案内文章
高度成長期に突入した1960年代は、
地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
。
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
を
回想してみました。
2018年12月26日水曜日
美流渡の2146 (1)
昨夜、chitetsuさんの新作16番B6(2120形)を見せてもらい、堪らず田辺さんが撮った美流渡の風景を見てみたくなりました。写真は北星炭礦美流渡礦専用鉄道で
動いていたB6と風景です。
撮影:田辺多知夫 1965.7.27
いいですね、美流渡の炭鉱町風景。
B6の背後に写った炭鉱町。
2120型2146と表示されたナンバプレート
銘板はノース・ブリティッシュ・ロコモティブ1903年製だか、
この銘板はおかしくダブス1898年製のはずという説があり。いずれにしても英国製の2120形。
電車モデラーchitetsuさんが作った蒸機B6、モデルにしたのは三美運輸仕様とか。
2018年12月18日火曜日
花巻電鉄鉄道線の春と夏
夏と春の花巻電鉄鉄道線で、未掲載の画像を集めてみました。
軌道線とは異なり格式高い?花巻温泉に通う鉄道線は古さを感じさせない立派な路線であった。専用軌道はしっかりしていて電車も近代的で新しい。
春の陽を浴び冬枯れの木立を行く。1966.3.3
夏の日の夕方、満員電車が花巻温泉に向かう。 1964.8.2
夏の温泉行電車。1964.8.3
春の陽を浴びて。 1966.3.3
春 花巻駅を出るとすぐに左にカーブする。1966.3.3
夏 強烈な日差しを浴びた鉄道線花巻駅。 1964.8.3
夏
花巻温泉街の玄関にふさわしい立派な花巻温泉駅があった。 1964.8.3
昭和39年、温泉通いの電車がまだ賑わっていた華やかな時代。
春 遠くに残雪の山並みを望む。 1966.3.3 撮影:田辺多知夫
そして夏の東北本線花巻駅 1964.8.3
東北本線側から見た花巻温泉郷行電車のりば。1964.8.3
2018年12月15日土曜日
花巻電鉄軌道線 朝の中根古(田辺)
先日の鉄談義で話題となった花巻電鉄軌道線の中根古あたり、田辺さんが望遠で撮った風景を紹介します。
中山街道は非舗装路で朝のラッシュ時でもクルマは少なく、トレーラ2両を牽いた電車は満員であった。道路にはオートバイや道行く人でクルマ時代到来の直前で、昭和41年の軌道線にまだ活気があった。
撮影:田辺多知夫 1966.3.3
朝、花巻へ向かう電車は満員で道路にクルマは滅多に来ない。道路には徒歩の小学生、親子連れ、自転車と朝の中山街道はのどかであった。 中根古-石神
のどかな花巻風景。 中根古-石神
カーブのところにある「中根古」を過ぎ西鉛温泉に向かう電車。中根古
中山街道のクルマと人影 中根古
ドロの中山街道 石神-西公園
中山街道
花巻の車庫ではこんな風景が。
馬づら電車の狭い屋根に4人も乗ったらさぞや怖かったことでしょう。
2018年12月14日金曜日
西武新宿線 拝島ライナー
昨夜は話題の新型電車を初めて間近で見ましたが、中々新鮮でよい感じでした。
一体、S-TRAINと拝島ライナーは何が違うのか、案内を読んでこれも初めて知りました。
拝島ライナーは新型車両40000系を使った昔の拝島快速の復活ということか。
初めて撮った西武新型40000系
西武新宿 2018.12.13
これが通勤車のクロスシートですか。
8年前の拝島快速 2010年3月
昨夜は鯨川地方鉄道の最新作を眺めて鉄談義忘年会でした。
12年前(写真展)の写真を持ってきてくれたcedarさん。chitetsuさん撮影
ネットでこのような昔の写真を語るには、やはりブログでありfacebookには適さないでしょう。昔の鉄道を撮ってきた鉄ファンにとって、昔ネタはやはりブログだと思います。流れゆくその日の記録はfacebookで。ただ、どちらにしてもいつかはネット上で消える運命に。
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