案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2026年7月26日日曜日

真夏の「にしもない」



まるで馬小屋のように見えた駅舎。

西馬音内駅の薄暗い待合室に入り、その先に広がる街並みを見て、
「駅舎も町も、なんとうす汚いのだろう」と思い、
カメラ向けたのは、たった一枚これだけだった。

あの時は、駅舎や町の魅力が見えていなかった。
40年、50年という歳月が流れ、
ようやく、あの時代の駅舎にも、あの街並みにも、
失って初めて気付く風情や情緒があったことを知る。
車両だけではなかった西馬音内の魅力。



西日差す西馬音内駅。

あの日、午後に訪れた西馬音内の駅に
夏の強い西日が差していた。

ホームでは客を乗せた2軸古典客車が、
梺から引き返してくる電車をのんびりと待っている。
奥の電車区では様々な木造電車や客車が休んでいた。

羽後交通 雄勝線 1964.8.5
(AIカラー化画像)

2023年9月27日水曜日

雄勝線


撮影:1964.8.6
 田園風景。 羽後山田ー貝沢 



雄物川鉄橋。 湯沢ー羽後山田


2022年7月13日水曜日

雄勝線 朝と夕方の列車

撮影:1964.8.5~6


米どころ秋田の美しい田園の中を湯沢に向かう朝の列車。湯沢-羽後山田


雄物川の鉄橋を渡り湯沢へ向かう朝の列車。湯沢-羽後山田


湯沢から戻ってきた朝の列車。クーラなど不要だった時代で、全開の窓に田園から吹いてくる風が心地良かった。 羽後山田


美しい木造古典客車。


奥羽本線湯沢駅で勤め帰りの客や高校生達を載せて西馬音内へ向かう夕方の列車。線路沿いの民家の造りがこの時代を象徴し右手に湯沢駅の跨線橋が見える。羽後山田-湯沢

2022年7月10日日曜日

雄勝線 西馬音内駅

 羽後交通雄勝線 西馬音内 1964.8.5~6


改めて訪問記を読み返してみると、駅舎のうす暗い待合室に入り更にその先の西馬音内の街並みを眺めて駅舎も町もなんとうす汚いことかと切り捨てて湯沢へ引き返してしまった。
40年50年経ってみるとこの駅舎と街並みの風景が大変貴重に思えてきて、何も撮らなかった悔しさで一杯であった。まるで馬小屋のような駅舎を撮ったのはこの1枚だけ、しかもこんな貴重な風景を撮ったカメラがハーフサイズのオリンパスペンであった。


Usuiさんが撮影された素晴らしい駅舎の写真(1971年夏)がこちらにアップしてあります。
 →2019年2月27日「西馬音内の駅舎」


夏の午後、強い西日を浴びた西馬音内駅と古典車両。客車内の客は梺から引き返してくる電車を待っている。







2019年3月6日水曜日

雄勝線名物あぐりこ駅のこと

昨日のコメント欄にありました「あぐりこ駅」のことを調べみました。

撮影:Usuiさん  1971.8.7
あぐりこ駅で朝の一番下り電車を待っている女の子達。アカ抜けたよそ行きの服装をした女の子達は朝早くどこへお出かけなのでしょうか。

あぐりこ駅で思い出したのが、鉄道模型趣味92号 昭和31年3月号の「電車訪ねて第53回」 にあったこの記事です。

雄勝線名物あぐりこ駅
当線が全国で長野駅に次ぐ神殿造りと自慢するのが此のあぐりこ駅です。朱色一色に塗られたお宮型の駅舎は、小さいながらも異色ある存在と云えるでしょう。
あぐりことは、当線沿線の雄勝郡三輪村地内にある稲荷神社に祭られた、幻の女狐 “阿久利子"から発した名称で、この “阿久利子"は、其のむかし、村に大いに尽くしたと云われております。部落の名と共に駅名もこれから生まれたわけです。以前の駅舎は普通の平屋の駅舎でしたが、突風によって崩壊し、その後、その名にちなんだ神殿造りにしたそうです。

年に二回、このあぐりこ稲荷神社のお祭りに集まる人々は、近くは福島・山形から遠く北海道に及び、その人出は3, 4万を数えるとか。この時こそ雄勝線の掻き入れ時なのでしょう。話して下さる西馬音内庫区長の工藤氏はニコニコ顔でした。  
                              以上
                      


        
当時から鉄道誌の地方私鉄といえば青木栄一氏流の車両調査の報告や紹介が主体でしたが、鉄道模型趣味誌の「電車をたずねて」や「海辺の小私鉄を訪ねる」などの実物記事では車両紹介だけでなく、ローカルカラー豊かなほのぼの記事で現地のイメージが目に浮かんだものです。

2019年2月27日水曜日

西馬音内の駅舎(Usuiさんの写真)

私の写真集で使ったこの1枚の写真、最近のfacebookでも使ったのですが、西馬音内駅舎(1971年)を各方向からしっかり撮った方がいらしたのには驚きました。私は西馬音内電車区に目がくらみこの駅舎を撮ったのはたったの1枚これだけでした。
これほど素晴らしい駅舎にも拘わらず当時の私には何も感ずるものがなかった。


西馬音内盆踊りも間もなくの8月のある日、お盆休みで西馬音内駅や雄勝線の列車が賑わっていた。夏休みで帰省した孫たち一家を祖父母が電車に乗って湯沢まで見送りに行くところでしょうか。改札口に見えるのは見送りにきた実家の人達か。 1964(昭和39).8.5

 やがてやってきた湯沢行列車の賑わい。西馬音内

以下は7年後の電車→気動車化された直後の写真で撮影者に使用許可戴きました。
よくぞ撮ったものです、馬小屋風駅舎の全貌はこんなだったのですね~。

1971年夏の西馬音内の駅舎は電車時代と変わらずで7年前そのままのようです。
この時代はマイカーが普及しあの頃の賑わいはなかったことでしょう。
後に駅が湯沢側に移動し、その時にこの駅舎は消滅したようです。

以下の撮影:Usuiさん  1971.8.7
ボンネットバスが待つ懐かしい駅前風景。

地方私鉄で最も感銘を受けた駅舎です。

電車→気動車化されても電車時代そのままに残っていた。

あと10日ほどで西馬音内盆踊りが始まる待合室。私はこの待合室の風景を最も見たかった。
素晴らしい車両(この時は気動車)が走っていたからこそ、組写真にしてこの風景が引き立つ。


2018年11月30日金曜日

美しい雄勝線

雄物川を渡った先、雄勝平野の美しい一面緑の田んぼの中で朝の列車を待っていると、下りと上りの列車がのんびりとやってきた。ほんとうに美しい光景であった。

羽後山田を発車した下りの梺行列車。羽後山田ー貝沢 1964.8.6

二つ先の羽後三輪で交換した上りが、湯沢に向けてやって来た。羽後山田ー貝沢

羽後山田駅風景。この列車に乗って西馬音内へ向かう。

西馬音内駅と電車区

小さな電車が牽く客貨混合列車。

2015年12月8日火曜日

奥羽本線 湯沢駅

かって羽後交通雄勝線が発着していた奥羽本線湯沢駅。今年11月28日に湯沢駅がリニューアルオープンし奥羽本線に架かった跨線橋が現在解体中とのこと。Facebookに盛んに湯沢駅の状況がアップされている写真をお借りし、現状と50年前の夏の湯沢駅を対比してみました。現状写真はFacebook「はぁ〜え、湯沢のなえでもびゃっか」さんより。

日本各地いたるところで駅や街が生まれ変わり綺麗になって行く。建物や街が整備されすっかり綺麗になって行く半面、かってあったその土地らしい、その時代らしい、風景は消えて行く。

七夕祭りの日の湯沢駅雄勝線のりば.1964.08.06
右手国鉄線に架かった跨線橋が現在まで残っていて、一回り小さい雄勝線の跨線橋やホームは廃線後すぐに消滅したのでしょう。湯沢の街を背に湯沢駅を発車した電車は夕方で家路を急ぐ乗客で満員であった. 

 消えゆく奥羽本線の跨線橋.模型でこういう国鉄の跨線橋に憧れたものです。

ここから雄勝線が発着していたが線路とホームは消え近代的な西口が誕生.

12月4日初雪の湯沢駅東口

現在の東口の街並み

2013年8月20日火曜日

西馬音内電車と西馬音内盆踊り

昭和48年4月に消えた羽後交通雄勝線は、西馬音内電車と言われ奥羽本線湯沢から秋田米どころを西馬音内(部分廃線後)まで走っていた。昭和39年夏に訪問した時は駅で湯沢の七夕まつりと幻想的な西馬音内盆踊りの案内掲示があり、七夕まつりの一端は見たものの盆踊りは開催が10日後であり諦めたのでした。

この時代は盆踊り開催ともなると、沢山の見物客が湯沢で西馬音内電車に乗って西馬音内駅で降り、駅や電車は大変な賑わいであったことでしょう。そんな風景を想像して当時の西馬音内電車と一昨日まで開催された西馬音内盆踊りの最新画像1枚を並べてみました。

湯沢七夕絵とうろうまつりのfacebook 「はぁ〜え、湯沢のなえでもびゃっか」さん、そして西馬音内盆踊りのスミスさんのブログ「酒だ酒だ・・」 、現地最新画像をありがとうこざいました。

昭和39年夏の西馬音内駅. 1964.08.06
西馬音内盆踊りを10日後に控えた駅の風景.

今年も8月16日~18日まで開催された西馬音内盆踊り.撮影:スミスさん
盆踊りだけは昭和39年の夏と何も変わらないことでしょう。

西馬音内電車. 西馬音内駅構内 1964.08.06
盆踊りの日は客車増結でどんな編成だったのでしょうか.

夕陽を浴びた西馬音内駅.  1964.08.05

西馬音内駅 1964.08.06

2013年5月7日火曜日

雄勝線 西馬音内駅

羽後交通雄勝線が電車→気動車に動力変更になってからの西馬音内(にしもない)は仮設駅となってしまい、光景が一変してしまったようだ。駅のホームや駅舎、電車区の車庫などまだ健在だった頃の西馬音内駅の光景を集めてみました。

西馬音内駅の佇まい.右手に車庫、左手に駅舎がある.1964.08.05


西馬音内駅

西馬音内の駅舎とホーム.貨車が停まっているところが貨物ホーム.

ホームには湯沢からやって来たデハ7の客貨混合列車が到着したところ.
車内は乗客1人となりデハ1両で終点梺へ向かって行った.

西馬音内駅でデハ7と切り離された2軸客車.

梺から西馬音内に戻ってきた上りデハ6.乗客が少ない西馬音内~梺間は単行で走っていた.


2013年4月28日日曜日

雄勝線 西馬音内電車区(リニューアル)

2010年6月に2回アップしました「西馬音内電車区」について写真の入替え追加をしてリニューアルします。

西馬音内駅にあった西馬内電車区には整備がよく行き届いた古い車両が様々いたのが驚きであった。西日を浴びた西馬音内電車区には古典車がゴロゴロし、駅にはお客を載せた古典二軸客車が発車を待っていたあと10日もすれば幻想的な西馬音内盆踊りが始まるが、この西馬音の古典車がいる電車区と駅も幻想的な光景であった。

翌朝また電車区を訪問すると、ちょうど車両の並べ替えが始まり、電車区に居た全ての車両が一旦本線上に引き出されて、さながら古典車の展示会のようであった。
その後、庫内では古典2軸客車ハフ11とハフ13の点検が始まり、どの古典車を見てもピカピカの新車のようであった。明治生まれの古典客車は薄汚れてくたびれたようなところはなく、車体がチョコレート色に輝き、足回りもしっかりと黒光りしていた。こんな美しい古典客車が営業用に使われているのが信じられないくらいであった。

西馬音内電車区の全景 1964.08.06  クリックで拡大
電車区でこれらの車両を支えてきた人達の姿が見える.

デハ6 (元西武多摩湖線モハ104).壁が波トタン板を貼っただけの電車区の車庫.

車庫内部の壁に掲示された整備基準の規格値.

入庫した古典2軸客車ハフ11 明治41年製. その周辺には様々な小道具が.

整備中のハフ13 大正元年製. 同形のハフ14がいてこの日はハフ14が出動していた.

美しく黒光りした古典客車の台車

よく手入れが行き届いた古典2軸客車ハフ11 13 14 の3両は明治村に引き取られた。1964.8.5

検査上がりでとりわけ美しかったホハフ2. 明治43年国鉄神戸工場製の元国鉄ナハフ    1964.8.6

構内入替作業中のデハ3とデハ1

元都電の車体を使った デハ5
電車のカラーリングがまだクリームと緑の塗り分け時代で、派手な朱色とクリームに
塗られたのは最新デハ7のみであった.

元日立電鉄の電車でトレーラ化された ホハフ5  1964.8.5