案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2026年3月3日火曜日

新宿警察署前

都電杉並線 1962年
都電を撮っていると、クルマが写り込み、がっかりすることがあった。路面電車の撮影では、いつもクルマが邪魔に思えた。

しかし何年も経って昔の写真を見返すと、クルマのいない写真はどこか物足りない。クルマもまた、その時代を映す存在だったのだ。

この写真でも、当時の東京にこんなクルマが走っていたことが楽しい。路面電車だけが走る道路よりも、クルマと共にある風景にこそ、街の息づかいがある。

それに気づいたのは、ずっと後になってからだった。



青梅街道の杉並線 新宿警察署前


2026年3月2日月曜日

夏の朝

 仙北鉄道 1964年夏
地方へ鉄道を撮りに行くと、よく声を掛けられることがあった。

「どこから来たの?」「何を撮っているの?」
まだカメラをぶら下げて線路端に立つ者が珍しかった時代だ。

仙北鉄道では早朝に列車を待っていると、背後の家から声が飛んできた。
「お茶でも飲んで、ゆっくりして行きなされ」
縁側に呼ばれて、お茶と漬物をいただく。
どこから来たの等、取り留めのない話をしているうちに、
庭の先を朝の列車が通り過ぎて行った。
列車のことよりも、あの夏の朝のことが強く思い出される。

地方では見知らぬ者に声を掛けることは、ごく自然なことだったのだろう。
沿線の人のぬくもりが感じられた夏の朝だった。



朝の通勤通学時間.瀬峰

60年前の親切な沿線のおばさん.
仙台まで行商に行っているそうだ.
 

沿線の静けさ

仙北鉄道 1964年夏
終点の登米に近い畑の中に、気動車が現れると、
手前の道にリヤカーを牽く家族が通りかかった。
母親と祖母とお手伝いの子は一家なのだろう。
ちょうど夏休みだった。

沿線で列車を待っていると、人に会うことは滅多にない。
見かけるのは、畑に出ている人影ぐらいだった。