案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2025年2月24日月曜日

オリンパスペンから落穂拾い(6)

松尾鉱業鉄道 東八幡平.

初めてスキャンした1枚に構内の機関区~貨物施設全体が写っています。

左手にホッパー、奥に跨線橋がありその脇に機関区、その右脇にあった廃車体が見える。


東八幡平の構内.


盛んに活躍していたED252.


上 ナハフ8、 下 ハニフ4 ?

2023年11月25日土曜日

盛岡駅待合室での仮眠

1966年東北周遊券の旅3日目、仙台で乗車した超満員の青森行夜行列車が盛岡駅に到着したのは深夜2時02分だった。花輪線の一番列車5時25発まで駅の待合室(一晩中開放)で3時間ほど仮眠をとった。
私が眠っている間にこの写真「深夜の夜行列車」を撮ったのが同行者の田辺さんだった。この3時間の仮眠のお陰で私達は花輪線一番列車で向かった先でこの日思い出深い撮影ができた。

 撮影日:1966.3.2
深夜の盛岡駅にやって来た夜行列車C61+C60.



東八幡平駅.
バスか車を利用して駅まで下って来た雲上都市の住民.


松尾鉱業鉄道が出ていた花輪線大更駅.
ホームには松尾鉱山の鉱山町「雲上の都市」から下りて来た住民が多い.


花輪線ハチロクの名所竜ヶ森.

2015年11月22日日曜日

松尾鉱業鉄道 雲上の都市があった頃

1966年3月の私鉄めぐりも宿代わりの夜行列車で東北ぐるぐる回りの連続で、松尾鉱業鉄道へ向かう時の寝不足はひどかった。仙台で夜行列車に乗り深夜2時に盛岡に到着し駅待合室で寝て花輪線の一番で松尾鉱業鉄道が出ている大更へと向かった。
松尾鉱業鉄道の雲上の楽園はすでにアップされていますが、同行した田辺さんが東八幡平駅で別角度で撮った写真をアップしてみます。

東八幡平の駅の背後に迫る山並みの上にまだ「雲上の都市」の生活があったようだ。この頃鉱山はピークの時代を終え終焉の時代を迎えていたようだが、2両の客車には大更へ出る乗客が結構いた。東八幡平の駅前に生活感は何もないので乗客のほとんどは雲上の都市に生活している人達だったのでしょう。
終着駅 東八幡平   1966.03.02

殺伐とした東八幡平の駅前には生活を感じさせるものは何も無く地面がツルツルに凍結していた。ここから山の上に鉱山ロープウェイらしきものが見えるが雲上の都市の住民はバスで駅まで降りてきたようだ。

東八幡平からやってきた乗客はここで花輪線に乗り換える。花輪線に乗って盛岡へ買い物のお出かけでしょうか。 大更  1966.03.02


東八幡平駅の鉱山輸送 ED252

2011年2月22日火曜日

松尾鉱山のこと (続)

松尾鉱業鉄道について、更に画像アップ(一部再アップあり) してみます。
松尾鉱山の人達はこの列車に乗って大更で国鉄花輪線に乗り換え、盛岡などへ出たのでしょう。
列車が大更から東八幡平へ戻って来る時は、上り勾配を超スローで牛車のようであった。

発車間近の混合列車。 東八幡平  1966.3.2


山を下りて来た混合列車が大更に到着。

ハチロクの列車が走っていた国鉄花輪線。 大更駅
松尾鉱業鉄道からの乗客は国鉄「花輪線のハチロク」へ乗換え盛岡方面へ向かう。


大更から客車1両牽いて戻って来る列車。

遠い昔はこんな客車の混合列車が走っていたのでしょう。
東八幡平 1966.3.2

↑ 郵便荷物車 ユニフ1。 大変な古典客車

↓ラベルの鉄道名クリックで、アップ済み松尾鉱業鉄道が繋がります。

2011年2月21日月曜日

松尾鉱山のこと

先日、昨年6月16日アップの松尾鉱業鉄道「栄枯盛衰 松尾鉱山(続)」に興味深いコメントを戴きました。
松尾鉱業鉄道の終点東八幡平からさらに山の上にある松尾鉱山と鉱山町。
その鉱山町に小学校4年生の頃まで住んでいた方からです。

この終着駅から松尾鉱山の町まで、バスに乗ってかなり時間が掛ったそうです。
この写真を撮った1966(S41)年、この方は小学生で「雲上の楽園」と言われた鉱山町に住んでいた頃。
「雲上の楽園」の住まいのこと、閉山後廃墟となった鉱山町のこと等について書かれています。

更にこの上の鉱山町から見る岩手山はどんな風景であったのだろうか。

東八幡平の構内と背後の風景

'10年6月16日「栄枯盛衰 松尾鉱山(続)」のコメント投稿欄より

コメント1
過去、小さい頃まで松尾鉱山に住んでいたものです。
(小学校4年まで)やっとの事であの鉱山鉄道の写真を発見できました。
盛岡の祖母を訪ねるために、必ず利用したこの鉄道と駅舎、そして構内は今でも記憶に鮮明に残っています。鉱山に帰るのに、当時は花輪線の大更で乗り換えて、そして、この東八幡平駅でバスに乗り換えてと随分と時間がかかりました。
今は自家用車で気軽に行き帰りができる距離です。
今は全部取り壊されて、跡形も残っていませんのでとっても貴重な写真でありがとうございます。
閉山後、10年後に友達と遊びに行ったときは駅は貨物車、電車等がそのまま放置されて、雑草に埋もれていていたのをよく覚えています。


コメント2
丁寧なご返事ありがとうございます。
私が小学生の頃は1966-1969年でしたから、もう閉山が目の前でよく語り継がれている戦後から1960年頃の絶頂期とは程遠い衰退時期であったのでしょう。ですから、鉱山鉄道が人で混んでいたという印象は全くありませんでした。
鉱山のガラガラの誰もいない精錬の施設で使われないで置かれていた、トロッコでよく、友達と遊んだのを覚えてます。
私は当時、鉄筋コンクリートの水洗トイレ、スチーム暖房完備のアパートに住んでいました。とっても恵まれていたんですね。
毎年、何度も父と訪れますが、当時と比べて、植物が回帰してきたのか考えられないくらい草がぼうぼうと生えているのは驚きです。でもそれくらい、鉱山の排煙はひどかったということなのでしょうね。
もう鉱山鉄道の当時の写真を見るのは不可能なのかと探していたら、こんな貴重な写真の数々。
本当にありがとうございます。

2010年6月16日水曜日

栄枯盛衰 松尾鉱山(続)

昭和41年の訪問後、5年程で幕を閉じた松尾鉱山と鉄道の悲しい歴史から、もう少しアップしてみました。


東八幡平駅の構内から雄大な岩手山を見る。1966.03.02

東八幡平駅の構内風景。 

沿線に人家は少なく雄大な開拓地のようであった。 

まるで開拓地のような風景の中を、客車1両牽いた列車が勾配をゆっくりと登って行く。 

東八幡平駅の構内作業をしている凸形電機ED251。

2010年6月14日月曜日

栄枯盛衰 松尾鉱山


岩手山をバックに雄大な景色の中を行く客貨混合列車 

国鉄花輪線の大更駅から、硫黄採掘の松尾鉱山がある東八幡平駅まで、松尾鉱業鉄道が走っていた。乗換駅大更のホームには「国立公園八幡平登山口」の看板があり、鉱山町に住む従業員や家族の足だけでなく、八幡平を訪れる観光客の重要な足でもあった。しかし繁栄した松尾鉱山もこの3年後に廃坑となり雲上の楽園とうたわれた鉱山町も消滅し、鉄道は1972年に廃線となった。

(松尾鉱山のこと)
東洋一を誇る硫黄鉱山が栄え、昭和30年頃は標高1000mの地に鉱山町(雲上の都市)が栄え、その後急速に衰えて倒産、廃坑、廃墟となる悲惨な松尾鉱山の歴史。我々が訪問した昭和41年、この鉄道は活躍していたものの、悲しい廃墟へ向かっていた。



終着駅 東八幡平 。1966.3.2
松尾鉱山で栄えた“雲上の都市”はこの山の上に。