案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2022年7月10日日曜日

雄勝線 西馬音内駅

 羽後交通雄勝線 西馬音内 1964.8.5~6


改めて訪問記を読み返してみると、駅舎のうす暗い待合室に入り更にその先の西馬音内の街並みを眺めて駅舎も町もなんとうす汚いことかと切り捨てて湯沢へ引き返してしまった。
40年50年経ってみるとこの駅舎と街並みの風景が大変貴重に思えてきて、何も撮らなかった悔しさで一杯であった。まるで馬小屋のような駅舎を撮ったのはこの1枚だけ、しかもこんな貴重な風景を撮ったカメラがハーフサイズのオリンパスペンであった。


Usuiさんが撮影された素晴らしい駅舎の写真(1971年夏)がこちらにアップしてあります。
 →2019年2月27日「西馬音内の駅舎」


夏の午後、強い西日を浴びた西馬音内駅と古典車両。客車内の客は梺から引き返してくる電車を待っている。







2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

駅舎の裏側にある三角屋根の倉庫、現存していますよ。

katsu さんのコメント...

匿名さん
かつての西馬音内駅舎の脇で貨物ホームの脇にあった大きな三角屋根の建物(当時は建設中)ですね。
今は本庄街道ぞいの「虹のホールうご」隣にある大きな倉庫ではないでしょうか。
とすると「虹のホールうご」あたりがかつての西馬音内の駅舎があった所ということに。