案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2026年2月1日日曜日

かつての新宿駅はこんなだった

古い写真を見ると、私の10~20歳頃の新宿駅はこんなだった。(先輩のアルバムから)
60~70年前の新宿駅がその後すっかり変貌し、更に今また変わりつつある。 


 小田急の地上ホームで、上は手前にある新宿駅南口に向かう通路。地下ホームも出来て、駅の上に出来た小田急百貨店は、今、取り壊されて再開発中。最も美しかった特急SE車(原形)だった。撮影は1957(S32)年7月以降


小田急のホーム脇で一段高い所にあった京王線の地上駅。駅は地下に潜り、駅の上に京王百貨店ができた。 1963.4.1 写真は地下駅が開業した日だった。


地上の京王新宿駅から甲州街道に出て来た京王線。京王新宿駅は地下に潜り、新宿駅南口がこれから大きく変わって行く。1963.3.20


2019年8月7日水曜日

下北沢駅の今

久しぶりに下北沢駅に寄ってみました。
こんな小田急専用東口ができたのですね。
中学時代の思い出多い下北沢駅もついにすべてが消え去った感がある。
北口があったところに今も残る遠い60年前の面影は銀行の建物くらいか。

撮影:2019.8.7
北口が消えて小田急東口になった。ここは小田急専用の改札口であり、以前と違って井の頭線と小田急線を乗り換える場合は中央改札口を一度出る必要がある。 

ここにあった下北沢駅北口は消滅した。
2004年の地下化工事着手から3年後の下北沢駅北口(2007年11月)。あれから12年が経ち今も駅前整備の工事は続く。小田急の工事は今年3月に完了していました。

 北口の象徴であった「下北沢駅前食品市場」は跡形もなく消滅した。

2017年12月22日金曜日

新宿南側の今昔

新宿南口のサザンテラスと呼ばれる一帯は、小田急の線路上の空間を利用して目覚ましい発展を遂げている。現在のビル群がまだできていなかった54年前と比較してみました。

南新宿駅側から新宿駅方面を見る。2017年5月
正面に高島屋のビルが建ち、左隣に昨年開業したJR新宿ミライナタワーが建つ。
このカーブしたところに昔の南新宿駅があった。

小田急新宿駅の立体化が完成した頃で、周辺にはまだ高いビルが建っていない。学生の頃、小田急で新宿駅に到着する直前によく見た懐かしい風景。1963年3月
貨物線ホームがあった。

斜めに渡る都道414線の脇に南新宿駅があった。右手に小田急旧本社が見える。

写真1枚目の位置から南新宿駅方面を見る。 2017年5月

2016年10月25日火曜日

小田急 朝の通勤ラッシュ

昭和30年頃の世田谷といえば、過去に数日間だけこんな写真をアップしたことがあります。

写真は、1960年代の高度成長期が始まる前、デハ2200形登場後からすると1950年代の後半でしょう。私は喜多見で各停に乗って成城で急行に乗換え下北沢までの通学はこの後の時代であったが、小さな中学生の身体は大人達に挟まれて浮いたままであった。座席の前に立ち背後からくる圧力を手で支えきれない客は座席客のヒザの上に崩れ落ちる。時には窓ガラスが割れることもあった。下北沢までのノンストップ・ノロノロ運転で満員電車の乗客は長い時間を耐えていた。下北沢で乗換える客が殺到する井の頭線渋谷行きはもっとひどかった。

夏は着膨れがなくなり冬よりマシだが車内にクーラは無し、夏のサラリーマンは皆ワイシャツ姿が当たり前で夏にスーツ着用できる時代ではなかった。こんな小田急の頃があった。

 急行に新鋭デハ2200形が登場。左の各停は1400か1200形でしょう。急行には乗れない小学生が眺めている。 朝の成城学園前

各ドアごとに押し込み駅員が配置して、押し込みアルバイトもいたのか全身使って押し込む.車掌氏はハラハラし最後の閉まらないドアを数人で押し込んで電車はやっと発車する. 画像所蔵 狛江市 吉原様

2016年3月22日火曜日

あれから3年 下北沢駅

数年前の今日が出てくるFacebookで「今日で最後の下北沢駅」が出てきました。
あの日2013年3月22日からもう3年も経つのですね。


FBで使った2048pix画像。

ブログのアーカイブ

2015年4月2日木曜日

下北沢駅の今

東京郊外の桜も今日が最後でしょう。
井の頭線に乗って下北沢駅の現状をちょっとだけ見てきました。

下北沢の地上駅が地下に切り替えてから早や2年、その後どんなになったことでしょうか。
地下2階の各停用ホームの工事が真っ盛りのようで地上駅の跡地は今も工事現場であった。
そして駅前の戦後のアーケード街は見るたびに取り壊されて行く。

富士見ヶ丘 - 高井戸 2015.04.02

高井戸駅を彩る神田川の桜

高井戸 - 浜田山

いかにも私鉄らしい井の頭線の島式ホーム 浜田山


下北沢駅のホーム脇あった踏切の跡はひっそりとしている.

井の頭線のガード下にあった下北沢駅ホームの跡地.

今も一部が営業している下北沢アーケード街

取り壊した空地に懐かしい店舗が1軒

何年も何年も時間かけた地下化の大工事が終わると下北沢の地上風景も大変貌することでしょう。

2014年1月30日木曜日

下北沢 消えた地上駅

昨年3月22日を最後に地下に潜った下北沢駅。あれから10ヶ月、地下駅になって初めて下車してみると、あの下北沢駅風景と思い出がきれいサッパリ消失していた。地上駅の跡は一体どんな風景になるのか判らないが一つの時代が終わった。

井の頭線ガード下から踏切にかけて地上駅の跡  2014.01.28

元踏切の道路に人の賑わいがなくなった

井の頭線ガード下の小田急ホームと、脚橋と脚橋の隙間にあった空中廊下が消えた抜け殻

2009.02.20

2013年5月16日木曜日

小田急電鉄 成城の坂今昔

昔、小田急線が成城から喜多見へ下る成城の坂(国分寺崖線)のところに富士見橋や不動橋が架かり、その先の道路の不動坂を下ると不動尊があった。今も不動坂と不動尊は変わらないが、成城駅の地下化、喜多見駅の高架化、複々線化で小田急線の「成城の坂」の風景はすっかり変わってしまった。50年近い昔の風景と今を比較してみました。
ところで先日地下化された下北沢駅もきっとこんな商業ビルや駅前ロータリーの風景になってしまうのでしょう。

今の成城駅西口.  2013.05.15  拡大 
昔、地上駅西側にあった踏切のところから今の成城駅を見る.
駅は地下に潜り地上に商業ビルが建ち駅前ロータリーがある風景.

橋上駅舎で木造の跨線橋があった昔の成城駅. 1964.02.11



今の不動橋から喜多見方面を見ると、昔の面影は右手の木立くらいか.2013.05.15

49年前の不動橋から喜多見方面を見る. 1964.02.25

小田急1900や1400や凸形電機が走る成城の坂 風景

背後に見える小さな橋が不動橋でその先に富士見橋が見える.

成城の坂を下るとブッシュ生い茂り野川流れる喜多見の風景

不動坂を下ったところに喜多見不動尊がある. 2013.05.15
喜多見不動尊



2013年3月22日金曜日

今日が最後の小田急下北沢地上駅

とうとうこの日がやってきた。下北沢らしい駅の風景はその全てが明日から見られなくなる。


今迄で最もカメラを向けたのが、連絡通路から見る上りホームのこの場所だった.2013.03.22

連絡通路と上りホーム
上りホームのベンチから眺める下北沢風景の見納め. 2013.03.22

地上駅の踏切風景をカメラに納める人々.

井の頭線の橋脚と橋脚の間にある連絡通路.

井の頭線ホームから小田急へ連絡通路を下る.

小田急下り線ホームの連絡通路.

下り線ホームの連絡通路「空中廊下」

下北沢駅の記事は過去に下北沢駅1 と 下北沢駅2があります。

2013年2月2日土曜日

消えゆく下北沢駅風景

小田急下北沢駅の地下化は、新聞によれば3月22日の終電後に切り替え工事をし、23日始発から地下線の運行を開始するとあります。いよいよ小田急の下北沢地上駅が停止し、その後取り壊される地上駅と街並で下北沢風景も一変してしまう事でしょう。


小田急下北沢駅  2013年2月
駅周辺には高層ビルがなく、街全体に建物が低いのが魅力であったが・・・。

商店街や街行く人々の目線にある駅もまもなく過去の風景に.