案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2022年9月4日日曜日

水浜線のイベント

この秋に大洗では下記の通り企画展、講演会、水浜線跡をたどる、が予定されています。
そこで田辺さんが撮影した水浜線の名作2点をアップしてみます。撮影:1966.05.30








終点の大洗駅は大洗磯前神社鳥居の脇で線路が終わる。


大串駅の風景。

2017年2月15日水曜日

水浜線シリーズを終えて

大貫停留場  1966年5月 撮影:青蛙氏 


田んぼの中を走る路面電車. 1966年5月 撮影:青蛙氏 


2013年11月29日の青蛙さんからのメールに添付されていた水浜線の衝撃的な大貫停留場の1枚。これが本ブログで水浜線を取り上げるきっかけでした。青蛙さんの画像が暫く続いた後、田辺さんが4回訪問した画像が見つかり水浜線の記事は計18回も続きました。

水浜線がこれほど魅力ある路線だったとは!!  私は最近になってそれに気付きました。田辺さんは4回訪問して沿線各所を撮影されましたが、水浜線の魅力はまだまだ尽きないようです。
水浜線の風情溢れる魅力は今に至るまで殆ど知られていなかったと思います。市内大通りを走る風景はどこでも見られた路面電車風景ながら一歩専用軌道へ入ればそこは別世界であった。車両写真を大通りと浜田車庫で撮ればそれでおわり、そん車両ファンが多かったのかもしれません。

当時は鉄仲間で訪問の成果(写真)を見せ合うことはなく、水浜線未訪問の私にとってその素晴らしさは知る由もありませんでした。約50年を経て初めて写真で見た水浜線の魅力、この鉄道風情にタイトルを付けるとしたら「海辺のトロリーライン」とでも、これはぜひ廃線跡めぐりに行かねばなりません。軌道跡の小路に立つと潮風、匂い、陽光など当時の空気を感じることが出来るかもしれません。

水浜線最終回の記事に戴いたコメントをここに紹介させてもらいます。

4月中旬の日を浴び、新緑が始まる頃の木立、低い植栽には春の花が満開.
谷田~浜田  1964.04.13  撮影: 田辺多知夫氏

何も説明がいらない感動の一場面. 大串 1966.05.30
撮影: 田辺多知夫氏 
匿名


 匿名 さんは書きました...

素晴らしかった水浜電車こと、茨城交通水浜線のシリーズをありがとうございました。数々の素晴らしい光景に、思わず我を忘れて見入っておりました。こんなにも素晴らしい軌道線(路面電車)があった事、それをこのように纏まった記録にされて事は、後世への画像遺産として誠に相応しいものと思われます。

思えばかつて、あちこちに素晴らしい路面電車が存在していました。私の地元にも、伊豆箱根鉄道の島津軌道線(三島~沼津間)がありました。その廃線跡となった道路を、たびたび所用にて車で通行します。そのたびに、よくもこのような狭い道路(旧国道1号線)に、曲がりくねった路上に、ポール集電の電車が走っていたものだと感心します。そして古地図に現状を重ね、その沿線にあった素晴らしい光景を想像しております。

このたびの水浜線は、その沿線風景の変化の大きさに驚かされます。ことに海岸の風景、松林の傍らを走る姿や、鄙びた漁港の終点に向かって走る姿は感涙物です。その一方で海水浴客が押し寄せ、旅客輸送に翻弄された夏の風物詩など、人々に永遠に伝えられるべき存在の軌道線だったと思います。その姿を現実の物とし、シリーズで掲載して下さった事に、重ねまして心より御礼を申し上げます。これからもぜひ頑張って下さい!

2017年2月7日火曜日

ある日の水浜電車 昭和41年(4)廃線前日

田辺さんの水浜電車シリーズも今回が最終回となります。
4回目の訪問は昭和41年5月30日ということで廃線の前日ながら静かな一日であったようです。2015年7月20日にアップした「ある日の水浜電車 昭和41年」がそれでした。

田辺さんが3回目、4回目に訪問した昭和41年は戦後の車両は仙台へ売却済みで、戦前の旧型車だけが走っていた時代。この時期の水浜電車の風景が最も魅力的に見えるのは旧型車だけが活躍していたせいもあるのでしょう。

本町五丁目 本五丁目のSカーブを行く木造車.1966.05.30

 棚町(旧本社前) - 水戸駅前



平戸近辺か? 大串近辺

涸沼川橋梁 平戸 - 磯浜

大洗の松林. 東光台 - 大洗 

潮の香りが漂ってきそうな終点大洗.

大串と似ているようだが別の駅なのでしょう?

水浜線126~128と同型車で日立電鉄(常北電気鉄道)からやってきた雄勝線ホハフ5.1964年8月

2017年2月4日土曜日

ある日の水浜電車 昭和41年(3)田園を行く

田辺さんの水浜線第3回目の訪問で撮影場所が分からなかったのが田園地帯を走る風景でした。水戸の樫村様に現地調査戴き浜田~谷田間ということが判明しました。今も水浜と表記された杭があるそうで、小さな道路に水浜線の面影を残しているようです。

モノクロ写真 浜田 - 谷田 1966.02.09撮影 

田園風景の今昔 浜田 - 谷田.現在のカラーは全て樫村様撮影

浜田 - 谷田

水路を渡る風景の今昔.浜田 - 谷田

前回、新緑の木立を撮影した場所を再び訪問、今回は冬の木立.浜田 - 谷田

浜田 - 谷田

水浜の杭.

谷田 - 六反田  1966.02.09

谷田 - 六反田 1回目の訪問1964.04.13 
六反田風景の今昔.

2017年1月30日月曜日

ある日の水浜電車 昭和41年(2)大洗海岸

水浜電車が最も大洗海岸に接近する魅力溢れる区間を、これまでアップしてきた田辺さんと青蛙さんの写真を繋げて推定してみました。昭和41年、大貫から曲松まで海辺の電車の風景はこんなだったのでしょう。

昭和初期の大洗 国土地理院

昭和15年の大洗海岸 大貫を出て海に向かって左にカーブするところ.
鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり第5分冊より

 大貫停留場(再掲) 1966(昭和41)年5月
 
大貫停留場から海に向って直進し、ここで左にカーブする.1966(昭和41)年2月

左にカーブした先を直進し、その先で緩やかに右へカーブすると曲松駅がある.1966(昭和41)年2月 この頃、軌道から海岸までは昔の写真と違ってずっと遠のいているのでしょう.

大洗の海岸 (再掲) 1966(昭和41)年5月

磯浜海水浴場に隣接していた曲松駅(再掲) 1966(昭和41)年5月30日

2017年1月22日日曜日

ある日の水浜電車 昭和41年(1)

田辺さんはよほど水浜線を気に入ったのか計4回訪問していました。
今回は3回目の訪問です。

1回目1964.04.13 水戸駅前~大洗撮影 ある日の水浜電車 昭和39年
2回目1965.06.10 水戸駅前~上水戸撮影 さようなら水浜電車
3回目1966.02.09 水戸駅前~大洗撮影 ある日の水浜電車 昭和41年 
4回目1966.05.30 水戸駅前~大洗撮影 ある日の水浜電車 昭和41年廃線前日(全廃は1966.05.31)

難解な水戸駅前~東棚町間の軌道について、現地「しもいち交流会」の方に現状地図上に軌跡と撮影場所を表示した図を作成戴き、ありがとうございました。写真説明を訂正させてもらいます。

軌道の軌跡と撮影場所 作成:しもいち交流会(水戸市)様

特記以外は 1966.02.09撮影 

三高下~一高下の丘陵地帯.遠くの小さな駅が三高下で、そのすぐ脇のガーダー橋で水郡線を越える.

茨城縣立原子力舘の看板がある「三高下」駅  撮影:青蛙氏 1966年5月

左に降りていく国鉄貨物連絡線の軌道跡が見える.水郡線を越えた電車はこの先↙で水郡線常磐線を越える。

水浜線ガーダー橋近辺から撮った水郡線.

水郡線を越えるガーダー橋とその先の高架線(再掲).

一高下を過ぎて常磐線を越える.
そして常磐線と並走し高架を下り東棚町に向かう.

 背後の建屋は浜田車庫ですね.


松が多くなりここは大洗の街中でしょう.

背後に見えるのは大貫停車場ですね.


125号のZパンタの位置からすると手前が曲松となり、大貫-曲松間で海岸に出るカーブのところでしょう。