案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2023年5月22日月曜日

夕暮れの樺穂(かばほ)

筑波鉄道で雨引から土浦方面に2つ目、樺穂の一枚。


筑波山を背景に夕暮れを行く列車。
樺穂あたりから見る 筑波山が魅力的であった。筑波北方の中心地 真壁近辺には紫尾(しいお)、常陸桃山、樺穂(かばほ)、雨引 といった素敵な駅名が多いが、この山裾一帯は昔から人を惹きつけける土地のせいで旧所・名跡が多いのだろう。夕暮の樺穂を訪れてみた。
樺穂 1987.3.22






2023年5月20日土曜日

筑波鉄道の雨引駅

FB投稿の二番煎じになってしまいますが、久しぶりに筑波鉄道の画像をアップしてみました。
1987年に最後の筑波鉄道を撮り始めたのは廃線の2か月前、1月の岩瀬からでした。

 撮影:1987.1.18


1月の日差しを受け静かな佇まいの雨引駅。
何回か雨引観音に行くことがあっても毎度マイカー利用で、筑波鉄道を利用することはなかった。筑波鉄道の駅のすばらしさに気が付いたのはこの時であった。


雨引駅に到着するキハ821



岩瀬-雨引

2023年5月4日木曜日

湯野町行の電車

 伊達駅前から湯野町へ向かう福島交通軌道線の電車。
この沿線はかつて養蚕が盛んで、養蚕で得たお金で飯坂温泉に繰り出した話があります。
沿線の桑畑は戦後果樹園に切り替えたそうだ。



湯野町へ向かう  1966.12.31



ホコリ巻き上げて走る夏の軌道線.1964年 撮影:田辺多知夫

2023年5月2日火曜日

頸城鉄道 最後の残存区間

 最後に残った百間町~飯室間の沿線は森に囲まれていて、この森の中には集落が点在していた。森を出ればそこは広大な穀倉地帯で人家はなかった。集落は直江津行のバスが走る道路から外れていてマイカー普及までは鉄道が生活に密着していた。


朝の一番列車と直江津行のバ。百間町 1970.11.2


百間町を発車し森の中へ消えていくホジ。


早朝の鵜ノ木



明治村