案内文章
高度成長期に突入した1960年代は、
地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
。
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
を
回想してみました。
ラベル
京王電鉄 井の頭線
の投稿を表示しています。
すべての投稿を表示
ラベル
京王電鉄 井の頭線
の投稿を表示しています。
すべての投稿を表示
2022年7月1日金曜日
2009年の6月
この頃はN101を求めてよく撮りに行った西武国分寺線の鷹の台。
まだブログはスタートしてなく昔のネガのスキャンもスタートしていなかった。
撮影:2009.6.19
鷹の台の
新堀用水
。あれから13年経った今年も同じ場所で撮ったがデジカメの進歩が著しい。
鷹の台駅
そして紫陽花の季節ともなれば盛んに撮りに行った井の頭線。
撮影:2009.6.10
井の頭公園
井の頭公園
2017年12月10日日曜日
井の頭線 永福町
先輩のアルバムから。
高校生時代に通学で利用していた井の頭線だが、カメラを持ってなく撮ることは無かった。その後、カメラを手にしてもまず井の頭線に目を向けることが無かった。きっと前照灯が2灯化されて嫌気をさしたのだろう。先輩のアルバムに写った井の頭線はまだ綺麗なヘッドライトであった。
懐かしい井の頭線の永福町車庫。確かカマボコ屋根の車庫であった。1961年春
今の永福町を通るたびに昔の車庫が思い出される。永福町 2017.10.27
井の頭線が二灯化される以前の時代。渋谷行き1802+1712+1302+1902 明大前~東松原
1963.1.7
渋谷行き1763+1055+1005 西永福町-永福町 1962.8.17
キャベツ畑の明大前-永福町を行く吉祥寺行き1000系 1963.9.27
渋谷行き1805+1202+1702 永福町-西永福 1962.8.17
2015年4月2日木曜日
下北沢駅の今
東京郊外の桜も今日が最後でしょう。
井の頭線に乗って下北沢駅の現状をちょっとだけ見てきました。
下北沢の地上駅
が地下に切り替えてから早や2年、その後どんなになったことでしょうか。
地下2階の各停用ホームの工事が真っ盛りのようで地上駅の跡地は今も工事現場であった。
そして駅前の戦後のアーケード街は見るたびに取り壊されて行く。
富士見ヶ丘 - 高井戸 2015.04.02
高井戸駅を彩る神田川の桜
高井戸 - 浜田山
いかにも私鉄らしい井の頭線の島式ホーム 浜田山
下北沢駅のホーム脇あった踏切の跡はひっそりとしている.
井の頭線のガード下にあった下北沢駅ホームの跡地.
今も一部が営業している下北沢アーケード街
取り壊した空地に懐かしい店舗が1軒
何年も何年も時間かけた地下化の大工事が終わると下北沢の地上風景も大変貌することでしょう。
2014年8月12日火曜日
旧吉祥寺ユザワヤ地下1階の変身
昔、吉祥寺ユザワヤの地下1階にあった啓文堂書店(それ以前はユザワヤ模型売場)の鉄道図書コーナやユザワヤ時代の模型売り場にいらした鉄道ファンも多いことでしょう。
ユザワヤが入っていたビルは4年かけ今年4月23日「キラリナ京王吉祥寺」に生まれ変わりましたが、地下1階に昔啓文堂が入っていたスペースが見つかりません。一体どうなったのか?
「キラリナ京王吉祥寺」がオープンしてから暫くして7月31日に地下売り場が拡大して生鮮「フードパルク」がオープンし入ってみると、連絡通路の先に見覚えがあるスペースが開け、ここが昔啓文堂書店が入っていたところであった。
そして、今も昔もこのスペースはビルの地下ではなく吉祥寺大通りの真下なのであった。
ところで啓文堂はキラリナ7階に戻って来たが昔あれだけあった鉄道図書コーナは大幅削減で、今や無いに等しい。
井の頭線からエスカレータで下った駅ビル「キラリナ京王」の2階. 2014年8月
駅を降り直ぐのところにB1F Foodparc と表示された入口があり地下1階へ行ける.
昔、ユザワヤの地下1階で巨大な模型売り場を見たり、その後の啓文堂で鉄道図書を見たり
よく来た地下1階は生鮮「フードパルク」に変身した。
昔、啓文堂はこの辺りにレジがあり左手に鉄道図書コーナがあった.
奥へ連絡通路を進むと広い図書売り場が開けていた.
2014年5月11日日曜日
井の頭線 吉祥寺駅ビルの開業
長いこと工事中であった井の頭線の吉祥寺駅ビル「キラリナ京王吉祥寺」が姿を現し開業したのが先月末。
4月23日に吉祥寺駅を通ったら各所がスッキリしていて、あの日は駅ビルオープンの日であった。
2010年4月に駅ビル建替工事が始まり、長いようであっという間の4年間であった。
迷路であった井の頭線~JR北口乗換え通路は建替え工事で更なる迷路になっていたが、
工事完成で昔に比べ大幅に乗換が楽になった。
2010年4月と言えぱ丁度このブログ1960年代がスタートした頃、
ブログ訪問者の100万人目標も達成、そろそろブログ1960年代も終わりとし元の日常ブログに戻るか??
週末夜の吉祥寺駅 2014.05.10
井の頭線改札
井の頭線改札を下ったJR南口改札前の広場
井の頭線~JR南口の乗換え通路が整理され一新されたが
基本的な通路配置に改装前のイメージがよく残っている.
オープン間近の駅ビル「キラリナ京王吉祥寺」 2014.03.08
2013年6月16日日曜日
東京の郊外電車
昔、東京で「郊外電車」と言えば渋谷から吉祥寺へ向かう帝都電鉄(現井の頭線)モハ100形200形がその代表的な電車だったようで、幼い頃に絵本か何かで見たヒサシ付運転席窓とオデコライトの郊外電車が強く印象に残っている。
井の頭線の富士見ヶ丘で撮ったこの1枚。無残な2つ目ライトで全く関心が無かったが1403の経歴を調べてみるとこれこそは帝都電鉄モハ100形のなれの果てのようである。ライトを1っ目に戻し運転席窓ヒサシを付けたアンチクライマー付の前パンタ車を想像すると、何かで見たあの郊外電車の姿が目に浮かぶ。
デハ1403 富士見ヶ丘 1964年8月
永福町車庫の空襲で被災しなかったデハ1400・1450形3両が2代目1401~1403に改番されたそうだ.
その後の2灯化、ヒサシ撤去などの改造で本来の姿を失った.
デハ1403の編成に組まれたサハ1303も過去の遍歴が大変に複雑.
元祖は帝都電鉄モハ200形のようだが.
サハ1562
富士見ヶ丘の風景. 1964年8月
検車区が永福町から富士見ヶ丘へ移転される前で留置線があった.
小田急
デユニ1002+デニ1101. 1962年9月 喜多見-成城
1960年に
デユニ1002は
クハ
1551の車体に乗せ換えられた.
このデユニには小田急青電デハ1501+クハ1551(旧帝都所属車)時代の帝都スタイルの面影があった.
2013年6月12日水曜日
井の頭線 井の頭公園
井の頭公園駅を出て鉄橋を渡るあたりの木立ちを今昔比較してみました。
1960年代は殺風景だった光景も今や緑豊かになったものです。
井の頭公園 1967年3月
井の頭公園 1967年3月
井の頭公園 2011.06.13
神田川上流側から見る.
井の頭公園 2011.06.13
神田川下流側から井の頭公園方面を見る.
2013年6月10日月曜日
井の頭線 紫陽花
京王電鉄井の頭線 浜田山-西永福 2013.06.08
井の頭線の沿線が紫陽花のシーズンとなった。
数年前までは2枚窓レインボーカラー車3000系が盛んにやってきたが2011年12月で全廃となり、今ではすっかり新型に統一されている。
1962年にオールステンレス車体のレインボーカラー車3000系が登場し、それまでの京王グリーン車デハ1000形他をレインボーカラー車に置き換えていたが、一世代前の新旧入替え時代の「井の頭線風景」を並べてみました。レインボーカラー車が登場して50年、あれから沿線もカラフルになったものです。
京王グリーン車デハ1800形(1804) 富士見ヶ丘-高井戸 1964.07.02
京王グリーン車デハ1000形(1001)
1962年に登場したレインボーカラー車3000系(3702) 1964.07.02
3000系(3704)
3000系(3701) 富士見ヶ丘-高井戸
富士見ヶ丘を発車した渋谷行.高井戸の手前で線路は左にカーブしその先に団地が見える.
井の頭公園
2012年9月20日木曜日
井の頭線 吉祥寺駅
2010年4月に着工した京王吉祥寺駅ビルの建替え工事も早や2年半が過ぎた。
完成は2014年3月予定とのことで、最近は駅北口や中央線から井の頭線へ向かう連絡通路が迷路のようになって駅ビル建替え工事も佳境に入っている。
工事着工前の駅のこんな「今日の1枚」を良く撮っていたが、工事で良い撮影ポイントがなくなって最近はすっかり撮らなくなってしまった。駅ビルの完成で井の頭線のホームはそう大きく変わることはなさそうだが、時代の空気は少しずつ変化していく。駅に漂うそんな時代の空気を撮り続けてみたいものである。
週末の夜の吉祥寺駅 2009.01.31
クリック拡大
姿を消した3000系 2009.01.31
昼下がりの私鉄ターミナル駅 2008.04.11
前の投稿
ホーム
モバイル バージョンを表示
登録:
投稿 (Atom)