案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2025年7月4日金曜日

中千住駐泊所ーネルソンと人情と、友の記憶

 昭和38年の3月、その頃大学2年だった私は友人の“ガンちゃん”に誘われて、東武鉄道の中千住駐泊所を訪れた。

ガンちゃんは高校の同級生。東武の蒸機に並々ならぬ情熱を持っていた男だった。どこか憎めない江戸っ子気質、撮影よりも機関車そのものに惚れ込んでいるようであった。「今、中千住に行けばネルソンがまだいる。いつ消えるかわからないぞ」私は東北方面のナローゲージばかりに気を取られていた頃だったが、彼の熱意に押されて共に出かけた。

中千住の駐泊所は、町の中に小さく纏まった機関区で、黒光りするネルソン63と64号機(B6形)が静かに休んでいた。蒸機の傍にいたのは、年配の機関士だった。少し離れて見ていた私たちに気づくと、彼は声をかけてくれた。そうして始まった機関士との短い会話。ガンちゃんは饒舌だった。彼の蒸機への知識と熱意に、機関士も次第に表情をほころばせ、やがてキャブに上がることを許してくれた。

石炭の匂いと油に包まれた空間で、機関士は静かに話をしてくれた。私はただその場の空気に浸っていたが、ガンちゃんは真剣な眼差しで彼の話を一つも聞き逃すまいとしていた。

あの時のネルソンも、あの機関士も、そしてガンちゃんも、もうこの世にいない。
ガンちゃんは趣味を思うように続けられないまま、世を去ってしまった。

構内に漂っていた石炭のにおい、ネルソンの鈍い黒光り、そして蒸機を愛した一人の友人、それらは今も記憶の奥の片隅に残っている。
1963.3.25



中千住駐泊所のネルソン63号機.


ネルソン64号機と機関士.


機関士さん.


私の記念写真。ガンちゃんは絶対に記念写真は撮らなかったし、彼を撮らせてくれなかった。「フィルムが勿体ないから撮るなよ」とよく言っていた。

2025年6月30日月曜日

花巻電鉄 西鉛温泉「愛燐館」

2015年12月13日投稿記事のリニューアルです。

花巻電鉄軌道線の終点、西鉛温泉。そこにあったのは、駅舎もなくただホームが一つあるだけの、静かな終着駅だった。すぐ脇の砂利道を埃舞い上げて一台のトラックが通り過ぎていく。駅前には一台のバスが停まっており、待合室の看板に「愛燐館」の名が見える。おそらく、このバスで温泉客が宿へと向かうのだろう。

あれから61年、この「愛燐館」に先日宿泊した方から数日前の宿の写真が届いた。かつての素朴な風景から今の立派な旅館まで年月が流れても、この地の風景は変わらず旅人を迎えてくれているのだろう。

1964.8.2

前方に愛燐館の看板が見える、バスが温泉客をお出迎え.


西鉛温泉駅.


電柱にある駅名と時刻表.

鉛温泉側から見た線路の先が終着駅.山あいを流れる豊沢川に沿って温泉宿が点在している.駅を降りて温泉へ向かって道路を歩いている人の姿が見え、宿は近そうだ.

以下のカラー写真 撮影:赤鬼さん

バス停新鉛温泉から見た現在の愛燐館.


立派な愛燐館の建物.


愛燐館の灯篭と旧軌道線跡.左へ下ったところに旧鉛温泉駅(西鉛温泉の1駅手前)があった。

2025年6月16日月曜日

西大野の交換風景

FBで好評でしたのでブログにも掲載します。  


西大野の交換風景.1962.8.1

ホームに高下駄の学生、列車同士が静かにすれ違う。左の尾小屋行き列車の最後尾にオープンデッキの2軸客車。デッキに立つ一人の女性が静かに風景を眺めていた。彼女の横顔はどこか旅情を帯びて見えた。今では見られなくなった素朴な鉄道風景が、そこには息づいていた。先日の金平駅を撮ったのはこの尾小屋行列車のオープンデッキからだった。
               

2025年6月9日月曜日

真夏の金平

タイトルバックを変えました。

1962.8.1


この写真は尾小屋行列車の2軸客車オープンデッキから撮った金平です。
今日の鹿部電鉄さんのコメントにあったように確かに線路がヨレヨレナローではなく立派に見えます。草が生えていない。

この写真の10年後1970年代はディスカバー・ジャパンの時代、そしてSLブームの時代。
この頃に高校~大学生だった世代にナロー模型ファンが一気に増え、この金平にも多くの次世代の若者が訪れたようです。この1970年代は鉄道写真やナロー模型や音楽など様々な趣味界で起きた一大ムーブメントの時代だったか。


2025年6月6日金曜日

西武鉄道 西武園線

西武園線沿線に菖蒲が咲く季節.

 2025.6.4


菖蒲は来週初め頃が全盛期になるようだ.

北山公園の菖蒲苑






東村山駅 西武園線


東村山駅 国分寺線


2025年6月2日月曜日

夕暮れ時の中井駅

 西武新宿線 中井駅を夕暮れ時によく利用することがある。

大江戸線を下車し、新宿線・中井駅へ向かって、日が暮れかかった商店街の小さな通りを歩く。店先の灯りがぽつぽつと灯りはじめ、なんとなく下町風の親しみが漂う。そんな通りの先に、いつもの踏切が見えてくると、ふと足が止まる。

踏切を通過する電車、赤く光るちょうちん、カーテン越しに覗く居酒屋のあたたかな気配。角にはみずほのATMと、自転車。街のあかりと空の青が混ざり、この時間が少しだけ昔の東京を思い出させてくれる。

ほんの一瞬、通り過ぎる風景の中になにか心を引きとめるものがある。そんな時間が中井にはある。


中井 2025.6.1


2025年6月1日日曜日

宇都宮ライトレール

初めて乗ったLRTは新鮮で刺激的であった。
乗心地(振動)、静粛性、スムーズな走行と加速にこれまでの路面電車のイメージが消えた。線路を見ればまるで高速鉄道のような立派なレールと道床。
JRで宇都宮へ来てLRTを利用する客にとって乗換えと買物の動線が実によく出来ていて、宇都宮へ来たら外せない宇都宮餃子のお薦め店へスムーズに行けた。
今回は飛山城跡までの試乗だったが、7月にはゆっくり訪問する予定。


自然豊かな飛山城跡駅の周辺.2025.5.30





平日午後の列車は5本/1時間もあり待たずに乗れてとても便利.飛山城跡駅



宇都宮と言えば餃子とLRT.


2025年5月29日木曜日

みりんの流山


馬橋駅 2025.5.28


62年振りに馬橋から流山電鉄(現流鉄流山線)に乗って今の流山駅見て来ました。

当時、流山駅の一端にあった貨物駅から野田醤油醸造㈱(現流山キッコーマン㈱)のみりん工場に貨物線が延びていた。


62年前の流山駅前に貨物線の端が見える。 1963.3.31

現在の流山駅


カーブしてみりん工場へ延びる貨物線の痕跡。


流山駅の貨物駅から延びる引き込み線 1964.4.23  撮影:田辺多知夫
流山駅の一端に貨物駅とみりん工場の引込線み線があった。小型木造貨車ワフ31が消えた翌1966年に引込み線が撤去された。この写真を撮った時のみりん工場は野田醤油醸造㈱であった。




春の田園風景を行く混合列車モハ100形+ワ11。1964.4.23  撮影:田辺多知夫
みりん輸送に使われたと思われる小型木造貨車ワ11(1964年10月廃車)とワフ31(1965年10月廃車)はこの写真の直後に廃車となった。

流山駅の貨物ホームにいた美しい貨車ワフ31。ここのポイントから右方向にみりん工場まで貨物線が延びていた。流山 1962.3.31


白みりんミュージアム


一茶双樹記念館


赤城神社

2025年5月26日月曜日

庄内交通 寂れた七窪駅

寂れた駅となると思い浮かぶの庄内砂丘の中にあった七窪駅。
廃墟ではなくまだ動いている鉄道の寂れた駅の風景。

当時、私は車両が動いてなければ価値なしの想いが強く
もう車両がやってこないような廃線跡には関心がなかった。

ところが今は現役時代の鉄道よりも廃線跡が魅力と言われる
廃墟写真のジャンルがある。その廃墟や廃線跡写真の魅力は一体何か?


賑わい、繁栄が去った跡の静けさ、足あとの魅力。
私達が追い求めた現役時代の鉄道写真には関心がないらしい。

かつてそこにあった賑わい、繁栄を想像しながら
その足あとをインパクトあるデジタル画像効果で表現する楽しみか。

確かに今のデジタル画像(特にカラー写真)による効果は絶大で、
もし、あの60年前の寂れた七窪風景を撮影して廃墟写真と同様な
デジタル画像効果で表現できたらどんな風景になるのだろうか。

1966.2.28

庄内砂丘の中にひっそり佇む七窪駅.現役時代の庄内交通.



七窪駅の引込線に使われなくなった客車が休む.まだ現役の駅の片隅.


先日、凄い廃線写真集が出ました.



2025年5月24日土曜日

花の写真

最近よく撮る野の花
スマホで見る時はタテ画像の方が見栄えが良い
ところがパソコンではタテ画像は収まりが悪い。 


ムギナデシコ


ウマノアシガタ

2025年5月18日日曜日

成田空港の路線図

3月24日に「成田裏の道」をアップしましたが、JR成田線、京成成田空港線、京成本線、京成東成田線、芝山鉄道の関係を路線図に纏めてみました。京成音痴の私には長い間この位置関係が頭に入らないままであった。 






京成上野駅に並ぶ二本の特急成田空港行  2025.3.23

京成スカイライナー 成田空港行
(特急料金1300円)


特急 成田空港行 (京成本線経由と表示あり)(特急料金不要)
更にアクセス特急(京成成田空港線経由)(特急料金不要)がある.

京成スカイライナーを空港第二ビルで下車すると、芝山鉄道の東成田駅に向かう地下通路入口があり、フライト客の賑わいを背に人影のない地下通路をどこまでも進んだ。



空港第二ビル駅から地下通路を500mほど歩くとひと気のない東成田駅に着く。ここで芝山鉄道(京成成田~芝山千代田)に乗って京成成田へ戻ったが、京成ライナーと芝山鉄道の乗車体験のためにこんな経路となった。

東成田駅 料金表の路線図。

列車が来るまで東成田駅を表に出てみるとそこは空港施設のど真ん中。客が出入りするような店や通路は何もない。やっと理解できた東成田駅の歴史とその存在理由。


京成成田駅には京成スカイライナーもJRエクスプレスも通らない。これらの特急で東京に戻るのには一旦成田空港駅まで戻る必要がある。