案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年4月28日日曜日

雄勝線 西馬音内電車区(リニューアル)

2010年6月に2回アップしました「西馬音内電車区」について写真の入替え追加をしてリニューアルします。

西馬音内駅にあった西馬内電車区には整備がよく行き届いた古い車両が様々いたのが驚きであった。西日を浴びた西馬音内電車区には古典車がゴロゴロし、駅にはお客を載せた古典二軸客車が発車を待っていたあと10日もすれば幻想的な西馬音内盆踊りが始まるが、この西馬音の古典車がいる電車区と駅も幻想的な光景であった。

翌朝また電車区を訪問すると、ちょうど車両の並べ替えが始まり、電車区に居た全ての車両が一旦本線上に引き出されて、さながら古典車の展示会のようであった。
その後、庫内では古典2軸客車ハフ11とハフ13の点検が始まり、どの古典車を見てもピカピカの新車のようであった。明治生まれの古典客車は薄汚れてくたびれたようなところはなく、車体がチョコレート色に輝き、足回りもしっかりと黒光りしていた。こんな美しい古典客車が営業用に使われているのが信じられないくらいであった。

西馬音内電車区の全景 1964.08.06  クリックで拡大
電車区でこれらの車両を支えてきた人達の姿が見える.

デハ6 (元西武多摩湖線モハ104).壁が波トタン板を貼っただけの電車区の車庫.

車庫内部の壁に掲示された整備基準の規格値.

入庫した古典2軸客車ハフ11 明治41年製. その周辺には様々な小道具が.

整備中のハフ13 大正元年製. 同形のハフ14がいてこの日はハフ14が出動していた.

美しく黒光りした古典客車の台車

よく手入れが行き届いた古典2軸客車ハフ11 13 14 の3両は明治村に引き取られた。1964.8.5

検査上がりでとりわけ美しかったホハフ2. 明治43年国鉄神戸工場製の元国鉄ナハフ    1964.8.6

構内入替作業中のデハ3とデハ1

元都電の車体を使った デハ5
電車のカラーリングがまだクリームと緑の塗り分け時代で、派手な朱色とクリームに
塗られたのは最新デハ7のみであった.

元日立電鉄の電車でトレーラ化された ホハフ5  1964.8.5

2013年4月26日金曜日

雄勝線 西馬音内~湯沢

秋田の米どころを走っていた羽後交通雄勝線。先日、地元の方々の湯沢facebookを拝見し、またあの夏の光景が懐かしくなりました。訪問した1964年の後、雄勝線は動力変更で電車を気動車と入替えて非電化線として生き延びるという運命をたどり1973年4月に廃線となりました。

1964年夏の夕方、湯沢から西馬音内まで乗って西馬音内の車庫で美しく保守整備された車両達に驚き、予定変更し翌朝また湯沢から出直して順光で車両達を撮るという惚れこみようであった。驚異的な車両の保守整備は会社と鉄道マンの心意気であったのでしょう。

しかし、その後の雄勝線は動力変更で電車をやめて気動車に入替え、あの美しい電車や客車の殆どが不要となり、西馬音内の駅舎は取り壊されプレハブ小屋に、電車区車庫も取り壊され、西馬音内駅は仮ホームとなる。あの素晴らしい夏の日の光景が廃線を迎える前に一変した光景になってしまったのを今になって知りました。1964年は乗客がピークの時代であったそうで、この後の急激な時代の変化に雄勝線も飲み込まれてしまったのでしょう。電車から気動車になっても変わらなかった筈なのが沿線風景。電車時代の西馬音内から湯沢まで風景をつないでみました。


味わい深い西馬音内の駅舎. 
この駅舎はその後取り壊されプレハブ小屋となってしまった.

西馬音内駅では古典客車ハフ14に既に乗客が乗っていて梺からやってくる電車を待っている.
梺から電車が到着すると電車は貨車+古典客車を牽いて湯沢へ向けて発車した.
非電化線となって西馬音内は仮ホームとプレハブ小屋だけの駅になってしまったようだ.

残念なことに次駅「あぐりこ」のあぐりこ稲荷に由来する神社風づくり駅舎は撮ってなかった.

美しい古典客車を牽く列車同士が交換する羽後三輪駅.

西日を浴びて湯沢へ向かう古典客車のデッキが心地よかった. 貝沢

羽後山田. 駅を発車すると右にカーブして西馬音内へ向かう

国鉄奥羽本線湯沢駅に隣接した雄勝線のりば.

大衆食堂、駅前旅館、羽後交通乗車券発売所がある湯沢の駅前通り.
この日は湯沢の七夕まつりで朝から賑やかであった.

参考: RM ライブラリー 第52巻 羽後交通雄勝線 -追憶の西馬音内電車-

2013年4月16日火曜日

軽便の狭い線路 市販レールの選定(1/80、HO)

1.市販レールの選定。
1/80ナロー、HOナローで使うフレキレールでPECOのコード80(80番)は実物50kgレール相当となり、しかも枕木が日本の軽便(地方鉄道)には太過ぎます。
シノハラのコード60は実物30kgレール相当で、枕木がPECOより細身であり、これは何とか妥協できそう。さらにファインスケールを狙うなら枕木を切り出してコード40(15kg相当)あたりのレール材をスパイクするしかないでしょう。

2.シノハラのコード60(60番)の調整
シノハラの枕木間隔を拡げて実物30kgレールの線路の枕木間隔1と2を試してみました。
型紙の枕木間隔100mm/10本は実物では800mm/1本程度で、枕木間隔87mm/10本は実物で700mm/1本程度です。

市販フレキレールは尺度1/80でさえスケールオーバーであり、型紙は1/87でなく1/80で作ってあります。この型紙と比較するとシノハラでも枕木の長・幅がオーバーであるのが判ります。
しかし市販レール活用が前提であれば、この枕木の長・幅のオーバーも何とか妥協できるのではないでしょうか。


シノハラコード60の枕木間隔の調整前と後

2013年4月15日月曜日

軽便の狭いせんろ 模型市販レール

昔買った手持ちレールや今回購入した市販レールを並べてみました。
レールコード番数も様々、枕木配置パターンも様々。
1/45ナロー、Oナローは後廻しとし、市販フレキシブル線路を使った1/80ナロー、HOナローのせんろ最適化を考えてみました。


1/45ナロー、Oナロー用      1/80ナロー、HOナロー用

2013年4月14日日曜日

軽便の狭いせんろ 現物

手元にあった軽便鉄道(地方鉄道)で使われたレール断面を並べてみました。
実測寸法から軽便の狭いせんろのレール太さ、枕木配置を模型化するとどんな市販フレキシブル線路が使えるのか模型店へ走ってみました。

下津井電鉄、頸城鉄道、尾小屋鉄道のレール断面

2013年4月12日金曜日

大井川鉄道井川線2

ユニークな井川線の3'6'ゲージで軽便サイズの車両たち。当時の客車等は今でも活躍しているようです。

木造建屋が並ぶ両国車両基地の風景. 1966.9.23
カトーDB3とDD102

DD102 1954年三菱重工製   両国車両基地

DB51 1956年加藤製作所製
昔の模型入門機によくあった2軸機関車のような格好だ.

カトーDB2

スハフ5 
3'6''用の巨大アーチバーを履いた腰高で小さな車体は、軽便より天井が低いのでしょう.

c トキ218 貨車を改造した客車

車端部が開放式となった荷物合造車スロニ202  千頭

2013年4月10日水曜日

大井川鉄道井川線1

1966年9月の「鉄道友の会」撮影会で静岡鉄道駿遠線と大井川鉄道を訪問しました。
大井川鉄道では川根両国と千頭で井川線を撮ったものの、川根両国の片隅に出現した千頭森林鉄道の強烈なインパクトで井川線も影が薄くなってしまいました。3'6''ゲージながら軽便サイズの井川線をアップしてみます。

軽便サイズの井川線   川根両国 1966.9.23
3'6''ゲージの左脇に千頭森林鉄道の2'6''ゲージ線路が並走する.

川根両国を発車した下り列車

たぶん川根両国の駅で千頭行に乗り込むところでしょう.

千頭の井川線構内

千頭駅の4番ホームが井川線のりば

軽便サイズの井川線の列車

2013年4月8日月曜日

軽便の狭いせんろの寸法

軽便の狭い線路を採寸したのは、仙北鉄道、花巻電鉄鉄道線、沼尻鉄道、静岡鉄道駿遠線、遠州鉄道奥山線、越後交通栃尾線、下津井電鉄で、参考にした実物レールの輪切り断面が下津井電鉄、頸城鉄道、尾小屋鉄道のものです。
採寸した各社本線のレールは下津井、沼尻の太い30kg、22kgを除くとほとんどが15kgレールで、枕木サイズは長さ1500×幅140mmが平均的なところで、枕木間隔が社によって600mm(下津井、仙北)~800mm(沼尻、花巻)程度でした。
ということで採寸の結果から15kgと30kgレールの線路について平均的なところのバランスを模型化寸法にしてみたのが下図です。市販品のナロー用フレキシブルレールとはバランスがかなり違うようです。

1/45ナロー≒ O(1/48)ナロー
   15kgレール                    30kgレール

1/80ナロー≒ HO(1/87)ナロー
  15kg レール           30kgレール

レール太さは頭部幅を示す

2013年4月7日日曜日

軽便の狭いせんろ

井笠や下津井の線路がしっかりしていた事はよく知られています。
改めて井笠の線路の風景写真を見ると、とても美しい! 雑草などは生えてなく軽便とは思えないしっかりした線路です。ここを赤い気動車が客車を牽いてえらい速度で飛ばしてきました。
3'6''ゲージならどうという事はない線路風景ですが、ナローゲージの線路となるとゲージの狭さだけで強く惹きつけられます。狭いゲージと枕木のサイズと配置のバランスが独特で、その美しさに思わず各社の線路を採寸したことがあります。

井笠鉄道のしっかりした線路 1967年

下津井電鉄のしっかりした線路 1962年
軽便としては太い30kgレールが使われた

頸城鉄道のか細い線路 1970年
15kgレールが使われた

尾小屋鉄道は軽便の標準的な線路だったと思われます. 1962年


2013年4月5日金曜日

いすみの春 2009年

今年の桜は早過ぎる満開でその後が天候不順で花のいすみ鉄道行きもすっかり予定が狂ってしまった。
2009年は西畑の花が咲き揃ったのが4月10日頃で、この2009年の花の経過を並べて昨年も咲き頃の予測を立て出掛けたがすっかり外れてしまった。最近はあの頃の菜の花の勢いがないのがどうも気になるところ。

2009年の花の経過はこんなでした。
2009年4月3日 総元の華が咲き揃う

2009年4月3日 西畑の菜の花がグラデーションになるが桜はまだ開き始め

 2009年4月10日 西畑は桜満開となり菜の花と桜が揃う

2009年04月10日 西畑の土手片側が菜の花で黄色く染まる

2009年4月19日ともなると西畑の土手は全てが終わり山々が新緑に染まり始める