銚子電鉄 本銚子駅前後の線路は今や緑のトンネル状態で日中は駅に人がいなかった。かつての線路には緑はそれほどなくて駅には人がいた。60年の歳月で木々が成長し緑がこれほどまでに成長するのは銚子電鉄だけではなく各地で起きているのでしょう。
案内文章
高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった。
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
を回想してみました。
2024年6月29日土曜日
2024年6月27日木曜日
60年ぶりの銚子電鉄
数年ぶりにミラーレスカメラを取り出して60年ぶりの銚子電鉄に行ってきました。
滅多に使わないミラーレスはスマホと違って後の画像処理が大変でテストの繰り返しです。
撮影:2024.6.25 Sony40mm 単焦点レンズ
背後の醤油工場と仲ノ町車庫. 2000pix 1.2MB
今年3月にデビューした55才の元南海.1280pix 520KB
2024年6月24日月曜日
竜ヶ崎線の貨物列車
曇天のある日の竜ヶ崎線。4号蒸機が盛んに活躍していた時代。
この5年前の1958年頃までは2軸客車を連結した客貨混合列車が走っていた。
フィルム代が高かった時代に私が5枚連続で撮ったのはとても珍しいことで、よほど感激したのか。
1965年12月 ディーゼル機関車DB11が入線し蒸機と交代
1971年4月 貨物営業廃止
1971年10月 4号蒸機廃車
撮影:1963.8.17
2024年6月12日水曜日
縦位置画像 ナロー3題
2024年6月3日月曜日
みすぼらしくて美しいもの
つげ義春はひなびた所を好む傾向があり「みすぼらしくて美しいもの」に惹きつけられる性分らしい。「東京人」2024⑥ "つげ義春と東京"より
1960年代の日本には「みすぼらしくて美しいもの」が各所にあった。つげ義春はそういう土地を求めて旅をしたのだろう。
つげ義春31歳の時に小倉と熊本の女性に会いに九州へ蒸発の旅をしたのは1968(昭和43)年で、その時の熊本駅前はこんな風景であった。
私がこの時代の街並みを「みすぼらしくて美しいもの」に感じたのは撮影後40年程過ぎてからであった。
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