線SL列車乗車。冷たい雨降る日だった。
11日に稲門鉄道研究会(早大OB)写真展へ。
その帰りに書泉グランデで究極の鉄道写真集「鉄道写真 広田尚敬」をしっかり拝見。
稲門写真展を伴にした友人(SLファン)と米坂線のことが話題になった。
稲門鉄道研究会(早大OB)写真展
SLが美しかった時代のモノクロ写真を拝見.
美しい96で思い出したのが63年前に西舞鶴で初めて見た96、そして米坂線の96.SLが美しかった時代のモノクロ写真を拝見.
私が訪問したのも同じ1971年秋で、SLブーム到来の時代だったのか宇津峠越えでは三脚持ったファンをいたる所で見掛けた。ただ、この頃は96牽引の旅客列車は少なくなって米坂線の良き時代は終わっていたようだ。
2025年11月7日金曜日
究極の鉄道写真集
先日のパーティで広田先生から今度の写真集のパンフレットを頂戴しました。
ネットに数々紹介されている11月5日発売の写真集「広田尚敬 鉄道写真」5.5万円です。
昨日、書泉グランデに積まれていた本書の内容を見ましたが、写真の素晴らしさはもちろんですが、写真の配置、本の作り方などデザインが素晴らしい究極の写真集でした。
鉄道写真の神様で写真が素晴らしいのは当然ですが、素晴らしい作品を見事な本に仕上げた本造りのスタッフの凄さを感じます。
一方これとは対照的に、昔のネガに眠っていた画像をただ並べたような鉄道写真集が次から次と出版され、余りの乱発に鉄道写真集に興味を失いそう。
全く対照的な鉄道写真集を見せつけられた書泉グランデの店頭でした。
2025年11月3日月曜日
2025年11月1日土曜日
栃尾線の名編成
語ることがいくらでもある1枚の写真。越後交通栃尾線の素晴らしい編成です。
ホハ11 昭3年汽車会社製の元都電杉並線の電車を客車化したもので、妻面の窓が低いのが元路面電車らしい.アーチバー台車に交換など改装してすっかり軽便客車になりきっている。
2025年10月30日木曜日
鉄道写真展のお知らせ
2025年10月19日日曜日
広島駅前
鳥栖から大阪行夜行列車で熟睡し、広島で朝を迎えたのが1967年の春。
58年後の今、広島駅前は広電のルート新設変更が8月に開通し大きく変わった。駅前のこの在来ルートは、線路の撤去が進められているようだ。
58年後の今、広島駅前は広電のルート新設変更が8月に開通し大きく変わった。駅前のこの在来ルートは、線路の撤去が進められているようだ。
2025年10月14日火曜日
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