案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2026年4月1日水曜日

奥羽本線 糠ノ目駅

3月初めの小雪が舞う日
ホームで列車を待つのは、
山形交通 高畠線からやってきた乗換え客。
厚い外套、手袋、長靴を履いた足元。
子どもを連れた人、荷物を抱えた人。

やがて煙が近づく気配で、線路の先を見る。
列車が到着すると、決まったように乗り降りしていく。
どこにでもあった、乗換え駅の風景だった。


モノクロ画像の生成AIカラー化. 糠ノ目  1966.3.6
蒸機写真をカラー化したのではなく
“昭和の生活風景”をカラーで再現した

2019年2月18日月曜日

奥羽本線 糠ノ目駅

昭和41年3月、奥羽本線はまだ残雪の寒い初春であった。
地方私鉄の多くは国鉄線の接続駅から賑わいのある町まで人や荷物を運んでいた。
奥羽本線の糠ノ目駅の脇にあった殺風景な「のりば」から出ていた高畠線。
全国至るところにあったこんな国鉄線と地方私鉄の接続駅の風景。

撮影:1966.3.6
 奥羽本線のC57とDF50。 すっかり無視してしまったDF50が写っているのが珍しい。

奥羽本線の鈍行列車で北へ北へと向った。

「山形交通 高畠線のりば」の看板を掲げた模型のような糠ノ目駅にポツンと停車していた小型電車モハ1。 駅の周辺はどこまでも田園が続く。

こちらは西武所沢工場の再生車モハ4で美しい山交カラー(マルーンと桃色)に塗られていた。

入線直後でピッカピカのモハ4。   糠ノ目

沿線一の街高畠に到着すると客の殆どが下車する。小形電車モハ1は更に二井宿へ向かった。

高畠駅の楽しい風景。

峠の手前で線路が終わる二井宿に到着。

2012年12月19日水曜日

山形交通高畠線5 高畠線の車両

モハ1  高畠 1966.3.6
 高畠線電化時に購入された昭和4年日車製デハニ1. その後西武所沢工場でモハ1に改造

モハ2
モハ1と同形の昭和8年日車製デハニ2で、昭和37年所沢工場でモハ2に改造.

モハ3  元西武多摩湖線のモハ101形で、元々は所沢工場でクハ1114として製造された.
山形交通三山線、羽後交通雄勝線、豊橋鉄道渥美線でも同形を見ることができた.

モハ4
元西武の川崎造船所製クモハ156で昭和41年2月に入線.
写真は入線翌月でマルーンと桃色に塗り分けられた更新車はまるで新車のようであった.

ED2 元鳳来寺鉄道のデキ50で大正14年英国EE社製

ED1 昭和4年の電化時に川崎車両から購入しその後西武所沢工場で更新改造.

ハフ3 元国鉄のホハを昭和28年に払下げを受けた明治44年日車製
ラッシュアワーに使われたそうだ.

ハフ1 開業以来の生えぬきで大正11年日車製

ハフ2  一本柳

2012年12月17日月曜日

山形交通高畠線4 糠ノ目駅

糠ノ目駅に到着したモハ1   1966.3.6

高畠線の基点である奥羽本線糠ノ目駅に電車が到着すると、乗客は隣にある奥羽本線のホームへ向かって行く。国鉄の駅の脇に「○○線のりば」の看板を掲げたホームがあって、そこにひなびた電車が1両ポツンと客を待っている・・・こんな地鉄乗換え駅光景は当時どこにでも見られた。
奥羽本線糠ノ目駅もそんな典型的な地鉄乗換え駅の光景で、「山形交通 高畠線のりば」の看板を下げた小さなホームにモハ1がお似合いで、隣の奥羽本線にはC57の旅客列車が走っていた。まるで模型のような情景が当たり前の時代であった。

高畠線の乗客は、やがてやって来た奥羽本線の蒸機列車に乗換える. 糠ノ目

ひと気の無くなったホームで乗客を待つモハ1

奥羽本線糠ノ目駅ホームから見た山形交通高畠線のりば
背後に白銀の山並みが見える

3ドア車モハ4 と ED2

2012年12月16日日曜日

山形交通高畠線3 石造りの高畠駅 

高畠駅  1966.3.6
閑散区間を走ってきた小さな電車モハ1が高畠につくと、一変して乗客で賑わってきた.
背後に石造り(高畠石)の立派な駅舎がみえる.

3ドア車は高畠止まりで糠ノ目~二井宿間を小さなモハ1が往復していた.

高畠止まりの電車

山を背後にした高畠駅の全景. 車両も興味深いものが多く素晴らしい光景であった.

高畠駅構内  左手に工場引込線があり貨車が多い.


石造りの駅と名物電機


2012年12月14日金曜日

山形交通高畠線2 モハ1が走る風景

二井宿駅のモハ1

山間を右へカーブしてやって来た糠ノ目行電車はひと気のない蛭沢駅に到着する
ただ土を盛っただけのような小さなホームがある蛭沢駅



2012年12月13日木曜日

山形交通高畠線1 終点二井宿

山形交通高畠線を訪問したのは1966(昭和41)年まだ残雪のある3月であった。
高畠線は奥羽本線の糠ノ目(現在は高畠)駅から沿線の中心部高畠を通り新井宿まで走っていた。この訪問から半年ほど経った昭和41年8月に台風で屋代川が増水し橋梁が損傷して高畠~二井宿間が休止となってしまった。残された糠ノ目~高畠間は昭和49年11月の廃線まで走っていたが、休止となった高畠~二井宿間は復旧することなく消えてしまった。あの時に撮った閑散区間は休止直前の風景だったのだ。


終点二井宿の駅  1966.3.6
駅の背後に山が迫りここで線路は終わりだが、この先の二井宿峠を越えて東北本線白石と接続する山岳路線の計画があったそうだ。

ひと気のない終着駅、電車の客もまばらであった.

二井宿の駅前には集落があったが、あたりはひっそりとしていた.


ひなびた駅に似合う小さな電車モハ1

二井宿から線路に沿った街道を一駅歩いてみた.

二井宿を発車した糠ノ目行電車は七ヶ宿街道(旧道)に沿って走る.


山形交通高畠線、ここも弊ブログの初期に紙焼プリントを数枚スキャンしてアップしただけであり、今回、初めてネガをスキャンして新規にアップしました。以前にアップした記事は抹消します。