案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年8月21日土曜日

野上電鉄 日方駅

紀伊本線海南駅から離れたところに、野上電鉄の起点日方駅があった。国鉄海南駅との乗換えには別に接続口駅のホームがあった。
駅前を歩いている二人はこの電車の運転手と若い車掌であろう。駅前雑貨店に掲げた野上電鉄の看板の絵は一体何を意味しているのか?  背後には海南駅の国鉄蒸機の煙がたなびく。
夏の陽がかたむく頃、日方駅の光景はこの時代独特のものを感じさせてくれる。

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2010年8月15日日曜日

雄勝線 湯沢

尾花沢線を終えると、その日のうちに奥羽本線大石田から湯沢へと向った。
陽も傾き始めた湯沢の街には、明日からの七夕まつりで絵灯篭が飾られていた。国鉄湯沢駅の隅に雄勝線のりばがあり、朱と黄のツートンカラーに塗られた電車が牽く混合列車が1時間後の発車を待っていた。デハ7+ト+ハフ14+ワフ1

  
この混合列車に乗り電車区のある西馬音内まで往復してみた。夕日を浴びた古典2軸客車のデッキから見る沿線は、田んぼの小川で遊ぶ子供達など長閑な田園風景であった。明日の撮影ポイントを決めて湯沢に引き返すと、例によって駅前旅館で一番安い宿をみつけて宿泊した。

湯沢駅に到着したデハ6    1964.8.6 

湯沢駅  西馬音内 梺方面のりば   ホハフ5+ハフ14
翌日、宿の前の商店街では朝から七夕まつりの飾りつけが始まっていた、七夕まつりと言っても仙台の七夕とは違って素朴な飾りである。雄勝線湯沢駅も、七夕祭りで客が多く活気に満ちていた。夕方になると路地のあちこちで行商の人たちがリヤカーの上に店開きしていた。
東北地方はお盆で最も混み合うシーズンとなり、超満員の奥羽本線の列車に乗り込み湯沢を後にした。

2010年8月14日土曜日

尾花沢線 尾花沢

仙北鉄道の翌日1964年8月5日は、小牛田から陸羽東線で新庄に向かった。
県境の峠を越え新庄に向かって下る頃、昨日からの薄暗い曇天が一変し素晴らしい快晴となった。
夏の太陽が照りつける中、奥羽本線大石田駅で尾花沢線のDB151が牽く列車に乗ったが、
昨日の仙北の軽便がスピード感あったせいか、この列車ののろいこと !
一面の田んぼから、ポプラの高い木の中に入ると直ぐに尾花沢に着いてしまった。
駅前には東京では見かけないキャブオーバ型バスが各方面行きに活躍していた。
この時代、どこでも夏の炎天下で苦にならず撮影できたのは、今の異常な日照りと違って、
まだ優しい日照りの時代だったのだろう。

尾花沢   1964.8.5

尾花沢駅前には、山形交通のキャブオーバ型バスが何台も



尾花沢


尾花沢を発車した列車


2010年8月4日水曜日

2010年8月3日火曜日

遠鉄奥山線 気賀口から奥山へ向かう1

奥山線の気賀口~奥山間は、朝夕を除くと日中1往復のみで、途中下車して撮影は難しい区間であった。気賀口から奥山へ向かう車窓を並べてみました。途中の駅や沿線には全く人影がなく、浜松-気賀口間とは別世界の感じがした。          

気賀口から奥山へ向かう線路は、山の手前を右にカーブし北上する。1963.4.4


気賀口-井伊谷   気賀口方面を見る

井伊谷駅  気賀口方面を見る

井伊谷-四村   気賀口方面を見る

四村駅   気賀口方面を見る
2000年5月

奥山方面を見る

20分ほどで桜満開の奥山駅に到着

2000年5月