三山線を初めて訪問したのは1966年まだ残雪がある3月初めだった。
東北私鉄めぐりの全てを終え、秋田で奥羽本線の夜行列車 急行「第2津軽」で上野に向かったものの、郡山で朝を迎えると欲が出てきてまた奥羽本線を北へ引き返し高畠線が出ている糠ノ目で下車した。郡山からBOX席で一緒だった若い乗客と糠ノ目まで話をしたがどんな会話だったかが思い出せない。
先日、ブログにアップした高畠線を撮り終えるとC57の列車に乗って更に北上、山形で国鉄左沢線に乗換え羽前高松に到着したのは夕方であった。国鉄ローカル線の羽前高松から出ている三山線がどんな路線なのか、旅の最後のオマケに訪問したのだった。
この時は羽前高松近辺での撮影が体力の限界、この先に一体どんな街があるのかは次回の訪問とした。山形に引き返してまた夜行列車の急行「出羽」に乗って上野まで爆睡、旅は終わりとなった。帰還して何日か過ぎると東京では地下鉄東西線が中野まで開通した、そんな時代であった。
撮影:1966.3.6
奥羽本線の蒸機列車で北上する。
ここで国鉄左沢線に乗換えて羽前高松へ向かう。
三山線名物の駅舎 羽前高松駅
左沢線気動車から降りてきた乗換客。 羽前高松
左沢線羽前高松駅のホームの片隅に「三山電車のりば」の看板を掲げて電車が待っていた。けっこう乗換客がいて電車(モハ110形)に向かっていた。 羽前高松
やがてやって来た小さな電車モハ106。